第17話 まだまだ続くよ、異世界生活
保養地での事件から1ヶ月後――
クレイルは紬を自分の執務室に呼び出した。
「実はね、私の姉が2歳の子供を連れて当家にしばらく滞在することになったんだ」
「はい」
「その子の世話を君に頼みたいんだけど、大丈夫かな?」
「もちろんです。お任せください」
紬はにこりとほほ笑み、前向きな返事をした。
クレイルはそんな紬に眩しさを覚える。
(この人はいつもそうだな)
仕事をすることが実に楽しそうで、人が喜んでくれるように尽くしてくれる。
そんな善良な人間が貴重なことをクレイルは知っていた。
話としては終わったが――
クレイルとしては切り出すべきことがあった。
「ところで、保養地でのことだが……」
「はい?」
「すまなかった」
そう言って、クレイルは頭を下げた。
デスクの向こう側にいる紬が露骨に狼狽する。
「え、え、え、え……どうしたんですか!?」
「君のことを疑って、厳しい言葉を投げかけてしまったからね。君がいなければ、わたしたちは全滅していただろう。私の
ずっとクレイルが伝えたかった言葉だった。
あの日から、胸に棘のように刺さっていたのだ。本来であればもう少し早く処理したかったのだが、事件が事件だけに対応に追われて、この日までずるずると来てしまった。
「い、いえ……その、当然のことをしたまでですし……クレイル様の反応も当然だったと思います」
照れているせいか、しどろもどろになりながら紬が応じる。
「だから、お気になさらないでください」
「そう言ってもらえると助かる。これからも私を見捨てず、よく仕えてくれると嬉しい。……話はここまでだ」
「失礼いたします」
そう言って、紬は執務室を辞した。
一人になった部屋で、クレイルは紬が出ていったドアをじっと見つめた。
「ふぅ」
ため息をつくと同時、自分の感情が少し揺らめいたことをクレイルは自覚する。
――謝罪を先延ばしにした理由は、忙しさのためだけではない。
むしろ、それは口実にしか過ぎなかった。現に謝罪は一瞬ですんだのだから。
本当の理由は、別のところにある。
あの日、上位者であるクレイルの問い詰めや周囲の疑心にも臆することなく己の意見を堂々と述べ、解決へと導いた。
そんな紬の様子に、クレイルは関心を持ってしまった。
異性としての関心を。
(……これはきっと、気の迷いだろう。危機的状況のせいで気が昂っているせいだ)
そう思い、クレイルは今日まで冷却期間を置いた。
そして、紬と会い――
己の素直な感情を理解した。
「やれやれ、困ったものだな……」
苦笑まじりに、クレイルがつぶやく。
公爵家の嫡男にして美男子、聡明にして剣の腕も高い。持てる限りのものを持ったクレイルはモテる人でもあった。多くの女性から好意を向けられたが、逆に自分から興味を持てる女性には今まで出会ったことがなかった。
どうやら、その初めてが起こってしまったようだ。
「さて、どうしたものか……」
メイドだから好きに手を出してもいい――そういう考えをクレイルは持っていない。立場が上の人間は行動を律するべきと考える。
(そもそも、ツムギは立場が下なのだろうか?)
聖女である怜の立場は明確にクレイルより上だ。であれば、聖女候補だった紬はどうなのだろうか?
「ううむ……」
相手が異世界人だけあって、実に考えることが多かった。
(まさか、この私が今さら10代の悩みを持つなんてなあ……)
そんなことを考えつつ、クレイルは今後のことに思いを馳せた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その数日後、怜が紬を訪ねてきた。
テーブルに向かい合って座るなり、怜がこんなことを切り出した。
「やあ、これはこれは噂に名高い救国の英雄。また会えて嬉しいよ」
「ななな、何を言っているの、怜さん!?」
「怒り狂う巨竜に立ち向かい、言葉だけで退けたのだから、そう讃えられても不思議ではないだろう?」
「冗談はやめてよ」
「うん? 冗談ではないぞ。王宮だと君のことで持ちきりだよ」
「ええええええええええええええ!?」
「王族からも面会要請が出たらしい」
「お、おうぞく……!?」
「もう少し時間が欲しい、とクレイル氏は断ったらしいけどね」
「グッジョブです、クレイル様!」
「だけど、時間が欲しいは中止を意味しない。いずれは会うんだろう、王族と」
「マ、マジですか……」
「君のことを竜の巫女なんて讃える人もいる」
「うう、うううううう!」
紬は頭を抱えた。
なんだか自分が知らないところで勝手に話題が爆発している!
