第XX話 「」

 事務仕事をして、時に外に出て日光を浴びながら人々の楽しそうな笑顔を見渡す……そんな、いつもと変わらない筈だった。


「きゃああああああ!!!」


 楽しい感情で溢れていた遊園地は突如響き渡った悲鳴によって、不安で騒めきだす。何かあったのかと思い、その場から駆け出して悲鳴が聞こえた遊園地の外へ向かった。


「…………ぇ」


 私の目に映った光景は血塗れになった明日河くんと、それを抱きしめる狂気な少女の姿だった。

 目の前で大好きな明日河くんが凄惨な姿になっている……にも関わらず、私はただその場に崩れる事しか出来なかった。

 こんな時、駆け寄ったりだとか泣き叫んだりとかするのが普通なのかもしれないけど、この時の私にあった感情は悲しみでも怒りでもなく、底の見えない絶望だった。まるで全てを諦めてしまったかのように全身の力が抜けて、涙も声を出す気力も入らなかった。

 この構図的にあの少女が明日河くんを殺したのだろうが、なぜ殺したのか、元々どういう関係だったのか……聞きたい事は山ほどある筈なのに、それら全てがどうでもいいように思えてきてしまった。もちろんそんな訳はないのはわかっている、だけどもう身体に力が入らなかったのだ。



 それ以降、全く仕事に手をつける事が出来ず、私は顔だけは知っている女性従業員の……明日河くんではない後輩の車で家まで送迎された。助手席まで運ばれるのも、玄関前まで運ばれるのも、全て介護されながらであった。

 家に帰ってきたところで家には誰も居ないし、明日は仕事だし、たかが1日休んだところで立ち直れるはずもない。

 だって知ってる人が死んだんだ。しかも一番思いを寄せていて、もっと知りたいと思っていた……特別で唯一無二の人が。


「……」


 私は徐ろにスマホを取り出して、ある人物に電話を掛けた。無機質な着信音が割と長い時間続いた末に、聞き馴染みのある声がスマホから聞こえてきた。


『もしもし? 何だよこんな時間に。一応仕事中なんだが』

「杏香……今日、ウチに来れる……?」

『——どうした、何かあったのか』

「……ううん、とにかく誰かと話したいの」

『わーったよ。んじゃ仕事終わったらそっち行くから』

「……ごめんね」

『気にすんな。じゃ』


 そう会話して、杏香との通話を切る。

 自分でもどうして杏香を家に招こうとしたのかはよくわかっていない。多分、このどうしようもなく虚しい気持ちを誰かと面と向かって話して誤魔化したいのだと思う。


「——ああ……また私の悪いトコ出てる」



 インターホンが鳴った。私はおぼつかない足取りで玄関の扉を開けると、そこには仕事帰りなのか若干汗臭い杏香が居た。


「……!」


 久々に私の顔を見た杏香は驚くような表情をしていた。恐らく、私の顔はよほど窶れているのだろう。


「こうして会うの、久々だね」

「……久々に顔合わせて言うのもなんだが、今のお前の顔、心霊番組に出てくる幽霊みたいだぞ」

「そう……? ちょっと疲れちゃってさ」

「——道中、ニュース見たぞ。お前が働いてる遊園地の前で」

「それ以上は何も言わないで……杏香を呼んだ意味無くなるから」

「……そうか。じゃあ上がらしてもらうわ」


 恐らく杏香は全て知っているのだろう。遊園地で何が起こって、誰が犠牲者になったのかも。でも杏香は敢えてなのかそれ以上深掘りせず、そのまま私の家にズカズカと入ってきた。


「杏香、ちょっと付き合って欲しいの」

「アタシに同性愛の趣味はねーぞ」

「——明日河くんは生きてて、杏香は私に新たなアドバイスをする為にここにわざわざ足を運んだ……そういうていで話して欲しい」

「ああ、わかった……にしてもお前、本当に弁当作り過ぎた作戦を実行したのか」


 杏香は声色を変えて、キッチンに置いてあるデカい弁当箱を見つめながらそう言った。


「……」


 そのデカい弁当箱を見つめると、胸がキュッと苦しくなる。

 このデカい弁当を作ってる時はとにかくワクワクしてて、楽しくて、嬉しくて、色んな妄想が捗った。私の作った料理を食べて“美味しい”って言ってくれる明日河くんの可愛い笑顔とか、頬についた米粒を“もー、ご飯粒ついてるよー”とか言って取って食べちゃったりとか、そんな甘酸っぱい妄想。


「お願い、それ食べて」

「おいおい、確かに腹は減ってっけどそれは流石に」

「ごめん……なんかもう……無理なの」


 私は今の自分の感情を言葉に表せず、ただ目を逸らしてその場に座り込んでそう告げた。


「はぁ……わかった。だがよ、こっちは頼まれて無理矢理いつも通りの感じで話してんのに、お前がその調子じゃ意味ねーだろうが」

「……」

「そりゃ急な事で気持ちが整理出来てねーのもあるだろうし、辛くて何も考えられねーのもわかるけどよ」

「……うん、ごめん」

「謝んな。一番辛いのはお前なんだからさ」


 杏香の同情という名の優しさが、ボロボロになってしまった私の心に響く。本人としてはただの気遣いなのかもしれないけど、今の私にとっては無意識に涙を流してしまうほど嬉しかった。

 とはいえ、その優しさは好きな人を失った虚しさを埋める事は、流石に出来なかった。ただ優しいだけ。


「……じゃあ、するよ」

「何を?」

「——恋愛相談」

「……ああ、付き合ってやるよ」



「何で今日に限って寝ちゃうんだよぉおおおおおおおっ!」


 私はまるで失恋したかのように涙を流し、駄々を捏ねるようにジタバタと床で暴れながらそう嘆いた。


「……いつも寝てんじゃねーの?」


 私の嘆きに対して、杏香は明日河くんに食べてもらう予定だった弁当を食べながら、興味なさそうにそう告げた。


 ——そうやって私は、今日も杏香に恋愛相談をして現実逃避するのだ。恋の相手は……もうこの世には居ないけれど。

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