第16話 ハッピーエンド確率1%

 夜空に現れた巨大な竜。

 それを見上げて、クレイルが絶望の声を漏らした。


「……あんなものに、勝てるはずがない……」


 それがクレイルの遺言になるはずだった。

 なぜなら宣戦布告の直後、竜が間髪入れずに世界を焼き尽くすかのような炎を吐き出したからだ。

 その炎はあっという間に放射状に広がり、周辺一帯を焼き尽くすかのような広がりを見せる。


 ――空が昼よりも明るくなった。


 逃げる場所はない。

 誰もが死を覚悟したとき、その声は響いた。


「全てを遮れ『ホーリーバリア』」


 直後、まるで炎を受け止めるかのように、黄金のサークルが出現する。

 炎とサークルが激突。

 空気を震わせるかのような轟音が響く。怜の生み出したホーリーバリアは見事に竜の豪炎を防いだ。


「おおおおおおおおおおおおおおお!」


 兵士たちが歓声を上げる。


「すげえ、あんなに大きな竜なのに無力化するなんて!」


「……残念だが、少し荷が重いようだ」


 結界を展開する怜の表情は厳しい。


「あまり長くはもたない」


 ドラゴンの火炎放射は止まらない。我慢比べの結果を、冷静な怜はすでに見切っていた。


「……私が抑えている間に、逃げるんだ!」


「逃げるって、どこへだよ……」


 誰かが絶望の声を口にした。それはみんなの代弁でもあった。

 怒りに燃えたドラゴンが吐き出す炎は超広範囲に広がっている。人間の足で走ったところで、それはまるで雨雲の外を目指すようなものだ。

 かなりの勢いで力を消耗しているのだろう、荒い息をこぼしながら怜が視線を向けた。

 その先には紬が立っている。


「紬、君なら……未来を掴めるか?」


「もちろん!」


 紬はうなずいた。そのためにここまで来たのだから。この絶望を希望に変えるために、彼女はここに来たのだから。

 幼竜がつぶやく。


『……ごめん……僕が早合点してお母さんを呼んでしまったから……。僕はまだ死んでいないのに……』


「あなたの無事を伝えることはできないの?」


『……助けを呼べたのは、ドラゴンの特殊な叫びを使ったからなんだ。説得するなら近寄らないと無理かな』


 幼竜がよろよろとした足取りで立ち上がる。


『僕が説得してみる。助けてくれて、ありがとう……』


 あれだけ痛い目にあいながらも、幼竜は人間のために動こうとしてくれている。紬が幼竜に見せたささやかな優しさに感謝して。


(でも、それじゃあ、釣り合わない)


 彼が見せようとしてくれる誠意に、こちらも答える必要があると紬は思った。


「待って」


 幼竜にそう言うと、もう一度、紬は繰り返した。


「リーリエの実をください! リーリエの実さえあれば、この子も親も帰ってくれます!」


「ならん!」


 一喝したのは聖騎士だ。


「あれは教会から固く持ち出しを禁じられているもの! 許可を出すことなどできない!」


「ははははは」


 冷笑を飛ばしたのは紬ではなかった。


「素晴らしき忠義だな。私が力尽きれば己も炎に焼き尽くされるというのに。たかだか木の実を己の命よりも高いとするか。さて、では、ここにいる聖女の命よりも高いのかね?」


 怜の皮肉な物言いに聖騎士がたじろいだ。


「そ、それは――」


「かまわない、教会とは後で私が話をつける。聖女の名によって承認しよう。紬、リーリエの実を持っていけ!」


「ありがとう、怜さん!」


「その代わり、君も竜とともに行ってくれ。こちらの代表としてな」


 状況を説明した紬は竜の背に乗せてもらった。幼竜の背中にはたてがみのような毛があって、それをつかんで紬はバランスを取る。


『いくよ!』


「わっ!?」


 幼竜が走り出した。負傷のせいで揺れは激しいが、意外に速い。森を駆け抜けて、あっという間に祝福の泉までやってきた。


「あそこだよ!」


 紬が言うと、幼竜はふわりと飛び上がり、空いた手でリーリエの実をもぎ取った。


『よかった。ありがとう!』


 満足そうな手つきで幼竜がリーリエの実を撫でる。


『よし、じゃあ、次はお母さんのところだ。しっかり捕まっておいてね』


「うえええええええええええええええええええ!?」


 次の瞬間、思わず紬は叫んだ。いきなり幼竜が真上に飛んだからだ。上空にいる母竜の元へ帰るのだから、当然といえば当然なのだが。

 振り落とされないように――というか、単純に落ちないために、紬は歯を食いしばってたてがみにしがみついた。


(死んじゃう! 死んじゃうよ!?)


