第XVII話 タスクの叫び

 咲希を下ろしたついでにレンタカーも返し、俺は夕日を背に家まで歩いて帰っていった。

 昨日までバレンタインだのくだらない行事ゆえに溢れかえっていたカップル共は激減しており、代わりに仕事に疲れたスーツ姿のサラリーマンがため息をついたり暗い表情をしていたりと、仕事先で上手くいかなかったのが窺えた。


「……昨日、か」


 俺も疲れ切ったサラリーマン達に影響されたのか、ため息混じりに小さくそう呟いた。

 咲希の狂った愛情を見せつけられたのも、残酷な現実を受け入れさせたのも——不思議なものだ、咲希の一件で色んな事があったように感じていたが、よく考えればたった2日間で、且つこうして挙げてみるとたった二つの出来事しかなかったのだ。

 まぁでも明日は公休なので、何も考えずにのんびりと暇を過ごそう。


 プルルルルル。


 突如無機質な着信音がポケットから鳴り始め、俺はスマホを取り出して電話を出る。


「もしもし」

『あ、もしもし。高辻たかつじです』


 電話の相手は、同じ職場に勤める高辻副支配人であった。


「副支配人、どうしましたか」

『いやほら、明日河今日急遽仕事休んだでしょ? だから代わりに明日出勤にシフト変更してもいい?』

「あ、はい。大丈夫ですよ」

『じゃあシフト変更しておくからね〜、失礼しまーす』

「…………はぁ」


 通話が切れたのを確認すると、俺は深いため息を吐いた。まぁ給料が減らなくなるという点だけで見れば良い事なのだが……休んだのは別に自分の身に何かがあった訳でも無ければ、そもそも自分の意思ではない為、まるで日頃の疲れが背中にのしかかるような重苦しい気分になった。


 プルルルルル。


「今度はなんだ……はいもしもし」

『——ワタシ、メリーさん。今、あなたの』


 ブツッ。


 今の俺は悪戯電話に付き合ってやれるほど心が穏やかではない為、自分の機嫌がこれ以上悪くならない為に、そして相手も不快な思いをさせない為に即座に通話を切った。

 何だか聞いた事があるような無いような女の声だったが……。


 プルルルルル。


「もうなんだよマジで……はいもしもし」

『——おい! 急に切るなよ!』

「すぐ切られるようなくだらねぇ悪戯電話するお前が悪いんだろ、大体誰だこの暇人が」

『お、おい……オレだよたすにい!』


 電話の向こうの女の声はまるで俺と会った事のあるような言葉を俺に告げてきた。聞き覚えのあるような声に俺の事を“たす兄”と呼ぶヤツは、記憶の中に一人しか存在しない。


「“たす兄”って……まさかお前、水希か」

『はぁ、良かった……オレの事憶えてくれてたんだな』


 俺の反応に、電話の向こうの女の声——水希は安心したようなため息混じりの声を出した。


 ——丹下水希。

 母親の勤め先の同僚の娘で、俺とは歳差だが早生まれだった気がするので今は17〜18歳くらいか。

 初めて会ったのは俺が小の時に母親の社内旅行について行った時だ。水希も親の付き添いで来たらしく、緊張しているようだったので子供勢では最年長だった俺が積極的に関わった結果、妙に好かれてしまったのだ。

 それから度々交流があったが、俺の高校入学をキッカケに会う機会は全く無くなってしまった。


「おー、久しぶりだな」

『ああ! たす兄が高校生になってから一切声会えなくて寂しかったんだぜ』

「そうかそうか……で、俺に何か用?」

『あぁそうだった。あのさ、オレ実は専門校に受かって通う事になったんだけどよ……これから寮で暮らすつもりが、向こうが手続きミスっちまったみたいで』


 俺はここら辺で水希の要件が何かをわかってしまって、思わず相槌を打つのを忘れてしまった。

 実は俺の家の近くには専門学校があり、少し歩くとその寮がある。そして水希は専門校に受かり寮から通う予定“だった”、そして向こう側で手続きにミスが生じ、俺に電話してきた……。

 ——ここまで条件が揃えば、どんな脳筋バカでもわかる。


「まさか……」

『悪ぃんだけどさ、明日からたす兄んちに居候させてくんない?』

「……“良いよ”って言ってやりたいんだが、ちょっと無理だな」

『えー頼むよ、頼れんのたす兄だけなんだよー!』

「そう言われてもなぁ……」

『——なぁ、もしかしてたす兄……彼女オンナがいるとかじゃねーよな』


 水希はまるで浮気を疑う彼女みたいな低い声色でそんな事を告げてきた。

 実を言うと、水希の要求を拒否している理由は別に彼女という訳でもないのに家に居候している“サキ”という存在がいるというのがある。サキは毒舌で話し相手を不快にさせる天才であるため、そんなヤツと水希を絡ませたら超が何個も付くほど面倒くさくなるのが目に見えているのだ。

 ただでさえ仕事で疲れてるのに、家に帰ってきても女同士のくだらない言い争いを聞かされるなんて、それだけで嫌気がさしてくる。


「なに彼女ヅラしてんだよ、大体俺以外に頼れる友達とか居るだろ」

『ふーん……そうやって話逸らすって事はやっぱ居るんだ、彼女オンナが』

「何でそうなるんだよ、大体俺に……」

『——明日、そっち行くから』


 水希は俺の言葉に食い気味にそう言うと一方的に通話を切ってしまった。


「アァーーーーーーーーッッッッ!!!」


 俺は色々溜まった鬱憤のようなものを吐き出すかのように、周りの目など一切気にせず裏声で叫んだ。

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