第XVI話 姉としてのタスク

 雲一つない、と言えば話を盛る事になるが、無いと言えばそれはそれで嘘にもなり得る……そんな複雑な人間の心を表しているかのような空の下で、俺達は花束と線香を手にとある墓場に出向いていた。

 ——そう、ここは自殺した咲希の弟……“たすく”が眠る場所だ。


「……」


 自分の弟の墓を前に、咲希は気まずそうに黙り込んでいた。大切な弟の死を認めたくないが故に今までここに足を運んでこなかったのだ……今更なんて声を掛ければいいのか、わからないのだろう。

 そもそも何故俺が同行しているのかというと、墓のある場所が咲希の住むアパートから割と離れていて移動手段が無いというのと、咲希自身に一人で行く勇気が無いという事で仕方なく着いてきたのだ。咲希はこの歳で運転免許を持ってないらしく、俺がわざわざ新車らしきレンタカーを借りてここまで車を走らせたのだ。まぁ、お金は咲希が出してくれたので俺の出費はゼロだったが。


「……ねぇ、たすくん」

「……」

「ねぇ、ねぇってば……何か言ってよ、たすくん」

「……」

「ここに居るんでしょ……何でもいいから喋ってよ……!」


 咲希の声は震えていた、まるで独りぼっちの子供のように。しかし咲希の弟と俺の名前が同じだから、果たして咲希はどっちに向かって話しかけているのかがわからない。

 どちらにせよ、俺は無言を貫く。ここで俺が口を開いてしまえば、咲希はまた俺という存在へ逃げて真実から目を逸らす。真実と向き合わせる為にも、俺は絶対に手を差し伸べてはいけないのだ。大体送り迎えも買い出しにも付き合ったのだから、それで十分だろう。

 ——というか、何で俺は嫌いな女に対してここまでしているんだろうか。こんな事したって自分に何の得も無いというのに。


「——怒ってる、よね。心を救ってあげられなかった挙句、ずっと会いに来なかった姉なんて……わかってるよ、あれから数年経ってるもん……今更だよね」

「……」

「……私、たすくんが居なくなってすっごく辛かった。苦しかった。なんていうか、生きた心地がしなかった」

「……」

「でも、本当に辛かったのは……たすくんだよね。助けて欲しかったのに……“大丈夫?”の声が欲しかったのに……両親からは受験の話ばかり、私もたすくんが思春期だったり反抗期だからって変な気を回して話しかけなかった」

「……」

「こんなの、全部言い訳だよね……でも、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないよ……“心配掛けたくない”なんて強がらないでもっと頼ってよ……だって私は世界でたった一人の……たすくんの頼れるお姉ちゃんなんだから」

「……」

「——ごめんね。何もしてあげられなくて……こんなに遅くなって……寂しかったよね」


 瞳から涙を溢しながら自分の弟に話したかった言葉を墓石に告げる咲希を見届けると、俺は隣にそっと線香と花束を置くとその場から去っていった。

 


「はぁ……」


 新車特有の独特な匂いが漂うレンタカーの中で、俺はひとりため息を吐いた。

 俺が場を立ち去った理由……それは、あの場において俺が居る理由は無いと判断したのと——“姉”として弟に謝る咲希の姿を見たくなかったのだ。咲希の発言全てが、まるで俺に告げているかのように感じてしまったのだ。

 咲希が俺を弟と重ねるどころか同一視しているのと同じように、もしかしたら俺自身も咲希の事を姉である瀬里香と重ねてしまっているのかもしれない。改めて考えてみると、俺達と咲希達……双方の姉弟は少し境遇が似ているような気がする。

 もし俺が自殺をしていたら、瀬里香は咲希のように自責の念に駆られ狂ってしまっていたのだろうか?


「——無いな」


 俺はため息混じりに、自分以外誰も居ないのを良いことにきっぱり言い張る。

 瀬里香にとって俺はただ血の繋がっている年下というだけの存在だろう。それに瀬里香はテレビに引っ張りだこの現役アイドル……で活動休止なんてできる訳がない。いや活動休止しようがしまいが好感度は上がるし、同情もファンから貰えて結果オーライ……結局アイツにとって俺は便利な肥やしという訳だ。

 そんな時、レンタカーの扉が開かれる。どうやら咲希が一通り終えて戻ってきたようだ。


「……おまたせ」

「どうだ、ちゃんと言いたい事は言えたか」

「うん……まぁ、たすくんに届いてるかどうかはわかんないけどね」

「——これからは定期的に会いに行けよ、例え用事が無くてもだ。弟にとっては姉が会いに来る事そのものに意味があるんだからな」

「うん」

「じゃ、帰るぞ」


 俺はそう言うと、咲希の家へ向かって車を走らせた。来る時も思ったが、やっぱりたかが数日車に乗らなかったからといって運転のノウハウを忘れるなんて事は無く、いつも通りに車を運転できるもんなんだなぁと感じた。


「あ、あのさ……」

「なんだ」

「これから君のこと、なんて呼べばいいかな」


 運転中、突然咲希はそんな超どうでもいい事を聞いてきた。今まで咲希が俺を“たすくん”と呼ぶのは弟が死んだ現実を受け入れたくなかったからであった。しかし敢えてこうして聞いてくるということは俺を“たすくん”と呼びたくない……つまり、咲希は現実を受け入れて前に進もうとしているのだ。

 俺からすればどうでもいいのだが、本人からすればそうもいかないのだろう。


「別に、原型留めてないニックネームとかじゃない限りなんだっていい。普通にとかでいいんじゃねえの」

「そっか……じゃあこれからそうするね、明日河くん!」

「……うい」

「な……何か変な感じ」

「まぁ、本来はこんな感じで苗字で呼び合うんだろうな……変なのは俺達だ」

「そういえば、いつの間にか敬語じゃなくなってるよね」

「それは……今の俺達は上司と部下じゃなくて、完全なプライベートだからな。プライベートでも社交辞令マシマシなんて御免だしな」

「そうだね、私もその方が嬉しい。なんていうか明日河くんの知らないトコ知れてるみたいで」

「俺はもう弟じゃ……というか、最初から違うんだが」


 俺は咲希の発言に対してそう返す。

 もう現実を受け入れた咲希が完全な“赤の他人”となった俺に優しくする理由なんてもう無いはずだ。確かに上司と部下という関係はあれど、それこそ今はお互いプライベートなのだから尚更。


「多分さ……私、弟として接していくうちに明日河くんのこと、異性として好きになっちゃったのかもね。だから“嫌い”って言われた時は本気でショック受けたのかも」

「……ふざけんな、お断りだ」


 俺は咄嗟にそんな言葉を放って咲希を振る。

 まぁ結局一人である事に変わりはないから、心には穴が空いたままなんだよな……だが確かに真実を受け入れろとは言ったが、いくらなんでももう少し弟を引き摺ってもいいんじゃないのか? 

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