 そして、それ以上に恐ろしいものが眼前広がっていた。

 あっという間に怜の結界と母竜のブレスがせめぎ合っている場所だ。炎の天井がみるみる近づいてくる。


(ええええ、ちょっと、わたし、これ焼け死んじゃうじゃない!?)


 焦っているうちに幼竜が怜の結界を突破した。

 同時、幼竜が炎のブレスを吐く。

 それは母竜のブレスと相殺、細く狭い炎に包まれた回廊を作り出す。

 そして、赤い炎の海をくぐり抜けて――

 闇が広がった。

 星空を遮り、母竜の巨体が浮かんでいる。

 幼竜は力を使い果たしのたか、よろよろとした動きでゆっくりと上がっていく。

 そして、怒りのままに炎を吐く母親の前にたどり着いた。


『お母さん、僕は大丈夫だよ! もうやめて!』


 母竜の巨体がびくりと震えると、炎の奔流が止まった。

 母竜の巨大な顔がこちらを向く。


『お前、生きていたのか……?』


 口を動かさずに母竜の声が響いた。念話なのだろう。


『うん、僕に乗っているお姉さんが助けてくれたんだ。ほら、リーリエの実ももらったよ。帰ろう』


 母竜はしばしの沈黙の後、こう告げた。


『お前を痛めつけた罰は与えなければならない』


「待ってください!」


 紬は慌てて割って入った。

 すっと立ち上がって、幼竜の背中に立つ。


「確かに私たちは行き過ぎた対処を行いました。無害な御子息を傷つけた罪は重いと思います。私に子はおりませんが、子を監督する仕事をしております。もしその子たちが何者かに傷つけられたとすれば、私もまた怒りを禁じえません」


 打算は何もなかった。話術を使うつもりもなかった。

 もともと、紬はそういう人間ではない。

 ただ、ありのままを。

 心に浮かぶ感情を、相手に対する気持ちを口にする。


「だから、決してそれが許されない怒りだとも感じております。それでも、許しをお願いしたいのです。我々は失敗しましたが、取り返しようのない悲劇だけは回避できたと思っています。我々にやり直す機会を与えてもらえないでしょうか」


 そう言って、紬は深々と頭を下げた。


『お母さん。この人は本当にいい人なんだよ! 殺さないで!』


 幼竜の子供が懇願する。

 長い沈黙の後、母竜は厳かに言った。


『……いいだろう。今回だけは許すとしよう』


「ありがとうございます……!」


『この子を助けてくれたことには感謝する。いつか、礼をさせてもらおう。それまではさらばだ』


 直後、ふぅっと母竜が息を吐いた。

 その突風に押し出されて、紬は幼竜の背中から落ちた。


「へ?」


 その後、紬の喉仏から絶叫が続いた。


「へえええええええええええええええええええええ!?」


『案ずるな、落下速度は制御している』


 瞬間、ぽわんと紬はシャボン玉のようなものに包まれ、ふわふわと落ちていった。


『それではまた会おう、変わった人間よ』


 母竜の巨体が動く。

 慌てて幼竜が口を開いた。


『ねえねえ、僕の名前はリオン! 名前を教えて!』


「私はね、紬って言うんだよ! つーむーぎ!」


『ツムギだね! 今日はありがとう! また会おうね!』


「うん、またね!」


 両手を振りながら、紬は去っていく母娘のドラゴンの後ろ姿を見送った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ドラゴンの巨体が遠くへ飛び去るのを見て、地上は歓びに包まれた。


「やった! やった! 助かったぞ!」


「おおおおおお!」


 そんな声の中、怜は静かに夜空を見上げた。

 紬がやり遂げたのだろう。

 いや、やり遂げたに違いない。

 怜は信じていた。間違いなく、紬なら成功するだろうと。

 初めて会ったとき、怜は紬に言った。


 ――何かに優秀な人間は、存外に何かが欠けているものなのだよ。


 怜にはなくて、紬にはあるもの。そう怜が思うもの。

 それが、きっとドラゴンの親子に通じたのだろう。


「君はね、君が思うよりも優秀で――素晴らしいものを持っているんだよ。ありがとう、紬」


 そんなことをつぶやきながら、


(はて、竜の親子は飛び去ってしまったけど、どうやって紬は帰ってくるんだろう?)


 と冷静な怜は内心で首を傾げた。

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