第14話 保育士は、幼子の声を聞く

「おお! ファインツ公爵家のクレイル様だ!」


 クレイルの登場により、戦場の空気は沸き立った。

 剣に自信がある――クレイルの言葉は事実だった。同じ年代であればトップランクの技量を持つ。

 クレイルの目の前には全長5メートルほどのドラゴンがいた。

 人間に比べればはるかに大きいが、生まれてから成長し続けるドラゴンにすれば小さい。

 そして、その大きさは強さを表す。


(……このサイズであれば、騎士団であれば勝てる!)


 それがクレイルの見立てだった。

 問題はいかに被害を抑えるかだ。

 クレイルたちの抵抗に手を焼いたドラゴンが頭を持ち上げた。すっと息を吸うのが見える。


「危ない! ブレスがくるぞ! ドラゴンの前に立つな! 離れろ!」


 クレイルは叫びながら、慌てて下がる。

 だが、全ての兵士がクレイルのように素早く判断できるわけではない。

 逃げ遅れた兵士の一団がいた。


「早く、逃げろ!」


 クレイルは叫ぶ。叫ぶしかできない。今、飛び込めば一緒に丸焼きになるからだ。

 ようやく危機に気付いた彼らが動き出す。

 だが、遅い。

 轟!

 ドラゴンの赤い炎が夜を焼いた。


「くっ――!」


 クレイルは奥歯を噛み締める。幼体とはいえ、強大なドラゴンが相手では犠牲者を出さずには――

 しかし、その炎は彼らに殺到する寸前、不意に出現した金色の壁に阻まれて弾け飛んだ。


「――!?」


 まさに奇跡の所業。クレイルは驚きで言葉を失う。

 続いて、ドラゴンの周囲がまるで昼のように明るかった。無数の明かりが中空に出現したからだ。


「ドラゴンか。なかなか興味深いものが現れたな。生態を知りたいものだ」


 声がした方角を見ると、そこには――


「聖女様!」


 それはクレイルの言葉ではなかった。いや、みんなの声だった。兵士たちが一斉に声を上げる。

 ドラゴンを前にしても表情ひとつ変えない様子で、聖女レイがそこに立っていた。彼女の背後には精強なる聖騎士団が付き従っている。

 聖騎士の一人が声を上げた。


「聖女様のご到来である! 臆することなく戦うのだ! 聖女様の力によって、お前たちが傷つくことは決してないのだから!」


「おおおおおおおおおおおお!」


 クレイルの到来をはるかに超える勢いで兵士たちの士気が上がる。

 人類の希望、聖女が現れた以上、敗北するはずがない!


「……勝ったな」


 勝利を確信してクレイルもドラゴンに向かっていく。

 無数の兵たちから攻撃を喰らい、ドラゴンの悲鳴が夜空に響き渡った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 その間、紬はベッドに腰掛け、震えるレイチェルの手を両手で包んでいた。


「大丈夫ですよ、レイチェル様」


「うん……うん……大丈夫だよね? クレ兄、帰ってくるよね?」


「もちろんです」


 はっきりと紬は告げた。根拠なんてなかったが、自分がしっかりしていなければレイチェルを怯えさせると思ったからだ。


「勝って帰ってきてくれますよ」


 そんな話をしていると、紬の耳に何度かドラゴンの咆哮が聞こえてきた。

 その声には――


「……?」


 悲しさがあった。それは咆哮の響きから伝わってくるものではない。


 ――それは君の能力なのかもしれない。子供の感情が読み取れる能力。


 怜が評した、子供たちの心の本音が聞こえるときの感覚に似ている。感情が押し寄せてくる、というか。


(これは、ドラゴンが思っていること……?)


 可能性はあるかもしれない、と紬は思っていた。

 クレイルは言っていた。竜の幼体が現れた、と。幼体――すなわち、子供。怜の仮説の範囲に収まる。


(……人間以外も対象なの……?)


 受け入れつつも、紬は面食らったが。

 だんだんと伝わってくる感情の色がはっきりとしてきた。まるで、チューナーを合わせるかのように。

 悲しい、辛い感情の圧が高まっていく。

 そんなとき、それは不意にはっきりと聞こえた。


 ――やめてよ……お母さんの病気を治したいだけなのに……痛いよ、邪魔しないで……。


「――!?」


 紬はぞくりと背筋が凍るのを感じた。

 これがドラゴンの感情だとすれば、何を意味するのだろうか。ドラゴンにはドラゴンなりの理由があるのだろうか。


(……それを知っているのは、私だけ……?)


 その事実もまた紬を緊張させる。

 知ったことを己の胸の内だけでとどめておいていいのか、紬にはすぐの判断ができなかった。


「ツムギ……?」


 急に押し黙った紬を、レイチェルがじっと見つめてくる。

 そのときだった。

 まるで、天をつんざくかのような大きな咆哮をドラゴンが上げた。そして、それははっきりとした言葉を紬に伝えた。


 ――助けて! 助けて! お母さん! 人間に殺されちゃう! 言いつけを守らなかった僕が悪かった! ごめん、助けて!


 その言葉は、間違いなく母竜を呼んでいた。

 ……もしも、その声に答えた母竜が現れたらどうなるのだろうか? 幼竜よりははるかに強いだろう母竜をクレイルたちは抑えることができるのだろうか?


(……何か、取り返しがつかないことが起きようとしているのかも……)


 あのドラゴンは、ここを荒らしにきたわけではない。

 今、クレイルたちの包囲網によって死に瀕している。

 そして、己よりも強い母を呼び寄せようとしている――


「まずいんじゃ、ないかな……」


 紬はボソリとつぶやいた。

 さまざまなものが動き始めているが、まだ『戻れない位置』を超えてはいない。

 それは幼竜の死だ。

 幼竜が死んでしまえば、もう終わりは見えている。最後の最後まで決着をつける以外の方法はない。

 幼竜が生きている今ならば、まだ全てを元に戻せる可能性がある。


(そして、それに気付いているのは私だけ――)


 黙って思考を続ける紬の耳に、か細い声が届いた。


「ツムギ……」


「――! はい、なんでしょう、レイチェルお嬢様!?」


「心配事でもあるの?」


「……そうですね……私にしか、できないことかもしれません」


「ならさ、行ってきたら」


「……え?」


「私なら平気だから!」


 レイチェルが笑ってくれた。

 いつもわがままなお嬢様だが、今回はそれを全く見せない。


(わかってくれているんだ)


 紬に心配事があることをレイチェルは感覚的に気付いたのだろう。だから、こうやって言ってくれた。

 たまに、こういう勘の鋭い子がいることを紬は知っている。

 レイチェルのおかげで、紬は決断できた。クレイルに「頼む」と言われたレイチェルを放り出すことにためらいがあったのだ。


「ありがとうございます。少しだけおいとまを頂戴いたします。私が出た後、執事長に話をしてください」


 本来であれば、紬から執事長にレイチェルの保護を頼むのが筋だが、そんなことをすれば外出を禁じられるのは間違いない。よしんば話を聞いてくれたとしても、納得させるまでに貴重な時間を失ってしまう。

 間に合うか間に合わないか。ただ急ぐだけだ。


「それでは失礼致します、レイチェル様」


「あ、待って!」


 そこで不安げな表情を浮かべて、レイチェルが続けた。


「帰ってくるよね、ツムギ? クレ兄も一緒だよね?」


「もちろんです。必ず帰ってきますから」


 にこりと笑みを浮かべてから、紬は部屋を出た。

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