番外編 眞田咲希の試行錯誤

「ねぇえ、好きな人と関わるってどうすればいいの?」

『……久々にそっちから電話してきたかと思ったら、そんなくだらない内容かよ』


 電話の向こうの相手は、私の悩みに対してため息を吐いて呆れたようにそう返してきた。

 彼女の名前は枢木くるるぎ杏香きょうか。高校3年生の頃に同じクラスとなり、卒業した後も連絡を取り合っていた友達である。しかしたすくんが自殺したあの日から一切連絡を取っていなかったので、こうして話すのは4年振りだ。


「くだらないとか言うなぁあっ! こっちは本気で悩んでるんだからさー!」

『つーか何でアタシなんだ? もっと他にいんだろ』

「いやー恋する乙女なら杏香かなって」

『何が“恋する乙女”だこの野郎、こっちは初彼氏で酷ぇ目に遭ってんだぞ』

「でも急にイメチェンして清楚系になったでしょ? あれって好きな男が出来たからだと思ったんだけど」


 実は杏香は当時悪名高い不良グループのリーダーと付き合っており、その関係で杏香もガラの悪いヤンキーになっていたのだ。しかしある日を境に、金だった髪を黒に戻し、改造を施して乱れまくっていた制服もわざわざ買い直して……所謂“清楚系”になったのだ。なので口調が少し荒いのはヤンキーの頃の名残である。

 当時、私の通っていた高校ではかなり話題になっていた。杏香が清楚系になった時はまだ友達ですらなかったが、その話だけは知っている。

 噂では不良彼氏と別れて、新たに好きな男子が出来たとか言われていたけど……。


『ばっ!? お、お前そんな訳ねーだろーが!』


 ——どうやら噂は本当っぽい。


「まぁとにかく、色んな人と付き合ってきた杏香なら何かわかるかなって」

『アタシがビッチみてーな言い方しやがって……まぁ、咲希が本気で悩んでんなら付き合ってやるよ』

「いやごめん女には興味ないの」

『そーゆー事じゃねーよ!! 悩み相談に付き合ってやるって事だ馬鹿野郎!!』

「あはは……冗談だよ」

『にしても何か意外だな、あんな弟の事しか目が無いブラコン女だった咲希が恋愛とかさ』

「……」

『——悪ぃ、口が滑った』


 杏香は私の沈黙で“弟”に関する事に触れてはいけない事を察したのか、咄嗟に杏香なりの謝罪をしてきた。


「ごめん……今はそれに触れてほしくないかも」

『いやいいんだ、触れてほしくない事なんて誰にだってある。アタシも自分がヤンキーしてた頃の話とか触れてほしくないしな』

「……ごめん」

『——ま、お互い様っつー訳でさ。そんで、咲希の好きな男ってのはどんなヤツなんだ?』

「うーん、若い人特有の勢いが無くて、真面目で、それから……」


 私は彼の人物像を挙げてみるが、こうして口にしてみると面接の時も色々な事を聞いたにも関わらず、私は彼の事を殆ど知らなかったのだと気付かされる。

 ——こんなにも彼に対して特別な感情を抱いているのに、彼を思う度に熱くて切なくなるのに……凄くもどかしい。大体、何で思い浮かぶ印象が“若い人特有の勢いが無い”と“真面目”なんだ。


『なーんか釈然としてんな……じゃ、ソイツはなんて名前だ?』

「……明日河、侑」

『おぉ……歳は?』

「今は19。今年で20歳になるみたい」

『——まさかと思うが、その侑ってヤツを自分の弟と同じ感じで接してるとか無いよな』

「……」

『お前マジか』


 私の沈黙はつまりそういう事だと察した杏香は、呆れているようなドン引きしているような声でそう言った。

 因みに杏香はたすくんが自殺してしまった事は知らない。高校を卒業して2年後、私達が20歳になった頃に起こった出来事だから。そう思うと、あれからもう4年経つのかぁ……明日河くんと出会うまでは生きた心地がしなかったけど、それでも案外時間って経つの早いんだなぁ。


