これから

 透花さんは今、自分に都合良く見えているこの世界に違和感を持ち始めている。


「ねえ、樹くん…。やっぱり私、何かおかしいの…?」


 もし彼女に真実を伝えたとして、受け入れられるのだろうか。どうしたら、彼女を傷つけないのか。分からない。

 俺が、できることは…。


「じ、実は…」


 彼女の瞳が俺の視線を奪う。

 …やめてくれ、そんなにまっすぐな目を向けないでくれ!俺はあんたを騙してきた。疑ってくれ、怪しんでくれ。辛いんだ、耐えられないんだ!



「…その、俺にも…分からない」


 …あぁ、嘘つけ。俺の意気地無し。

 透花さんに真実を伝えようと踏み切れなかった。また、彼女を騙してしまった。


「なんで街に人がいないのかとか…分からないことだらけだよ。俺も。分からないって、言い出せなくて。黙ってて、ごめん」

「…君も、私と同じ?」

「…そう」


 そんな訳がないだろう、俺はこの世界のことも家族のことも全部全部知っているはずだろうが。自分の口を塞ぎたくなる。


「けど、あんたの、透花さんの売っている花が好きだから。透花さんに会いに行くのが好きだから、訳が分かんないようなこの世界でも生きていけるんだ」


 今度は俺の心の底から思っていることのはずなのに。さっきまで嘘を吐き続けていた罪悪感のせいか、この言葉さえ薄っぺらく聞こえてしまう。

 透花さんのことが好きなんだって、素直に言えたら良いのに。

 呆然と俺の言葉を聞いていた彼女は、何故か少し微笑んだ。


「…そっか、君も私と一緒なんだね。こんなことを言ったら悪いけど、ちょっと安心した。この世界がおかしいって思っているのは私一人じゃないんだって思うと、少し楽になったよ」


 彼女は涙を手でぐいっと拭いて、俺の顔をじっと見る。


「それに、私も君に会えるのが好き。毎日の楽しみだよ」


 一緒だね、と彼女は言う。


 …一緒なんかじゃない。俺は嘘つきだ、あんたの思うような善人じゃない。


 そう思っても、やっぱり口に出すことはできなかった。



「今日は見苦しい所を見せちゃってごめん、これからもよろしくね」


 彼女の無邪気な笑顔に思わず泣きそうになってしまう。


「…樹くん、泣いてる?」

「…え?」

「もしかして…叩いちゃったこと、怒った?あのときはかっとなっちゃって…」


 彼女に言われて初めて、自分が涙を堪えきれていなかったことに気づいた。


 俺も、透花さんといると笑顔になれる。こんな終末世界じゃなくて、何も無い日常で、一緒に笑いたいのに。


 あぁ、切ないなあ。


 透花さんは心配そうに俺の手の方を見つめている。泣いていたのは痛いからじゃないって、気づかれていないといいな。

「いや、いいんだ。別に痛くないよ、大丈夫」

「ほんとに?ごめんね…」

「うん、本当に。それより、今日の分の花、選んで貰える?」


 透花さんは突然の提案に一瞬驚いたようだが、すぐに考え始めた。


「そうか、今日の花まだ選んでないね。そうだね、んーと…。そうだ、たまには君が選んでみてよ」


 そう言うと彼女は俺を花が並んでいる店先に連れて行く。


「どれがいい?ほらほら」


 店中を彩るたくさんの鮮やかな花。その中に一際目につく赤い花を見つけた。特別赤色が好きというわけでもないのだが、何故か気になった。


「これにする、何て花なんだ?」

「お、これはアネモネだよ。花言葉は儚い恋、恋の苦しみ。花言葉は怖いけど、私はこの花好きだよ。赤色と黒色の組み合わせってかっこいいよね」

「恋の苦しみ…か」


 皮肉なもんだな、今の俺にぴったりすぎる。


 アネモネを購入して、店を出た。透花さんは店先まで見送ってくれるらしい。


「今日は本当にいろいろありがとう。それと、ごめん」

「全然、気にしないで。じゃあ、また明日」


 軽く手を振って彼女に背を向けた直後。


「あ、樹くん!ちょっと待って!」


 彼女が大声で俺を呼び止めた。振り返ると、彼女が小さな鉢植えを持って走ってきていた。その鉢植えには白い星のような形の花が咲いている。可憐で、清楚な雰囲気だ。


「ごめんね、引き留めちゃって。これ、あげる」


 そう言って俺に鉢植えを手渡した。


「ありがとう、なんていう花なんだ?」

「アングレカムだよ」

「初めて聞いたな。でも、どうして俺にくれるの?」

「この花を君に渡したいなって前から思っていたから。私からのクリスマスプレゼントだよ」


 確かに、星のような花弁は神聖な雰囲気が感じられる。まさか透花さんが俺にプレゼントをくれるだなんて。何も用意していなかった自分をぶん殴りたくなった。


「そうか、ありがとう。また何かお返しするから待ってて」

「いいよ、そんな。いつも来てくれるお礼も兼ねて、だよ」

「可愛いね、この花」

「でしょ。結構育てるのが大変だから困ったこととか気になることとか何でも聞いてね」

「分かった。あ、早速なんだけど」

「どうしたの?」

「アングレカムの花言葉ってどんなの?」


 俺のたわいない問い掛けに、彼女はいたずらっ子のような笑顔を返した。


「内緒!」

「えっ」


 いつもなら教えてくれるのに。なんだか気になってしまうじゃないか。


「ほら、長いこと外にいたら体冷えちゃうよ。今日は大人しく帰ろうよ」


 まぁ、透花さんが楽しそうだからいいか。帰ったら花言葉辞典を引いてみよう。


「じゃあ透花さん、メリークリスマス。また明日」

「うん!メリークリスマス、樹くん。また明日ね!」


 家までの帰り道。今日あったことを一つ一つ振り返ってみた。俺は、真実に気づきかけた透花さんを再び都合のいい世界に戻してしまった。彼女の信じる世界の住人でいることを止められなかった。…俺は、彼女をまた騙し続けることにした。

 彼女を騙したせめてもの贖罪に、毎日花を買い続けよう。彼女が俺といて笑顔になってくれるというのなら、俺は毎日、雨の日だって雪の日だって、こんな世界の終わりだって。いつだってあんたに会いに行くから。

 偽物の幸せすら壊せないけど、こんな世界でこんな俺が生きていくためには。偽物でも今のぬるま湯みたいな幸せに浸りたいんだ。そんな言い訳をしながら、どうしようもない罪悪感と切なさを抱えてこれからも生きていく。

 この世界が終わるまで。



 アングレカム。

 花言葉は「いつまでもあなたと一緒」

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リューココリーネ 柳葉魚 @kinonenoshinamo

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