明日河侑の場合

最終回 命という名のタスク

 今の今まで眠っていたとは思えない程に、俺はスッと目を開ける。視界には幾つかのシミがある見慣れた汚い天井。枕元に置いてあるスマホを取り出して、日時と今日の予定を確認する。

 ——本日は四月七日、時刻は七時半頃、今日の予定は……“休日”、である。


「……」


 俺は無感情、寝起きで浮腫んだ表情で起き上がり、何となく窓の外を眺める。桜が舞い落ちる季節にはランドセルを背中に歩く子供とその親や、制服を身に纏い新たな学生生活に胸を馳せる新中高生の姿。

 そんな期待と幸せに満ち溢れた背中を見て、俺がまず最初に思うのは……“あのランドセルや制服、高かったんだろうなぁ”とか“あんなに元気そうな子も、虐められて自殺するのかもしれない”だとかそんな捻くれた事ばかりだ。

 結婚して自分の子供を持つ、という事に対するメリットが理解出来わからないのだ。結婚生活そのものを損得で考えるのは野暮であるというのはわかっているが、やはりどうしてもわからないのだ。

 別に給料が安いからそういう思考になった訳ではない。俺には趣味も物欲も無いので、給料の使い道は殆ど家賃と光熱費、食費と税金である。にも関わらず手元に残る金がやたら少ないのは何故だろうか。

 ——まぁ敢えて正当化するのであれば、自分の子供に貧しい思いと無駄な苦しい経験をさせたくないのである。


「……フッ」


 俺は視界に広がる光景に対して……という訳ではないが鼻で笑うとキッチンへ向かい、コップを手に取り水道水を入れ、それを口に入れて喉を潤そうとする。


「——あら、タスクはカルシウムが足りていないのだから、水道水よりも牛乳を飲むべきではないかしら?」


 突然聞こえてきた女の声。その馬鹿にするような声色で半分冗談で半分は本音だとすぐに理解できる。


「起きてたのか」

「当然よ。タスクは下衆野郎なのだから、常に見張ってないと何をしでかすはわからないもの」

「常にって……まさか仕事の時もか」

「いいえ。その時は多くの人の目があるし、そんな人前で醜態を晒すなんて勇気、タスクには無いと信じているから」

「信頼の形が拗れてんだよ」

「——それに、どうせ職場でのタスクは真面目な人を装っているのでしょう?」

「そりゃ職場だからな」

「別人を装っている偽物のタスクなんて見たくないわ。私はこの家の中でしか見れない、何も着飾らない本当のタスクを見ていたいから。それが例え、とんでもなく最低で下衆野郎でスケベで醜く気色悪い、生ゴミの擬人化というに相応しくてもよ」

「“それが例え〜”からの言葉絶対要らないだろ」

「いいえ、そこが一番大事。というか寧ろそこ以外ははっきり言ってぎょうかせぎと同義よ」

「あぁそうかよ」


 俺は面倒くさそうに適当にそう返した。

 サキはとにかく悪口を挟まないと喋れないという会話をするにおいて最も致命的な奴である。慣れてくるともはや“言い返す方が野暮なのでは”と思えてくるほどだ。しかしそんなサキだが、ちゃんと家事は完璧に熟す上に何だかんだで俺の事を第一に考えて行動してくれる。

 たまにカチンと来る時はあるが、サキの悪口はある種の愛情表現だと捉えている。まぁそんな事を言ったら、何を言われるのかはわからないので絶対に声には出さないが。


「まぁ、私はそんなどうしようもないタスクの妻としての責任があるから」

「……なぁ、それ見舞いの時にも言ってたが、サキはいつから俺の妻になったんだ?」

「あら、この時代では籍を入れない夫婦もいるでしょう? 今の私達の関係はダメ夫と良妻というに相応しいと思うのだけれど」

「俺は夫婦関係を了承した記憶無いんだが」

「あら、タスクの“責任持ってくれ”という発言はてっきり私への告白だと捉えていたのだけれど?」

「うっ……つーか真面目に働いて家賃光熱費食費税金ちゃんと払ってんだから、そこら辺のダメ夫に比べたらまだマシだろ」

「だからって私生活がおざなりになっていたら本末転倒よ。もし私が居なかったら今頃タスクは栄養失調で倒れていたでしょうね」

「……」


 サキの言葉に、俺は何も言い返さずに黙った。

 “もしサキが居なかったら栄養失調で倒れていたかもしれない”という想像をしたからではない。それに今の俺には生きる目標も理由も無い。だから正直何かの手違いで倒れて、そのまま死んだところで何の未練もないというかなんというか。


「——もしかしてタスク、またどうせ“倒れたって良い”とか思っていたりしないでしょうね」


 まるで俺の心を読んだかのように、サキは的確な事を告げた。しかしここで頷くと何をされるかわからないので、嘘を吐こうかと思う。サキの口から“何も着飾らない真実の俺を見ていたい”と言われた矢先に嘘をつくなんて……確かに、俺は最低な下衆野郎だな。


「いいや、何が栄養失調だ。大体お前がここに住み始めた頃はペペロンチーノとかチョコケーキ1ホールとか栄養の“え”の字も考えてない料理ばかり振る舞ってたじゃねぇかよ」

