第XV話 弟狂いの盲目女

「——これのどこがって言えるのぉ!? こぉんなに真面目で可愛くて優しいたすくんが、たすくんじゃない訳無いよ!! たすくんは紛れもなく私の弟なんだよ!!?」


 ずっと俯いて表情を見せなかった咲希は、その顔を上げて俺をその目で捉えると感情のままに言葉を放った。

 俺を見つめるその瞳は人間全てに備わっている“醜さ”とは違う、その瞳にある底知れぬ闇と純粋なる光が混合していた。目の前に存在している俺をちゃんと見ている筈なのに、まるで認識していない……例えるならば、テレビの中のヒーローは実在していると信じている純粋な子供が真実を告げられた時のような絶望のクロと、自分の夢を壊したくない為に真実を否定する頑固な希望のシロが入り乱れた中間色……グレーのようだ。


 ——じゃあ極論、名前と年齢が同じで性格は真面目で優しけりゃ誰だっていいって事じゃないか。


「そう……たすくんは私の弟だから……きっと辛い事も何もかも一人で背負い込んじゃうんだ……心配かけたくないからって、誰も巻き込みたくないからって自分で自分を追い込んで……最終的に、自分と周りの人にとって一番辛い選択をしちゃうんだ」


 咲希は濁った瞳を見せて狂気じみた発言をしたかと思いきや次の瞬間には再び俯き、少しの力でも崩れてしまいそうなほどに弱々しく震えた声でそう呟いた。

 何故ここまで弟に対して粘り強く執着するのか……なんとなく察してはいたが、今の発言で確信が持てた。

 咲希の弟は学校や何処かで虐めに遭っていた。だが咲希が言ったように、自分が酷い目に遭っている事を誰にも言わず黙っていた。吐口が無く溜め込んでいく内に、取り返しのつかない所まで来てしまって打ち明ける事も出来なくなり、それによって心が摩耗し……という事なのだろう。

 どちらかと言えば頼られたい性格の咲希からすれば“どうして言ってくれなかったんだ”と思うのも、“もし自分がもっと寄り添っていたら”という自責の念に駆られるのも当然である。姉として弟を守ろうとしていたつもりが知らない間に気遣われ、そして手遅れになった時に気付かされる。

 ——どうにかしてあげたい。でも既に手遅れだからどうしようもない……そんなやるせなさが、咲希を狂気に捻じ曲げてしまったのだ。


「……お前の気持ちは、よくわかった」

「ほんと……?!」


 俺の発言を聞いた咲希は濁った瞳をぱあ、と明るくさせて澱みのない希望に満ちた瞳で俺を見上げた。


「俺を弟にしようとするのは、かつての弟にしてやれなかった事をする為」

「うん……! もう大好きな人が居なくなるの、嫌だから……きっとまだまだまだまだ足りなかったんだよ……もっともっと寄り添ってあげていれば、絶対に自殺なんてしなかった筈だもん……!」

「——だったらお前は別人の俺と血の繋がった亡き弟、どっちを大切にしたいんだ?」

「…………えっ?」


 俺からの問いに、咲希は希望に満ちた表情から一転して困惑と絶望に満ちた表情に変わった。

 咲希は名前と年齢という共通点から亡くなった弟と俺を重ねて見ている、それは勿論理解している。だが同時に血も性格も何もかも違えど同じ弟だからこそ、咲希の弟の“侑”がどんな思いで生きて、どんな苦しみを経て自殺に至ったのかも何となく理解できた。


「なぁ、自分にして欲しかった事を何処ぞの知らない奴にして笑ってる姉を見て、天国の弟はどう思ってんだろうな」

「……?」

「少なくとも俺は嫌だ。お前は弟という存在が居るだけで満たされていたのかもしれないが、弟はそうじゃない……例え親や姉が居たとしても、会話が無ければそれは孤独と一緒なんだよ」


