無告ノ民

小林

第一話 対

 1人の少年がいた。彼は双子の兄だった。成績優秀で生真面目な性格から教師や両親ともに彼は『完璧』と称され、秀才としての道を歩んでいた。容姿端麗であったが、目付きや表情の変化のなさから近づこうとする友人は少なかった。彼は頭が良いために社交的になろうと努めた。その方が、社会的に優位だと考えたからだ。しかし、生まれ持った顔は変えられず、完璧ゆえに近づきにくかった。


 また1人の少年がいた。『完璧』と称される兄の双子の弟だった。成績は伸び悩んではいたが明るく社交的で友人も多かった。兄と全く同じ端正な顔を持っていたが、兄とは違い、目付きは柔らかく、表情は明るくコロコロと面白いまでに変化した。完璧とは言い難いその少年に周りの人々は好意を覚えることが多かった。




 ある夏。兄弟は実家に帰省した。兄は奨学金をもらい東京の学校へと進学した。弟は勉学に関しては優秀とは言えなかったが、努力により東京の学校へと進学することができた。


 彼らの国元は山の中の小さな村であった。学校が長期休暇に入ったので彼らは一緒に帰省することに決めた。実に1年ぶりの帰省であった。


 7月のカンカンと照りつける太陽を黒い学生帽で遮り、2人は並んで歩く。それでも、夏の暑さは防ぎきれない。袴の裾を田舎の田園の泥で汚しながら、詰襟のボタンを1、2個開き歩いていった。多少涼しげな風が兄弟の白い肌をふわりと撫でる。青空と緑々した景色が東京の馬車が駆ける道とはまるで対照的で眩しかった。長く暑い田園をしばらく歩くと1軒の大きな家が見えてきた。


 少年たちにとって懐かしみのある木造の家の扉をガラガラと開く。線香の匂いと畳の匂いが充満する玄関に足を踏み入れる。お帰りなさいと出てきたのは彼らの母親であった。少年たちは一時の懐かしみと再開の喜びを分かち合った。


 居間では親戚一同が会し、会話を楽しんでいた。そこには彼らの従兄弟や鳩子も多く集った。双子の少年らが居間に入ると、年端もいかない少年少女たちが彼らをぐるりと囲んだ。兄は幼い顔で見上げてくる子供達をただ見下ろすことしかできなかった。弟はしゃがみ込みニコニコと彼らの顔を見ていた。


 「ねえ、一緒に遊ぼうよ!」


 そう声をかけたのは従兄弟だった。小さい手で弟の紺色の袴をぐいぐいと引っ張った。弟は


 「もちろん!」


と彼らに手を引かれ、明るく子供達の輪に入っていった。一方兄は弟がいなくなったのを見て1人2階へと上がって行った。そこにはまた懐かしい自分の部屋があった。棚や本、机は全部そのままで兄はその中から重い色のある本をを1冊取り出して読み始めた。


 5畳半の狭い畳の部屋に小さい布団を敷いてゴロリと寝転がる。薄い布団からはふんわりと太陽の匂いがした。仰向けに本を広げると、きっちりと締め直した襟と袴が苦しかった。少し隙間を開けて本をめくり出す。


 開け放した窓からは涼しい風が入り込み、幼い頃に作った風鈴が音を立てていた。風に煽られ、小さな小さな部屋に鳴り響く鈴がどことなく滑稽に思えた。下の宴会で笑う大人の声や子供たちが走り回る音、弟がしゃべる声でさえも鮮明に聞こえた。




 別に兄は1人が好きなのではない。兄が彼らの輪に入ったとしても彼らは楽しくなんかないだろう。何回思ったことかわからない。彼が弟のように好意的だったのならどんなに良かっただろう。


 子供は愛想の悪い兄には興味を示さない、大人だって酒の飲めない子供を相手にしない。


 足りないものを補おうとしてもできないことだってある。彼はどの場所でも彼は明るく元気に振る舞おうとした。塾でも学校でも彼の歩の向く全ての場所で。しかしできないのだ。いつの間にか彼は1人になっていた。真面目で優秀な子供。それが兄のレッテルとなった。


 弟も思っていることだろう。自分も頭が良ければと。けれど、その願いは努力で叶えられるものだ。兄の場合、彼の願いは努力で解決するほど簡単なものではなかったのだ。


 欲しいものは必ずしも手に入るとは限らない。満16歳の人生で得た教訓だ。どんなに努力しても手に入らないものだってあるのだ。



 どうやら下では花火が行われているらしい。子供たちのはしゃぐ声を乗せた煙が部屋まで入ってきた。その煙がとても煙たくて、兄は窓を閉めた。ぼうっと天井を見て思考に耽る。その思考を邪魔しようと、耳に入ってくるのは弟らが楽しそうにはしゃぐ声と火花の爆ぜる音だった。ゴロリと仰向けに寝転がり、本を傍におく。投げ出した袴から足が丸出しになって涼しかった。

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無告ノ民 小林 @kobayashi0221

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