ショーケースの矢風見

抹茶味のきび団子

第1話

 とある画廊に向かう途中、烏野崎羊介(うのざきようすけ)はため息をこぼしながら目的地までの道を歩いていた。

「なんで俺がこんなことを……」

 俺が愚痴を言いながらも道を歩いているのは、ある絵を見てほしいという依頼を受けたからだ。依頼人不明、報酬金は先払いという何とも怪しさ満点の依頼だ。

 とはいえ、頼まれたものは仕方がない。烏野崎探偵事務所に舞い込んだ数少ない依頼である。ただでさえここ最近の外出自粛でカツカツなのに、依頼を断るわけには行かないだろう。

「──っと、ここか……」

 うだうだ考えている間に目当ての場所に着いたらしい。目の前の建物には『風の吹く先へ』という、いまいちよく分からない看板が出ていた。

 早速仕事に取り掛かるために扉を開ける。

 中は荘厳な雰囲気ではあるが、特に怪しい様子はない。どこかに保管されているのだろうか……?

「なにかお探しのものでもございますか?」

「──うひぁっ!?」

「おや、申し訳ございません。ところであなた、烏野崎様ですよね?」

「……………………は?」

 情けないリアクションだとは思うが許してほしい。後ろから脅かされた上に、脅かして来た相手の口からいきなり自分の名前が出れば、誰しもこうなることだろう。

「いや? 誰だそいつは?」

 意味はないと分かっていながらも探偵のクセでブラフを張る。

「そんなに警戒しなくても、助手の救崎(くざき)様からお話を伺っているだけですよ」

「なんだ、そういうことか……」

 知った名前が出てきて、ホッと胸をなでおろす。

 救崎エリーとは高校時代からの仲で、よく俺のことを手伝ってくれている気の利く後輩だ。ただし、何を手伝うかこちらに全く知らせないという欠点はあるが。

「『ショーケースの矢風見』を見に来たんですよね?」

「そんな名前なのか? 依頼を受けただけだから詳しくは知らないんだが……。」

「依頼人から何も聞かなかったんですか……。では移動ついでに軽くご説明を。──あの絵は最近この画廊に運ばれたのですが……作者不明、なぜここにあるのかも不明、挙句の果てには、見てはいけないものかのように何重にもフィルムが貼ってあるという本当によくわからない絵です」

 絵のフィルム云々は素人の俺にはよくわからん……が、どうやら大層な代物らしい。

「鑑定屋とかに頼んだりはしなかったのか?」

「それが──あの絵を見た途端、誰もが逃げ帰りまして……」

「なんだそれ。呪いにでもかかってるってのか……?」

「さぁ、何もわかりません。私共に分かっているのは、何故かこの絵がここにあって──絶対に一般公開するなとオーナーから言われていることだけですので」

「絶対に、か……」

 歩きながら思考を巡らせるが、どう考えてもおかしすぎる。

 まず、なぜそんなものをここのオーナーは持っているのか。とっとと売り払うなりなんなりすればいいだろうし、見せもしないものを置いておく必要はほとんどないはずだ。

 それに、鑑定者が全員逃げ出したというのも怪しい。その道の専門じゃないので、はっきりとは分からないが、絵の鑑定を断るためにわざわざ逃げる必要があるだろうか? しかも幾層のフィルムまでしてあるという。普通の絵ではこんなことは絶対にしないだろう。

 何も考えずに言ってしまったが、本当に呪いなんてものが──。

「着きました。ここがあの絵が保管されている場所です」

 何というか──異様だと思った。

 きちんと箱にはしまわれているのに、この絵の他にはなにもない。しかも、その箱は上から絵が見えることのないよう、元は透明なカバーが真っ黒に塗りつぶされていた。

「こんなものなのか? てっきり封印でもされているのかと思ったが」

 いや、それはさすがに漫画の見すぎだろうか。

「私共でも何度かこの部屋に入って調べたことがありますが、おかしなことになりかけたのはこの箱を開けた一回のみでしたので、問題ないと思っております」

「そうか……」

 ともあれ、調査というからにはこれでおしまい、というわけにもいかない。きっちりと調べる必要があるだろう。

「分かった。少し席を外してもらえるか? そっちも──俺が箱を開けたことで、巻き添えを食らいたくはないだろう?」

「かしこまりました」

 そう言って彼が部屋から出た後、俺は一人調査に取り掛かる。

「まずは箱を外して……それからなんかフィルムがどうとか言ってたっけな……。さっさと終わらせて帰りてぇ……」

 そう言って箱を開ける彼の目に飛び込んできたのは、まるでホログラムのようなキラキラだけが見える絵画だった。

「なんだこれ……」

 カードゲームのレアカードじゃあるまいし、もう少し楽に調べられるようにしてくれればよかったものを。見たところ上からフイルムが張ってあるだけなので剥がせばいいのだが、余分な手間がかかるのがなんだか気に食わなかった。