 俺は自分がかつて味わった過去を交えて咲希にそう告げた。

 毎日仕事の愚痴の言い合いから喧嘩に発展する両親。そんな親とはもちろん会話なんてしたくないし、したところで結局は自分に飛び火するだけ。

 夢を追い、そして夢を与える為に俺を置いていった姉。昔は喧嘩する両親から逃げるように二人で一緒に部屋で遊んでいたが、アイドルのオーディションに受かってからはそっちの方が忙しくなって遊ぶ機会が無くなった——という、そんな事情を抱えた俺の過去。


「だっ……だって、あの時は関わってほしくなさそうだったから……無理に関わらない方が良いのかなって」


 俺の過去を何気なく明かすと、咲希は弟との日々を思い出したのか今にも泣きそうな表情でそう告げた。妙に話が噛み合っているのが物凄く不思議で仕方ない。

 しかし弟の意思を尊重した事でそんな結果を迎えてしまったのだから、そりゃ多少本人の意思を無視してでも過保護になるのも納得だ。


「だからこそ……大切にするべきは弟と共通点の多い俺じゃなくて、亡くなった弟なんじゃないかって事だ」

「……もう、遅いよ。今たすくんが言ったんじゃんか、今更どうしたって」

「墓参りとか、それくらいできるだろ」

「そんな事で姉として何も出来なかった私が許される訳……!」

「——弟の死という事実から逃げて、意地でも俺を弟に仕立て上げて自分の欲を満たそうとしてる今のお前の方がよっぽど許されないだろうが!!」

「ッッ!!」


 咲希はまるで自分の犯してきた罪に気付いたかのように目を見開き、そのまま膝から崩れ落ちていった。ふと、俺は今の時間を確認する。

 ——時刻は昼を過ぎており、14時頃だった。


「今日は晴れてて、平日だからこの時間帯は人も少ないだろ。行ってきたらどうだ」

「い、行けないよぉ……」

「弟に色々言いたい事、謝りたい事……沢山あるんだろ」

「で、でもぉ……」

「行ってこい。墓石に感情ぶつけても虚しさしか残らないかもしれないが……そこには確かにお前が大切に思ってた弟が眠ってるんだ。もしかしたら、大好きな姉をずっと待ってるかもしれないだろ……!?」


 その場に崩れ落ち、行く姿勢を全く見せようとしない咲希の二の腕を掴み、俺は彼女を弟の墓参りに行かせようと促す。


「……っ」

「——そろそろ向き合うんだ、現実と」


 いよいよ決心が着いたのか、咲希は無言で立ち上がるとそのまま急ぐように玄関へと向かっていった。ガチャガチャと施錠を解除するとそのまま鍵も掛けずに家を飛び出していった。

 そんな咲希の後ろ姿を見送った……その直後、まるで図ったかのようなタイミングでテーブルの上に置かれていた自分のスマホから着信音が鳴り始める。


「……もしもし」

『仕事中だったかしら』

「サキ……」


 電話の相手はサキだった。そういえば流れてしまっていたが、帰るなら今がチャンスなのではないか? だがもしその場合、俺はこの家の鍵を持っていないので泥棒入り放題になってしまうのだが……。


『まぁ電話に出ているという事はサボっていたのでしょうけど、まぁいいわ。一つ確認しておきたい事があるのだけれど』

「なんだ」

『今日はちゃんと帰ってくるのよね』

「そのつもりだ。まさか俺が恋しくなったとか言い出さないよな」

『吐き気を催すから自惚れるのは大概にして頂戴。晩御飯の支度とかがあるから聞いているの。せっかく作ったのに貴方が帰ってこなかったらムダじゃない』

「……そうかよ」


 俺は心底怠そうにそう答えた。

 ああ、そういえばサキはこんな奴だった。隙あらば毒を吐いてくるような最低な女だった。それでいて更に自意識過剰なのだから性格に関しては非の打ち所しかない。


 ——咲希先輩は確かに弟だと思い込んだ相手に対しては狂ってる程に過保護ではあるが、根本にあるのは純粋な善意だから、こうして悪意の権化であるサキとは対照的なんだなぁと感じた。

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