第XVIII話 似て非なる

 俺はふと目が覚めた。目覚まし時計を見ると、時刻は普段俺が起床する時間よりも1時間以上早い6時頃であった。

 普段仕事で体が疲れ切っているにも関わらず、目覚まし時計が鳴る前にこうして目を覚ましたのは実に久々である。そして隣には何故かサキが眠っていた……クローンに睡眠なんて必要あるのか?


「——あら、こんな時間に貴方が起きているなんて意外。意外過ぎて風邪引きそうだわ」

「何で俺の隣で寝てんだよ」

「ここがスリープモードになるのに最適な場所だからよ。残念だったわね」

「どうでもいい。今日は早く出る」


 俺はそう告げるとそのまま起き上がり、サキを跨いでベッドから降りる。


「今日って早番だったかしら?」

「……」

「何か言ったらどうなのかしら。同居人として、個人のスケジュールは共有するのが当然じゃないかしら」

「——今日、インターホンが鳴っても絶対出るな」

「え?」

「いいな、絶対だぞ。出たら死ぬと思え」


 俺は焦るようにそう告げた。いつもと違う俺の態度に、サキは何かを感じ取ったのか黙り込んだ。

 

 “——明日、そっち行くから”


 昨日の水希の言葉……俺に彼女が居ると勘違いしてからのアイツは、明らかに様子がおかしかった。まるで怨みのこもったかのようなあの低い声が脳裏に焼き付いてしまって、俺は冷や汗をかくほど戦慄していた。

 あんな状態の水希と鉢合わせたら、何をしでかすかわからない。だから俺は早く家を出て、サキには悪いが今日だけは家に篭ってもらう。


「——もしかして、そんなに焦っているのは窓の外にいる女が理由?」

「……………は?」


 サキの放った言葉は俺の背筋を凍らせ、徐々に恐怖を煽った。恐る恐る窓の外に目を向けると、そこには性別までは判別出来ないが、確かに人型の影があった——と思いきや、それはゆっくりと消えていった。

 そういえば、咲希が言っていた……ここは事故物件であると。だからもしかしたら自殺した女の幽霊なのかもしれない……俺はそう思い込んだ。結局怪奇現象なんて気の持ちようなんだと。


 ドンドンドンドンドン!!!


「ッ!?」


 突如、まるで壊すかのような勢いで玄関を叩く音が響き渡った。


「ちょっと……危険よ……!!」


 サキの声を無視し、俺は内心ビビりまくりながらも足音を立てずにゆっくりと玄関へ近づき、覗き穴からドアを叩く者の正体を見ようとした……が、そこに映っていたのは、ドアを叩く者のであろう眼球であった。

 ——それはつまり、相手もこちらを見ているという事だ。


「うわぁアッ!!!」

「……おい、居るんだろ。たす兄」


 俺が思わず声を上げてしまった事で、玄関の向こうの女……水希は俺に向けているであろう声を出した。


「み、水希……」

「隣で寝てた女は誰だ? オレ、“明日そっちいく”っつったよなぁ……そんな状況でよくヤれんなオイ!!」

「違う! コイツは彼女じゃ……!」

「一人用のベッドで狭そうに二人で寝てたくせに何言ってんだ!! オレ悲しいよ……何年も好きで好きで会いたくて堪らなかったヤツが、こんな下衆野郎だったとはなぁ!!」


 水希は言葉を発する度に、玄関を強く殴りつけてきた。まるで玄関を俺に見立てているかのように。


「——いや、違ぇか……そうだ、人を変えちまうのは異性だ……ごめんなたす兄、この気持ちをぶつけんのはお前じゃなかった……オイ出てこいよこのクソビッチがァッ! オレのたす兄を汚しやがって……ぶっ殺してやる!!」