「ハァ……。全く、この下はどうなっているのかなーっと」

 早く仕事を終わらせるために、一枚、また一枚とフイルムを剥ぐ。

 表情には出してはいないが、実は箱を開けたときからずっと気分が悪い。フィルムを剥いでいくたびに胃に鉛が落ちるような感じがする。

 それでも探偵事務所を請け負っているので、依頼とあっては断れるはずがなかった。

「これが最後の一枚か……。これ剥がして現物の確認だけしたら帰ろうかな」

 体を重たく感じていても意識すれば手は動くもので、最後の一枚のフィルムも、特別引っかかったりすることもなく剥がれた。

 一目見て上手い、と思った。絵には矢の形をした矢風見(風見鶏の矢バージョンと言えば想像してもらいやすいだろうか)が描いてあり、それがショーケースの中に入っている。まさにタイトル通りの絵だった。

 一応裏面も確認してみるが、特にこれといって気になるものはない。言っていた通り作者名も制作年も何も書かれていなかった。

 もう一度表を向けて、調査にラストスパートをかける。

「詳しいことはわからんが、子供の落書きのような絵ではないと思うが……この心持ちだけはどうにかならないかねぇ……」

 この絵を見ているとどうにも先程の感情がとまらない。不快感──とでも言い換えるべきだろうか。

 よし、帰ろう。これは良くない。一応調査という名目は果たしているわけだし、依頼主も納得してくれるだろう。

 そう考えて絵をしまおうとする。

「あっ、ヤベ──」

 迂闊にもしまう前にじっくりと絵を見てしまった俺の意識は、そこで途切れることとなった。

  ◇◇◇

 時刻は日も暮れた午後六時、調査を開始してから約五時間が経過していた。調査が終了したのでドアノブをひねって扉を開けると、目の前には先ほど俺を案内してくれた人がいた。俺を心配しての事だろうか。