『いくらなんでもヤバいだろそれ……相手、表に出さないだけで内心引いてると思うぞ』

「だから杏香にこうして聞いてるんでしょ」

『……おい、それって遠回しにアタシをディスってないか』

「マイナスになった好感度をプラスにするってどうしたらいいの……」

『知るかよそんなの。男はオタクばっかだからラブコメ読みまくってヒロインっぽく露骨で思わせぶりな事してりゃそのうち戻んじゃね』

「例えば?」

『そうだな……まずは小さい事からだ。例えば昼飯に誘うとかその程度で』

「出来るかなぁ」

『それすら出来ねえならあきらメロンって言うしかねえな』

「わかったやってみる!」

『切り替え早』



 翌日!!


 私は明日河くんをお昼ご飯に誘う為にある高等テクニックを使う事にした。

 ——名付けて、“弁当作り過ぎちゃったから食べて作戦”ッッッ!!

 明日河くんは嫌いなはずの私に現実を受け入れさせて前に進ませようと助けてくれた。その優しさを利用……っていうと言い方悪いけど、それで一緒に誘うのだ。こちらから“食べて”とお願いすれば向こうも“仕方ないか”って思って食べてくれるに違いない。

 そんな思いを胸に秘め、わざと弁当を多く作って迎えたお昼休憩。


「あ……明日河くんっ!」

「……なんですか」

「あのさ、今日お弁当作ってきたんだけど、作り過ぎちゃったから食べてくれない……かな?」

「……すいません、今日の昼休憩は寝るつもりなんで」


 そう言うと、明日河くんはデスクに伏せてそのまま眠りについてしまった。



 ——その日の夜。


「何で今日に限って寝ちゃうんだよぉおおおおおおおっ!」

「……いつも寝てんじゃねーの?」

「わかんない。明日河くん、昼休憩の時はどこかに姿を消してるから……だから居なくなる前にって思って声掛けたのに」

「で、大好きなアスガワくんの為にわざと多く作った弁当をアタシに処理させてるって訳か」


 だらしなく胡座をかいて、私が作った明日河くんの弁当を何の躊躇もなくバクバクと食べている杏香。新たなアドバイスを直接聞く為にわざわざこうして足を運んできてもらったのだ。