「タスク、貴方の記憶力って本当にニワトリ以下なのね」


 すると突然、サキは俺の肩をとてつもない力で掴み、怒りを露わにしているかのような声でそう告げた。

 ——どうやら、俺はどこかでサキの逆鱗に触れてしまったようだ。


「へ?」

「——私の名前は“お前”ではないって、前に言ったわよね?」

「あ、悪い。つい勢いで」

「勢いでなら何でも許されると思っているのかしら。仏の顔も三度までとは言うけれど、もう何回目かしら?」

「悪い、覚えてねえ。教えてくれ」

「——次は無いと思って頂戴」


 サキはむすっとした表情でそう言う。

 ——さては何回か注意した記憶はあるものの、何回目かは正確に憶えてないなコイツ。


「なぁ、何でそんなに名前に拘るんだ?」

「何で、と聞かれても“それが私の名前だから”としか答えられないわ」

「そうか……」

「——まぁ強いて言うなら、私の大切なものだからよ」

「大切なもの?」

「ええ。私はクローン、人によって作り出された人造人間。だから私には幼少期も成長期も無く、生まれた時からこの姿で、与えられた使命も最初から決まってた」


 使命……つまり、サキが作られた理由。


「少子化問題の解決、即ち子孫の繁栄か」

「そう。でも皮肉な話よね。そんな重大な使命を持ったクローンが選んだ相手が、将来に何の希望も持たず、子孫を残す気ゼロの青年タスクだなんて」

「だな」

「話を戻すけれど、そんな生まれた時から完璧だった私は、最初から完璧だったが故に“何かを得る”事が無かったの」

「そんで、唯一の貰い物が“名前”だったって訳か」

「一番大事な所を言ってしまうなんて、本当にタスクって野暮ね」


 サキはため息混じりに、心底つまらなそうな表情でそう言った。


「いや、大事な所はここからだろ。誰から“サキ”って名前を貰ったんだ?」

「——タスク、貴方よ」

「俺?」

「ええ。初めて私と出会った時、タスクは名前の無い私を何と呼べば良いか悩んでいたわ。そこでタスクは何故か私を“サキ”と命名したの」

「そうだったのか……だが何でサキなんだろうな?」


 サキという名前を未来の俺が命名したという事実に、俺は疑問を抱かずにはいられなかった。

 まさかとサキがこの時代に来なかった世界線では、咲希先輩が……いや、そんな訳ないな。俺が咲希先輩の事が苦手なのはサキと出会う前からだからな。


「それはもう知り得ないわ。実際、理由は頑なに教えてはくれなかったし」

「まぁとにかく、サキが俺からの貰い物を大事にしてくれてんのはよくわかった」

「か、勘違いされるような言い方をしないでもらえるかしらっ!? 名前をくれたのがたまたまタスクだったというだけで、きっと誰から命名されようと多分大事にしていたわよ! 決してタスクだからという理由ではないわ!」

「はいはい、他人からの貰い物は大事にするいい人なんだなサキは」

「そ、そうよ! だからタスクも、私からの贈り物を一生大事にすることね!」

「……俺、サキから何か貰ったか?」


 俺はサキに問う。

 まぁ心当たりが無い訳ではない。俺はサキから色々な物というか、色々な事をしてもらっている。家事や体調管理とか。

 まぁもしそれを大事にしろだなんて言われたら、それは遠回しにサキ自身を大事にしろという事にもなるのだが。


「もう!! ほんっとうにタスクはニワトリ以下の記憶力ね!」

「わからないものはわからないだろうが」

「——私の、ファーストキスよ!」

「…………あぁ〜……」

「私のファーストキスなんて、とても貴重なのよ!? 他の誰にも渡す事なんて出来ないし、タスクも私に返す事なんて出来ないのだからっ、その……一生胸に刻んで、大切にして頂戴!! 少なくとも私は、タスクのファーストキスを大切にする……つもり、だから」


 途端、サキは顔を赤くして身体をもじもじさせながら、空元気のように変な緩急をつけて俺にそう告げて、最後には俯いてしまった。


「……俺達、朝から何やってんだろうな」

「まぁ、幸せな夫婦の朝なんてこんなものでしょう?」

「幸せな夫婦、か……俺的にその言葉は“小さな巨人”くらい矛盾してるように感じるけどな」

「そんなのタスクと過ごしていれば嫌でも理解出来るわ。所詮タスクの思考回路は捻じ曲がっているもの」

「ああそうだ。だから言っとくが、サキの使命とやらが成就する事は無いからな」

「別に良いわよ。この時代に来てからはその使命も放棄したようなものだし」

「そういえば、未来には帰らないのか?」

「帰るつもりは無いし、そもそも帰れないわ。私がこの時代に来れたのも奇跡のようなものだし」

「結局未来の事、何もわからねーな」

「何を当たり前のことを言っているのかしら。未来なんてわかっていたら面白くないでしょう?」

「将来が見えないのもクソつまんねえけどな」

「無理して将来を見据える必要なんて無いわ。今のタスクは“今”をただ真っ直ぐに“生きればいい”のよ」

「……人生、途方もねえぞ?」


 このご時世、良くも悪くも人間が100歳まで生きる時代と言われている。俺は今年で20歳を迎えるが、あと80年も生きろと言われても何をすればいいのかわからない。まぁ、わからないからこそ将来を見据える必要なんて無いのかもしれないが。


「構わないわ。私は貴方が生きている時間を見届ける。今も、今後も、最期も普通の人間としての——タスクを」

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冴えない俺、真反対な2人の“サキ”に求められるんだが何故? 枝乃チマ @EdaPINAPOP

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