「あと、貴族の婦人やメイドたちの間でも、君の噂は広まっている」
「……え、どうして?」
「君、避暑地で貴族の子供の相手をしただろう? 子供たちが君のことを大好きだと言っているのだよ」
「ほう」
「そのときの子供さばきが伝説的手並だったと語り継がれていて、ぜひ極意を伝授してもらいたい! となっている」
「ぐががびばー」
「君は渦中の人なんだよ、紬」
「ふふふ、ははははは……」
なんてことになってしまったんだ! と紬は頭を抱えた。他者が持つ自分のイメージが勝手に膨らんでいることに頭痛を覚える。いやいや、私はホントーに平凡ですから! と強く主張したい。
「……人の噂も七五日論を信じることにするよ、怜さん……」
「さて、どうなんだろうね」
苦笑しつつ応じて、怜は持ってきたカバンを開いた。
「そんな君に、いいものをあげよう」
怜がテーブルの上に置いたのは――
「あ、紙おむつ!」
思わず紬は興奮した声をあげてしまう。それは数ヶ月前、怜に制作を頼んでいたものだ。
「触っていい?」
「もちろんだとも」
紬は紙おむつを手に取った。手触りが懐かしい。もちろん、日本のおむつメーカーが技術の粋を凝らした世界最高品質のものに比べれば質感は遠く及ばないが、それは確かに紙おむつだった。
「おおおおおおおお!」
ここにはなかった、現代社会のもの。
それが手に入ったことに紬は小さな満足感を覚える。
「すごいよ、怜さん!」
「その言葉はまだ早いかな。おむつを広げてくれないか?」
怜は水筒を取り出して、おむつに水を垂らした。
こぼれる――ことなく、おむつは水を吸水し続けた。
「わああああ! 水を吸ってる!」
「ふふふふ。吸水シートも完備だ」
「どうやって作ったの?」
「話していた通り、モンスターの素材だ。ウォータースライムの吸水性が高いことがわかってね。それを無力化してから、薄く伸ばして貼り付けたのだ」
「おおおおお……すごい!」
「こっちの世界にはこっちの世界なりのやり方があるのだよ」
満足げな様子で怜が、うむうむ、とうなずく。それから、怜は束になった100枚の紙おむつをテーブルに置いた。
「これは試作品だ。使用してみて、感想を聞かせて欲しい」
「任せて。ちょうど2歳の子のお世話をするから、そこで試してみるよ」
紬は、なんだか日常の速度がグッと上がったような錯覚を覚えた。
まさか、こんな感じで世界が便利になるなんて!
きっとこれは始まりで、怜はもっと多くのものを生み出すだろう。そして、こちらの世界を変えていく。
今日はその一歩でしかないのだ。
「他にもいろいろ作るんだよね?」
「もちろんだとも。期待してくれ」
ああ、すごい楽しみだ! 紬はわくわくする気持ちを自覚する。いったい、どんな未来が広がっているのだろうか。
きっと、それはこちらの世界の人たちの生活も豊かにするに違いない。
だが、そこで怜がため息をこぼした。
「ただ、どうにも私は生活感がなくてね。趣味に走ったどうでもいいものばかり作りたくなってしまう。こう、何か一般人が喜びそうなアイディアはないかね?」
「うーん……そうね……」
少し考えてから、紬はこう言った。
「抱っこ紐なんてどう? 子供を運ぶのに便利なやつ」
抱っこ紐とは、子供を胸の前で固定できるものだ。うっかり子供を落とす心配もなく、両手が空くので利便性も高い。
きっと、あれがあれば世の親たちの作業効率を上げてくれるだろう。
「仕組みはとても簡単なんだけどさ、子供を押さえるものだから、安全性がとても大事なんだよね」
どの抱っこ紐も、その点をセールストークで強調していたことを紬は思い出す。だからこそ、絶対に間違えない天才科学者に腕を振るって欲しいのだ。
怜が笑みを浮かべる。
「面白い。やってみよう」
--- END ---
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