第XIV話 侑
——“もう私の前から、居なくならないで”。
玄関に細工して出れないようにしたり、落ち着かせる為に頭を殴って気絶させたりと少し手荒な手段を行使してきた咲希だが、それらの行動の限度を考えるとその言葉が本音であるというのが理解出来る……だが。
「——何で俺なんですか」
胸の片隅にあった疑問を、まるで拘束するように抱きしめてくる咲希に問う。
咲希の目的は俺を弟にする事……だが、他にも俺よりも弟に相応しい奴やイケメン、性格の良い奴だって居たはずだ。そんな中で何故いくらでも代わりがすぐ見つかるような俺を選んだのかが不思議で仕方なかった。まぁ理由を明かされたところで俺の咲希に対する思いが揺らぐ事はないのだが……いやこの疑問自体、もしかしたら俺の承認欲求なのかもしれない。
「その質問の仕方……“他に代わりは幾らでも居るのに”って思ってるでしょ」
「……ああ」
「代わりなんて簡単に見つからないよ……たすくんと出会った時、運命だって思ったくらい。だから他の誰かじゃなくて、たすくんじゃなきゃ駄目なの」
「だからどうして俺に拘る……?」
「——実はね、私には弟が居たの。真面目で可愛くて……そして、凄く優しい弟が」
「弟……」
咲希が突然明かした“弟”の存在。
俺はてっきり、咲希は一人っ子で寂しいから弟という存在を欲しているんだろうと思い込んでいたが、どうやらそういう訳では無いようだ。咲希の言動から察するに、彼女は相当弟を慕っているようだが……その割に、この空間には弟との思い出を感じられるような物が何一つ無く、写真の一枚すら無いのが不思議だ。
「じゃあ尚更、俺が弟になるなんて無理だ。一人の弟に寄り添ってやってくれ。今頃、姉が居なくて寂しがってると思うから」
かつて姉の不在によって寂しい思いをしたからこそ俺はそう言って、抱きしめてくる咲希を離れさせようと二の腕を優しく掴み、自分の体から剥がそうとする。
「——もう……居ないんだ」
「……っ!」
「数年前に……家で首を吊って自殺したんだ、たすくんは」
「え……それって」
「もし今も生きてたら、今年で20歳だったんだよ」
「……まさか」
恐らく今の俺は驚いているような表情をしている事だろう。
真面目なのは表向きだけで可愛くもない、優しいどころか捻くれまくっている思想を持つ……咲希の慕っていた弟とは真逆といって差し支えない俺を、なぜ咲希は弟に選んだのか。
「——弟の名前は
「……」
“代わりなんて簡単に見つからないよ……たすくんと出会った時、運命だって思ったくらい”
あの言葉は、そういう事だったんだ。確かに弟に対して思い入れの強い咲希であれば、俺の履歴書を見て“運命だ”と思うのは当然である。だって溺愛する弟と同じく“
“んぅ……たすくん……置いていかないでぇ……”
それを踏まえるとバス内にて寝落ちしていた時のあの寝言は、先にバスを降りてしまう俺に対してではなく、自殺という形で自分よりも先にあの世へ逝ってしまった弟に対しての言葉だったのだろうか。
「——俺には、無理だ」
「えっ、なんで……? たすくんは私の側に居てくれればそれで良いんだよ……? 無理して弟を演じる必要も無くて」
「お前はそうやって名前も年齢も同じ俺を弟として接する事で、弟を失った事で心にぽっかり空いた穴を埋めようとしたいだけだろ」
「それは……」
「そりゃ大好きな弟と名前も年齢も同じなんて奇跡的な一致をしてる人間が居れば、居なくなってしまった弟と重ねてしまうのも無理はないと思う」
「……」
「でも逆を言えば共通点はそれだけだ、姿形も考え方も声も趣味も何もかも。そんな奴に弟として接して、虚しくないのかよ? 本当は“何か違う”って思ってるんじゃないのか?」
「……」
「挙げ句の果てには自分の一方的な意思で実質監禁状態……不謹慎だからあまり口にしたくないが——赤の他人である俺を“弟を自殺に追い込んだ何か”から守ったって何の意味も無いんだよ」
咲希の弟が自殺した……という事はきっと生きていくのが辛くて、死んだ方がマシだと侑に考えさせた何かがあったのだろう。遺書があったかどうかはわからないが、理由も無く自殺する人間なんて居ない……それは咲希自身も理解しているはず。だからこそもう弟を自殺させない為に、こうして監禁状態にしているのだろう。
“もう私の前から、居なくならないで”
あの言葉は恐らく、自分の見えない場所で自殺しかねないという不安から出たものなのだろう。弟を守りたいという強い思いと、弟を守れなかった強い後悔が咲希という人物を狂わせたのだと思う。
「——たすくんは、優しいんだね」
咲希は暫くの沈黙の後、俯いたままヘラヘラと笑いながらも弱々しく呟いた。
「優しくしてるつもりは」
「嫌いなのに……私の事を考えてくれてる。まるで反抗期の男の子みたい」
“咲希の事を考えている”、というのは何の事を言っているんだろうか? まさかさっきの俺の発言がそれにあたるとでも言うのだろうか?
「俺はただ面倒事を避けたいだけで」
「確かに少し無表情なところはあるけど、与えられた仕事はキチンと真面目にやる……」
「……?」
「嬉しかったなぁ……安くて美味しい店って聞いた途端に身を乗り出すような勢いで迫ってきたの。あの時の顔は、すっごく可愛いって思っちゃったなぁ……」
こちらに表情を見せないまま、ずっとヘラヘラと笑いながらぶつぶつとよく分からない言葉を垂れ流す咲希は自身の手を顔に近付けると、ぴちゃぴちゃという汚らしい音が聞こえてきた。
恐らく自身の指をおしゃぶりのように咥えているのだろう。20代前半の女性が不気味に笑いながら自分の指をしゃぶっているというもはや狂気とまでいえる光景に、俺は引いているのを超えて吐き気を催した。
「ひひっ……ひひひ……」
「お、お前……どうしたんだ」
「——これのどこが私の弟のたすくんじゃないって言えるのぉ!? こぉんなに真面目で可愛くて優しい
ずっと俯いて表情を見せなかった咲希は、その顔を上げて俺をその目で捉えると感情のままに言葉を放った。
俺を見つめるその瞳は人間全てに備わっている“醜さ”とは違う、その瞳にある底知れぬ闇と純粋なる光が混合していた。目の前に存在している俺をちゃんと見ている筈なのに、まるで認識していない……例えるならば、テレビの中のヒーローは実在していると信じている純粋な子供が真実を告げられた時のような絶望のクロと、自分の夢を壊したくない為に真実を否定する頑固な希望のシロが入り乱れた中間色……グレーのようだ。
——じゃあ極論、名前と年齢が同じで性格は真面目で優しけりゃ誰だっていいって事じゃないか。
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