御伽噺異聞:ピノキオ地獄変

のいげる

ピノキオ地獄変

 ゼペット爺さんが作り上げた木の人形であるピノキオは命を持った人形であった。そのピノキオは創られて初めて自ら教会に入るとキリスト像の前に膝まづき、祈りを捧げた。

「神様。お願い。ボクを人間の子供にして」

 教会の中に冷たい風が吹き抜けた。

 輝く光に取り巻かれてピノキオの前に出現したその存在は、白光の中に昏い影だけを残しながら、ピノキオに手を差し伸べた。その表情は影の中だったので分からなかったが、ピノキオは手を伸ばしてその手を取った。

「ボクのお願いを聞いてくれるの?」

 ピノキオの問いかけにその人影は体を揺らしたように見えました。

「ああ、確かに君を人間の子供にしてあげよう」

 わずかに笑いを含んだ声で答えながら、輝く人影は世界の構造に介入した。

 ピノキオの意識は暗転した。



 強い光を感じてピノキオは目を覚ました。

 小さな体に小さな手。ピノキオは願い通りに人間になっていた。思わず喜びの声を上げる。それは思ったより大きな泣き声になってしまった。

「きちんと産まれたよ」ピノキオを取り上げた老婆が言った。「五体満足に産まれてきたね」

「でも、この子もエイズだよ」その横で汗まみれでやつれた女性が言った。どうやらこれが自分の母親らしいとピノキオは気づいた。

「可哀そうにねえ」老婆がそっとつぶやいた。「この子はあたしが処分するよ」

「待って。せめてお乳ぐらいは飲ませたい」

「止めておきなさい。情が移ったらもっと辛いよ」

 布が顔に被せられてどこかに連れて行かれた。気が付くと地面に掘られた穴に寝かせられている。空腹で思わず泣いてしまった。

「おお、よしよし。すぐに楽になるからね」

 ピノキオから包まれていた布が剥ぎ取られた。布を無駄に地面に埋めてしまう余裕がないからだ。むき出しになった柔らかい肌が冷えた土に直接触れて痛んだ。

「次はもっと良い所に生れて来るんだよ」

 頭の上から土が降って来ると視界を埋めた。口の中一杯に土が入り込んで来る。



 苦しみは長くは続かなかった。この世に産まれて来て最初に食べたものが土だとはひどい話だった。

 光り輝く人影が前に立つ。

「お前の願いは適えた。これで満足かね?」

「馬鹿を言うな。ボクは成長する暇も無しに殺されたじゃないか」ピノキオは抗議した。

「だが人間の子供であることには間違いないぞ」と人影が念を押す。

「子供と赤ん坊は違う。全然違う」

「我がままだな」光り輝く人影はため息をついた。

「我がままなんかじゃない!」

「仕方ない。乗りかけた船だ。もう一度、今度は人間の子供にしてあげよう」

「それだけじゃダメだ。きちんと育ててくれる両親もつけて」

「君は欲深だな」

「ボクは欲深なんかじゃない!」

「つまり人間の子供に成りたいという君の望みは、ありていに言えば人間の子供になって親の愛情を満腹になるまでタダで食べたいという欲なのだろ?」

「それのどこが悪いの?」

「君の創造主ゼペット爺さんの無償の愛情は要らないのか?」

「あれじゃ、全然足りない」

「やはり君は強欲だな。まあいいさ。やり直すがよい」

 光り輝く人影は笑った。ちらりとその口の中に尖った牙が見えた。



 父親の叫びでピノキオ少年は地面から顔を上げた。今まで虐めていたアリをつまらなそうに踏みつぶす。

「父さん、どうしたの?」

「母さんと一緒に逃げるんだ。ヤツらの襲撃だ」

 ヤツらって誰とは聞かなかった。この辺りでは誰もが知っている。ギヤンニ解放戦線の連中だ。ついにこの村にも来たのだ。

 村人が揃って逃げようとしたときにはすでに包囲されていた。何人かが撃ち殺され、残りは全員捕まって村の広場に並ばされた。

 両手に軽機関銃を抱え葉巻を吹かしているボスらしき男が、集められた村の子供たちの前に立った。その胸にぶら下がる金の鎖がじゃらじゃらと鳴る。怯えた顔の村人の周囲をアサルトライフルを持った浅黒い顔の解放戦線の兵士たちが見張っている。

「これを持て」

 ボスらしき男がそう言って、拳銃を子供の一人に持たせた。

「それでお前の両親を撃ち殺せ。やればお前は俺たちの仲間だ。やらなければお前は死ぬ」

 その子供の頭にボスは拳銃の銃口を押し付けた。

「三つ数える。それがお前に与えられた命の時間だ」

 三つの数が唱えられた。銃声が轟き、子供の頭が吹き飛ぶ。続いてその子の両親が撃ち殺された。

「お前の番だ」

 ピノキオの手に拳銃が渡された。両親が目の前に引きずり出される。

「さあ数えるぞ。3・・2・・1・・」

 引き金は思ったよりも軽かった。

 その後、各地の戦場を転々とした。小さな体には重すぎるライフルを持ち、狙いも付けずに撃ちまくった。タバコも酒も覚えたが、一番良かったのは麻薬だった。出かけた先の村で麻薬を決めて虐殺を行い、女を犯し、また新しい少年を徴兵した。



 ついに敵の銃弾がピノキオの心臓を撃ち抜き、再びピノキオは光り輝く人影の前に立っていた。

「やあピノキオ。今度の人生はどうだったね」

「詐欺だ」

「私は嘘は言っていないぞ」

「子供ってのは親に護られて甘やかされて大事にされて」

「そんな子供が世界にどれだけいると思うのかね。残念ながら君が生まれ変わった子供たちこそがごく平均的な子供というものだ」

「嘘だ」

「嘘じゃない。それに君も随分と悪事を楽しんでいただろう?

