第15話 バッドエンド一歩手前
怜が現れてから、戦場の様相は一変した。
ドラゴンが強力な爪を振るおうと、炎を吐きかけようと、それは全て聖女の放つ防壁によって阻まれた。
己が傷つくことはない――
そう確信した兵士たちは勇ましい動きでドラゴンに襲い掛かる。兵たちの攻撃を受けるたびにドラゴンは悲鳴を上げた。
「さすがだ、さすがは聖女様!」
「進め、俺たちに負けはない!」
勢いづいた兵士たちの動きは止まらない。
戦闘という観点において、怜は歴代の聖女の中でも最高峰だ。
それは聖女としての能力ゆえではない。
戦場の興奮に囚われない冷静さと、ドラゴンの動きを読み切って的確に先手を打ち続ける分析力のためだ。
聖女というよりは、天才軍師のような様子で、淡々と怜は力を行使し、確実にドラゴンを追い詰めていく。
(犠牲者はゼロでいけそうだな)
そんなことを思っていたとき、ドラゴンが一際大きな叫び声を上げた。それは今までと比較にならないもので、空気が震えるような強さだった。
(……なんだ、今のは……?)
今までとは明らかに違う咆哮。
確かに存在する違和感を怜は逃がさなかった。だが、それだけだった。それだけの情報では、怜の優秀な頭脳といえども答えにたどり着けない。
結局、怜はそれを深く考えることをやめた。
(残念だが、手がかりが少なすぎる)
わからないことを考えている暇はない。
優勢に進めているが、余裕はない。一撃でも喰らえば致命傷なのだ。怜が集中力を欠くわけにはいかない。
再び怜は戦闘に意識を集中させて――
確実に、戦いを終局へと誘った。
「グ、ゴ……オオオオオ……」
頑強だったドラゴンの巨体が力を失った。ぐらりと揺れて、大きな音を立てて崩れ落ちる。ぐたりと首が地面に落ちた。
そこへ、剣を持ったクレイルが雄叫びを上げながら走り込む。
あとは眉間に剣を突き刺して終わり。
誰もがそう思ったときだった。
「待って! 待ってください! そのドラゴンを殺さないでください!」
意表をついた言葉に、全員の動きが止まる。
聞き覚えのある声だった。
怜は声がした方角へと目をやる。木立に手を置き、はあはあ、と荒い息を吐いた女性が立っていた。
「紬、どうして――」
滅多に驚かない怜の顔に困惑が浮かぶ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「待って! 待ってください! そのドラゴンを殺さないでください!」
間に合って! その想いのままに紬は叫ぶ。その願いは届き、間一髪でとどめの一撃は回避することができた。
だが、その代償は、全員からの猜疑の目だ。
「何を言っている、ツムギ?」
今まさにドラゴンを仕留めようとしていたクレイルが問う。その目には、いつものような優しさはない。
怒りにも似た感情が渦巻いている。
「そもそもなぜ、ここにいる!? レイチェルはどうした!?」
「その点については申し訳ございません! レイチェル様は執事長に見てもらっております! ですが、どうしても見過ごせない事情がありまして、ここにきております!」
紬は譲らなかった。
本来であれば小市民根性の紬が雇い主の貴族に言い返すなどありえない。だが、今回のこれだけは違った。
ここで言わなければ、絶対に後悔する。
ここでひるめば、全て終わってしまう。
クレイルや怜をバッドエンドから救いたいという気持ちだけではない。
そこにいる幼いドラゴンも救いたかった。
このドラゴンに人間を痛めつける意志はない。戦っていたのは己を防衛するためだ。
ドラゴンが抱く健気な願いを、紬は伝える必要がある。
そして、全てを破滅から救うのだ。
それができるのは、ドラゴンの気持ちを理解できる紬しかいない。
「そのドラゴンは危険な生き物ではありません! その子は母親の病気を治すための薬を探しにきたんです!」
紬の言葉に、兵士たちがざわつく。
クレイルが口を開いた。
「気でも触れたか! なぜお前にそれがわかる!?」
「それは――」
そこで初めて紬は言い淀んだ。
子供の心がわかるから。そう言うのは簡単だ。別に秘密でもない。
だが、言ったところで信じてもらえるだろうか? 根拠がないと一蹴されるのがオチだろう。
そのときだった。
「グル、ォオ……」
ドラゴンが力無い声を発した。
慌ててクレイルが距離をおき、剣を構える。
「待ってください!」
紬は――紬だけはドラゴンの意図を理解していた。
彼は紬に話しかけたのだ。
『どうして、僕のことを知ってるの?』
紬は意を決してドラゴンへと近づいていく。クレイルの「動くんじゃない、ツムギ!」という制止も無視して。
兵士たちが紬に駆け寄ろうとするが――
「彼女の邪魔をするな」
凛とした声が場を圧した。一瞬にして兵士たちの動きが止まる。
(ありがとう、怜さん)
自分を信じてくれた友人に紬は感謝する。
倒れたドラゴンの近くまで紬はやってきた。
「あなたはお母さんの病気を治すために来たんでしょう?」
そう話しかけると、ドラゴンは小さな声を発した。
『そうだよ』
「その薬があればいいの?」
『うん、欲しいのは薬だけだよ。本当はそっと帰ろうと思ったんだ……』
「その薬はなんて名前なの? どこにあるの?」
『リーリエの実。ここの泉にある』
「リーリエの実――」
その名前は記憶にある。今日、クレイルたちと散策に行った聖なる森の奥にある泉で聞いた名前だ。
つまり、それを渡せば、この幼竜は帰る。
紬は振り返って大声を出した。
「すみません! リーリエの実をこの子に持たせてください! そうすれば帰ってくれます!」
「な、リーリエの実だと……」
聖騎士の一人が困惑した声を出す。彼が言い返すよりも早く、異変が起こった。
夜の闇が、暗さを増したのだ。
「――え?」
急激な変化に誰かが、あるいは誰もが声を漏らす。怜の生み出した無数の明かりがなければ、完全な漆黒の闇夜とかしていただろう。
全員が空を見上げた。
そして、そこに見た異形をすぐには理解できず、そして、理解できたと同時に恐怖の悲鳴をあげた。
そこには巨大な竜がいた。
全長50メートルは超える竜が。
その竜の声は全員に届いた。なぜなら、その古の竜は念話によって人々に意思を伝えることができるから。
『貴様らか、我が愛し子を殺してくれたのは。貴様らとこの地の全てを灰塵に帰さしめ、死にゆく我が身の、冥土への土産としてやろう』
その声は、炎のように燃え上がる激情そのものだった。
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