 まぁ、この弁当は処理させてるというかそれらの理由の交換条件的なヤツである。


「……ところで弁当、美味しい? 一応全部私の手作りなんだけど」

「え、全部手作りなの?」

「当たり前でしょ。本当大変だったんだからね、改めて母親の凄さと子供に“弁当いらない”って言われる切なさを感じたよ」

「いや、どこの家庭も殆ど冷食だろ。今時の冷食は時短になるし美味いし」

「えー……そうだったんだ、何か裏切られた気分」

「純粋だな咲希は」

「杏香が不純なんだよ」

「あ?」

「冗談だよ」

「つーかタバコ吸っていい?」

「良いけど、やっぱ不純じゃん!」

「まぁ肺は確実に真っ黒だろーな」


 杏香は慣れた手つきで一本のタバコにライターで火をつけると、それを口に咥える。煙と同時にタバコ特有の体に悪そうな匂いがあっという間に部屋に充満する。

 タバコの匂いは好きじゃないけど、両親が吸っていた事もあってもう慣れてしまった。


「ていうか食事しながらタバコって……」

「やる人はやるだろ。確かに行儀悪ぃけど」

「美味しいものも不味くなっちゃわない?」

「少なくとも弁当これは美味しいって感じられるから大丈夫だろ」

「えっ、あ……そう? なら良いんだけどさ」


 本人は無意識かもしれないが唐突に自作の弁当が美味しいと褒められ、私は驚くと同時に照れてしまって視線をずらした。

 杏香が男みたいな口調なのも相まって、何だか擬似的に明日河くんに褒められているような感覚がしてしまった。


「んで、これからどーすんだ? 明日も昼飯誘う作戦すんのか?」

「えっ、えーっと……“弁当作り過ぎちゃったから食べて作戦”って、1回目は良いにしても2回目は重くない?」

「まぁ懲りずに誘うっつーのは悪くねーと思うけど……っつーか何だその作戦名、24の女が考えたとは思えねーな」

「ま、まぁまだ若々しいって事で」

「痛々しくて見てらんねーんだよ」

「初彼氏と付き合ってた時の癖が根付いちゃって清楚系に戻ってもなお直らない杏香にだけは言われたくないよ」

「お前なぁっ……」


 杏香は私の言葉に対して明らかに怒ってムッとして何か言い返そうとしたが、何故か途中で止めてそれを誤魔化す為なのか深いため息をタバコの煙と共に吐いた。


「——まぁ、綺麗なものを汚すのが性癖みたいなヤツを初めての彼氏にすると碌な事無えって事だ。だから咲希もアタシを反面教師にして、ちゃんと男を見極めろってこった」

「明日河くんは、そんな人じゃないと思うよ」

「アタシはそのアスガワくんを知らねーからな。会った事もねーヤツの事を聞いた話だけで理解出来るようじゃ、人間同士の三角関係いざこざなんて起きちゃいねーよ」

「け、経験者は語る……ッッ!」

「まぁな」

「あ、ホントなんだ。冗談のつもりで言ったんだけど」

「ロクでもねー奴と連んでりゃ浮気やレイプ、NTRにDVなんざ茶飯事だからな」

「な、何を見てきたの……」

「——人間の、悪意という悪意を煮詰めて凝縮したみてーに醜いトコ」


 杏香は私の方に目を向けずにそう告げた。その時の声色は先程と比べて低く、杏香が見てきた光景がどれほど醜悪なものだったのかを物語っていた。

 しかし私は何故かその時の杏香の絶望したような表情が、普段見ている明日河くんの表情と同じように見えたのだ。もしかして明日河くんに若者特有の勢いが無いのは、杏香と同じく人間の悪い部分を沢山見てきたからなのだろうか。

 ——不覚にも“杏香と明日河くんって相性良さそう”と思ってしまった。


「っ……」

「どーした咲希? 何か険しい表情してっけど」

「えっ!? いやっ、何でもないよ!」

「まぁアタシのゴミみてーな話聞かされりゃそんな顔にもなるだろーが……何焦ってんだ?」

「べ、別に焦ってなんか」

「ふーん……でもアタシらはそろそろ焦ったほうがいいかもな」

「何で?」

「周りの奴ら見てみろ、みんな彼氏居たり結婚したりしてんじゃねーか。アタシにベッタリだったヤツも今は夫にベッタリだからな」

「そうなんだ……まぁ私達は慎重って事だよ。ほら、結婚するとお互い本性が明らかになって〜とかあるし!」

「あぁ、早く結婚したヤツにありがちなヤツな」

「そうそう! だから好きな人は居るけど結婚はまだ良いかなーって思うんだよね、確かに明日河くんは悪い人じゃないっていうのはわかってるんだけどさ」

「まぁ男ってのは大体女の前だと自分をよく見せようとしてカッコつけるからなー、ボロが出るまで根気強く待った方がぜってー良い」


 ——なんて、こんな感じで段々と話が逸れに逸れていき、ある程度時間が経った後に何の話をしていたのか忘れて、杏香が帰った数分後に思い出したりするのだ。嫌な事……は多い訳ではないけど、それでも色んな事を忘れて何の躊躇も気遣いもせずこうして友達と何気ない上に中身もスカスカな話をして笑い合って、ついでに愚痴なんかを吐いたりして……そんな時間が一番楽しいんだなぁ、と思った。

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