第XIX話 人の夢は儚く
サキが去った後、俺はこの遊園地の関係者にも関わらず、まるで泥棒のように門をよじ登り開園前の遊園地へ入っていった。
開園前の遊園地はもう見慣れてはいるものの、今日は何故か新鮮味を感じた。いつもは何とも思わない……どちらかといえば若干来るのが億劫だったこの場所が、今は安堵のため息を吐けるほど安心出来る。とはいえこのまま立ち止まっているのもアレだからと足を一歩踏み出した、その時だった。
「あれ、明日河?」
「あ……おはようございます」
遠くから俺を呼ぶ声。それは副支配人の高辻さんであった。
普段は咲希が異様に絡んでくる為、逆に他の人とは関わりが薄い。話す事があるとすればあくまで仕事関係の話であって、人として会話をする事はない。高辻さんも人当たりの良い人ではあるが、殆どシフトに関する会話しかした事がない。
高辻さんはここに勤める従業員全員の出勤時間と退勤時間を把握しているからこそ、出勤時間よりかなり早くこの場所にいる俺に声をかけたのだろう。
「珍しいな、まだ出勤時間まで1時間以上あるぞ」
「今日はちょっと早く出勤しようかなと」
「うーんそれは良いんだけどさ、ならせめて制服は着てこような」
「……あ」
高辻さんに言われ、俺は自分の格好がパジャマのままだという事に気付く。あの時はかなり切羽詰まってて、とにかくあの場から抜け出したかったから着替える余裕なんて微塵も無かった……なんて、社会ではただの言い訳となってしまうのだ。
「普段しっかりしてる明日河がこんな天然ボケするとはちょっと意外だな、確かオフィスに予備の制服があったと思うからサイズ合わないかもだけど今日はそれ着なよ」
「あ、はい」
そんな会話を終えると高辻さんはどこかに、俺はオフィスへと向かっていった。
〜
今日の仕事は色んな意味で最悪であった。良かった事を強いて挙げるとするのなら、水希の顔を見ることが無かったという事くらいだが、それに伴う代償が酷すぎた。
結果的に会う事が無かったとはいえ、いつ水希が目の前に現れるかがわからない、もしくはどこで見られているかわからない事への恐怖から仕事は上手くいかず、そのくせに……いやそれ故に行う全ての事柄に神経を使い、やたらと体力と精神を持っていかれ、朝飯も食べていないので常に空腹状態。
昼休憩になる頃にはもう、まるで残業を数時間したかのように疲労困憊状態であった。更にここで運が悪く……。
「あ……明日河くんっ!」
あの件から一夜明け、どこか垢抜けたように見える咲希が俺に話しかけてきたのだ。何でよりにもよってこんな時に。
「……なんですか」
「あのさ、今日お弁当作ってきたんだけど、作り過ぎちゃったから食べてくれない……かな?」
そう言って、咲希が懐から取り出したのはおせちでも持ってきたのかと思うほどデカい弁当だった。作り過ぎたというにはあまりにもデカ過ぎる上、わざとでもないとあり得ない量であった。
自意識過剰だと言われるかもしれないが、昨日咲希は俺のことを“異性として好き”だと言っていた。自分がどれだけ狂った事をしていたかを自覚した今、改めてどうやって関わればいいのか分からず、さしずめ関わる口実という事で“作り過ぎた弁当”なのだろう。
正直言うと今はとてもお腹が空いている。多分この弁当の8割は食える。だが1分1秒も惜しいこの休憩時間を食事に費やしていいのだろうか……そんなどうでもいい葛藤を繰り広げた結果、俺はある結論に辿り着いた。
「すいません、今日の昼休憩は寝るつもりなんで」
ただでさえ疲れている体に加えてどうでも良い事に脳を使ったからか、俺は目の前がクラクラしてきて“食事どころではない”と判断し、無意識にそう告げてそのままデスクに倒れるように眠った。
その後は不思議と1時間後に起き、若干の疲れはありつつも普通に仕事をこなせた……午前中の調子が嘘のように。
◇
いつもより早く出勤したということで、それに伴って退勤時間もいつもより早く、気が付けば俺は退勤していた。
「いつもの感じで思わず出てきたが……これからどうするか」
ワクワクしながら遊園地に入っていく客を見つめながら俺はそう呟く。
今はサキも居ないし、手荷物も携帯以外は何もかも家に置いてきたままだからバスにも乗れないし、仮に歩いて家に帰るとしてもそれなりに時間がかかるし、水希には俺の家の場所がバレている。流石にあれからずっと俺の家にいるという事は無さそうだが、少しでも可能性があるのなら避けた方がいいだろう。
プルルルルル。
「うぇぁっ!?」
突然の着信音に驚きつつ、俺はポケットから即座に携帯を取り出して電話を出た。毎度電話に出る度に思うのだが、通話の相手を確認するのを毎回忘れるのは自分でもどうかと思う。
「もしもし」
『——ワタシ、メリーさん』
「ッ!?」
電話の向こうから、聞き覚えのあるセリフと嫌でも脳裏に焼き付いてしまっている声が聞こえてきた。俺は反射的に後ろへ振り返ると……。
『今、あなたの後ろにいるの」
「みっ、みず……」
目の前に居た女の名前を口にした途端、突然腹部の辺りから温かいものがジンワリと広がっていくような感覚と、力が抜けていくような感覚に襲われる。
「がはッ……!」
その後だった。自分の口から赤い液体を吐いてから、温かい腹部にある異物感に気付いたのは。
ぼやける目を下に向けると、俺の腹部にはどの家庭にもあるような調理用の包丁が突き刺さっており、それを握って俺に向けて突き刺したのは紛れもなく目の前の女……水希であった。
視界がぼやけ始め、俺は立っていられなくなってそのまま水希に向かって身体を倒していった。すると水希は俺の身体を受け止め、まるで体内に残っている血を全て絞り出すかのように強く、強く抱きしめてきた。
「……最初からこうすりゃ良かったんだ」
「水……希……おまえ……」
「どーせオレは捕まる。だからさ……」
水希は低い声でそう言うと俺の口から流れてくる血を舌で舐めとり、そのまま自身の唇を重ねてきた。お互いの口の中で生温かい俺の血と水希の生温かい唾液が混ざり合い……そんなタイミングで、意識が段々と朦朧としてくる。
「最期くらい良いよな……?」
「……うぅ……ぁ……」
「たす兄……大好きだったよ」
「きゃあああああああああ!!!」
耳元で囁かれる水希の声と誰かの悲鳴を最期に、俺の意識は完全に消えてしまった。
死んでも悔いはない。
生きてても希望なんてない。
生きていたいとは思わない。
でも自殺する気もない。
——だからって、こんな最期は無いだろ。
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