「おや、終わったのですか? 長くかかっていらしゃったので、てっきり中で倒れてでもおられたのかと」

「あぁ、悪い。──あの絵だが、特に異常なところはなかったと思うぞ。ただ、見ると少し気分が悪くなったりするから、取り扱いには気をつけてな」

「かしこまりました」

 それに返答を返すことなく画廊を出ていく。

 歩く道は同じだが、無意識的にふらついてるように感じられた。

 どうにもこうにも回らない頭を、なんとか動かしながらギリギリで帰路につく。

 ドアを開けると胸に飛び込んできたのは俺に何をするか伝えない後輩だった。

「せんぱーい! 大丈夫ですか? 何かヤバい絵の調査に行くって言ってましたけど」

「今日はもう寝るから……。騒がないで……」

「分かりました。間違えて私のベッドで寝ないでくださいよ?」

「あぁ……」

 ベッドについて──それからは絵を見たときのようにぶっ倒れる。それから一日半ほど、ずっと眠り続けていた。

  ◇◇◇

 先輩は昨日寝てから今日の夜までずっと眠り続けている。

 原因はやっぱりあの絵だと思うが──もしかしたら私が作ったお昼ごはんが原因だったりするだろうか。私のご飯は美味しいはずなのに。

「おはよう救崎……」

 噂をすれば──というわけではないが、先輩が起きてきた。髪はボサボサ、目はショボショボ、パジャマはよれよれになってはいるけれど。

「大丈夫ですか? だいぶ寝続けてましたけど」

「大丈夫に見えると思うか?」

「いや、見えないですけど。まぁいいや、ちゃっちゃとご飯作っちゃうんで座って待っててください」

「あー、もういいよ。外で飯食ってくる」

「先輩……」

 先輩は抱え込むことがあったり面倒なことがあったりすると少しだけぶっきらぼうになる。割とよくあることではあるが、今回は一段とひどいようだ。

 心配しながらも一応二人分のご飯を作っていると、読み通り先輩が帰ってきた。この時間は行きつけの店は空いていないのだ。

「どうせ店空いてなかったんでしょう? 今ご飯作ってますから少しだけ待っててください」

「いいよ、飯抜くくらい慣れてんだから。俺一人の分作るのも面倒だろ」

「面倒じゃないから言ってるんですよ。それにもう作っちゃってますもん」

 そう言うと少しため息をつきながらも大人しく席につく。

「はい、できましたよ。食べましょう」

「…………」

 言葉は発さないながらも口に食べ物は運んでいる。どうやら少しは大人しくなったらしい、まだいつもよりはマシな方だ。

 そうして今日も床に入る。たまには一緒に寝てあげてもいいだろうか。

  ◇◇◇

 あれから数日、私はいつまで経っても元の調子に戻らない先輩にいい加減喝を入れようと、朝早くから出ていこうとする先輩の前に立ちふさがった。

「先輩今日もどっか行くんですか?」

「俺の自由だろ? 勝手にさせといてくれよ」

「依頼も入ってんのに動こうとしないから問題なんですよ」

「それはそうだが依頼を受けるかどうかは自由だろ? それに俺は他の探偵たちの下位互換に過ぎねぇんだから、わざわざウチに頼む物好きもいねぇだろ」

 これだから先輩は……。少し自己肯定感が低すぎる所は本当にどうにかならないのだろうか。

「先輩はほんとに……どうやっても私を困らせる気しかないみたいですね……」

「俺からしたら勝手に巻き込まれている印象でしかないんだがな」

「そうですよ私は巻き込まれてやってるんですよ。それなのに先輩がどんどん逃げるから私が追いかけざるを得なくなるんですよ……!」

「わざわざ追いかけてもらわなくても結構だ」

「先輩はそう言うかもしれないけど……でも! それでも! 誰も一人じゃ生きられないんだから、私がそばにいないとそのまま破滅しちゃいそうな気がして──怖いんですよ……」

 私が言えることは、今はこれだけだ。この蜘蛛の糸を先輩が掴んでくれなければ、私はただの惨めな女に成り下がる。

 しかし、そこで後輩を見捨てられるほど薄情な先輩ではないことを、私は知っていた。

「ふふっ──そうか、そんなに俺と一緒にいたいのか。そこまで言われちゃ……断れねぇよなぁ…………」

「──先輩……」

「ごめんな、なんか。でも、俺みたいなやつと一緒にいてくれて、ありがとう。そして、これからもよろしく」

「──ッ、はい!」

 満面の笑顔の後輩は、今まで見たどんな人間よりも眩しかったという。


  《エピローグ》

 先輩と実質婚約的なことをしてから数日後、私はとある画廊を訪れていた。理由はもちろん、先輩の依頼の後処理のためだ。

「ようこそ、いらっしゃいました」

「あぁ、ここのオーナーを出してもらえるかな」

「かしこまりました。少々お待ちを」

 待ち時間に絵でも眺めていようかと思ったところ、目的の人物はそんな暇も与えずこちらにやってきた。

「これはこれは。救崎さん、先日はありがとうございました」

「いや、むしろ例を言いたいのはこちらだよ。私の後輩とはいえ、私的なお願いをしてすまなかったね」

「いえいえ、救崎さんの先輩にあの絵を見せるだけでしたから、簡単なものですよ」

 そう、あの絵は元々この画廊にあったものではなく、私が独自に手配したものなのだ。

「しかし救崎さんも、わざわざ偽の依頼人を装ってまで手紙を出して、あの絵で精神崩壊に追い込むなんて──なかなかエグいことをしますね……」

「あの絵が見ただけで人の精神を壊す代物だっていうのは分かってたからね。あとは仕向けてあげるだけだよ」

「しかし……なぜそんなことを? わざわざそんなことをする必要はなかったのでは?」

「そうだね……。そう言われるとそうかもしれないけれど、やっぱり──自分を暗闇から救ってくれた人っていうのは、どうしたって特別に映るものでしょう? それに私、好きな人を追い込むのも好きだけど、その人のためなら何でもしてあげたいと思っちゃうの。最終的には一緒になれたから結果オーライだよ」

 この時オーナーは自分が犯した間違いに気がついた。この人は、その相手に自分を好きにならせるためにこんな事を仕向けたのだ。

 こんなものは、悪意百パーセントの惚れ薬のようなものだろう。

 そんな戦慄をよそに、救崎エリーは笑っていた。

「これからはずぅっと一緒だよ、せんぱぁい……」

 そんな──恐怖ともとれる呟きと共に。

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