 水希は怒りの矛先を俺ではなく、顔も名前も知らないサキに向けた。


 ——皮肉なものだ。異性関係で痛い目を見た俺が、今度は痛い目に遭わせる側になってしまうとは。

 俺は裏切られたと思い込んで一方的に被害者ヅラして、水希はサキが俺を歪めたと誤解して……俺の場合と今回の件とでは似て非なるものではあるが。


「っ……」


 すると、何も言わずにサキは俺の裾をギュッと引っ張った。


「なっ、なんだよ……」

「逃げるわよ。今あの女と顔を合わせたら危険よ」

「んなのわかってっけど……!」

「まさかと思うけれど、負い目を感じている訳ではないでしょうね」

「それは……」


 サキの言葉を、俺は言い返すことが出来なかった。別に負い目とかは感じてはいないが、誤解とはいえ裏切られた者の気持ちが痛いほどわかる。自分の思い通りにならなかった、ならないからってそれを他人のせいにして八つ当たりして、詭弁をほざいて自分が正しいのだと思い込む。

 その時はそれで良いかもしれない。でもその後にあるのは、誰もいない孤独と途轍もない罪悪感だけだ。そうなってしまったら、“一人の方が楽だ”なんて強がるしかなくなって、引き返せなくなってしまう。


「もし本当にそうだとしたら、それは優しさでも情けでも何でもないわ。ただの馬鹿よ。大うつけ」

「言い直すんじゃねえよ……! 大体、逃げるってどうやって……」

「——ベランダから飛び降りるのよ」

「本気で言ってんのか?」

「この状況で嘘をつけるほど、私にユーモアは備わっていないわ」


 ベランダから飛び降りるなんて正気の沙汰じゃない、と思ったが確かに玄関から出ることが出来ないとなると、それ以外で外に出る手段はベランダしかない。さっき水希の影が見えていた窓も、開ける事は出来るがあくまで換気のためなので人がスムーズに出入りできるほど大きくはない。

 ——なんか、思わず強敵に遭遇してやむを得ず撤退するみたいなアニメとかでよく見る構図になっているような気がする。


「仕方ない……それで行くか」

「おい何コソコソコソコソ喋ってんだ!! 早くしねえとたす兄の家の玄関ぶっ壊すぞ!」

「——行くわよ」


 サキはそう告げると、俺の腕をとんでもない力で引っ張ってベランダへ向かい、俺を掴んだまま飛び降りた。更にサキは掴んでいた俺を空中で抱き寄せ、俺が地面に着地する事はなかった。


「このバイクに乗って。ひとまず貴方の職場に向かうわ」


 一方、サキはというと俺の体重も相まって足に相当な負荷が掛かっていた筈なのに何事もなかったかのようにケロッとしており、買ったのか借りたのかわからないバイクにまたがってヘルメットを差し出してきた。


「このバイクは……」

「格安で買ったのよ、もちろん私のお金でね。早く乗って」

「あ、ああ」


 俺は言われた通りサキのバイクの後方に乗り、受け取ったヘルメットを被る。するとサキは即座にバイクを走らせ、俺の職場……葉田中遊園地へと向かった。



 法定速度を遵守しながら数十分掛けて俺達は勤め先の遊園地へ到着した。流石に水希が追ってきている、ということは無かった。

 しかしいくらなんでも時間が7時頃とまだ早く、遊園地の入り口には鍵が掛かっており、一般人は入れないようになっていた。


「流石に人居ないか」

「いいえ、鍵が掛かっているだけで中には居るはずよ。貴方は一応関係者なのだから、さながら泥棒のように門を登って入ればいいわ」

「そうするしかねえな。だがサキはどうするんだ?」

「私はクローンよ? 仮に鉢合わせたとしても相手は普通の女、負ける訳がないわ」

「それ死亡フラグ……」

「とにかく貴方は自分の事だけを気にかけてなさい、それじゃ」


 そう告げると、サキはそのままバイクに跨って何処かへ走っていってしまった。流石に人間の足でバイクに追いつけるはずもなく、俺はただバイクで走り去っていくサキの背中を見つめることしかできなかった。


「——いくらアイツとはいえ、最後の会話がこれとか絶対嫌だからな」


 俺はただ一人、そう呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る