 まあ、いい。君の罪はいったん横に置いておいて、次はもっと文明的な国に生まれ変わらせてあげよう」

「本当に?」

「本当だとも」

 赤く眼を光らせながら、それは言った。



 車椅子が角を曲がると、その先に相談員が待っているのが見えた。

「荷物はこれだけね」

 パスポート一式が入ったバッグを取り上げると相談員が先導した。行き先は外国だ。暑い地方なので特に余分な衣類は用意していない。

「養子先が見つかってよかったね」

 少し嫌な感じのする笑顔で相談員が言った。その腕に高価な金ムクの腕時計を嵌めているのが見えた。

「でも・・」とピノキオが躊躇うと、車椅子を押していた人が身をかがめてピノキオの耳に囁いた。

「贅沢言ってはいけないよ。貴方はね、ご両親に捨てられたんだ。こうして養子に引き取ってくれる人がいるだけ貴方は幸せなんだよ。なに、気を落とすな。この国では障害のある子どもが海外に養子に出されるのは珍しいことじゃない」

 後はピノキオは無言だった。そのまま大人しく空港に運ばれ、飛行機に乗せられる。

 長いフライトの後に向こうの人々に引き渡され、そのまま病院へと運ばれた。

 変だなと思う間もなく、健康診断との名目で注射を打たれ、気が遠くなった。



 光り輝く人影は今度は椅子に座っていた。豪華な大理石の椅子だ。

「いや、素晴らしい」光り輝く人影は言った。「わが身を引き裂き多くの人々を救うとは。君の臓器のお陰で大勢の子供たちが救われたのを知っているかね?」

 ようやく自分がどうされたのかを知ってピノキオは泣いた。

「何て偽善だ」

「よくあることさ。人間たちはみんなこの事を知っているのに、止めようとはしていない」

「もっと良い国に生れたい」

「先の国も一応は先進国なのだぞ。もっとも自分で言っているだけだが」

「大国がいい」

「それなら一つ心当たりがある」

 光り輝く人影は立ち上がった。その頭に角が見えた。



 凍てつく冬はマンホールの中で蹲っているしかない。

 ゴミ箱を漁って手に入れた夕飯を一緒に住んでいる少年と分け合う。小さな木切れで起こした火に照らされ、見込みのない将来を話し合っていると、いきなりマンホールの蓋が引き上げられた。強い光で照らされ目が見えなくなった瞬間に腕を掴まれて引きずり出された。

 体格の良い警官が笑いながら言った。

「運のいい奴らだぜ。今日からはたっぷりと飯が食えるし、暖かなベッドで眠れるぞ」

 嘘だった。飯はわずかな残飯だけだし、木枠だけのベッドはひどく寒かった。

 一か月の訓練の後に、銃を持たされて最前線に送られた。

 それから二か月は生き延びた。銃弾の飛び交う下をかい潜り、砲弾が落ちてくる前に掩蔽壕へ飛び込んだ。軍曹の鉄拳を避け、死んだ戦友の服を剥ぎ取り、壊れた家を漁って腐った食料を見つけて食った。敵と出会ったら戦わずに真っ先に逃げた。

 そしてある日、地雷を踏んだ。



「嫌な人生だ。最低の人生だ」ピノキオは光り輝く人影に向けて叫んだ。

「こんなものさ」含み笑いをしながら人影は言った。

「それは違う。もっと良い生き方があるはずだ」

「それを証明できるかね?」

「アメリカだ。アメリカに生まれ変わらせてくれ。あの国ならまだ希望がある」

「無駄な試みだと思うがね。まあいい」

 光り輝く人影は手を振った。最後に見えたのは逆棘がついた尻尾だった。



 今日も食事は貰えなかったので、近所の店で万引きをした。店主は気づいているようだったが、ピノキオがパン一個を盗むのを見逃してくれた。

 三日前には養子制度の監督官が家を訪れた。その日だけは立派な洋服を着せられた。風呂に入ることもできたし、三食まともに食べることができた。監督官には、大事にされています愛されています幸せですと言った。

 そして今日は養父に殴られ元のボロを着せられ外で寝ろと家を追い出された。

 国から出ている養育費はすべてその家の本当の息子の贅沢に使われていた。

 ピノキオの痩せた体に監督官も養親の虐待だと薄々は気づいているようだったが、敢えて調べるようなことはしなかった。彼に取っては家庭訪問はあくまでも公務であり、別に子供が可愛いわけでは無かったからだ。

 一年間なんとか頑張って生きたが、最後には心が折れた。盗んだ銃で養親一家を撃ち殺すと、この憎しみの家に火をつけ、駆け付けた監督官を撃ち殺したところで警官に射殺された。



 もう人影は光り輝いておらず、黒の黒よりも黒い闇がその全身を覆っていた。

 ピノキオは叫んだ。

「神はどこにいるんだ!」

 それを聞いて悪魔はとても悲しそうな顔をした。

「死んだよ。俺の兄弟は人間に絶望して自殺した。もう神はいない。もう、どこにもいない」

「救いはないのか?」

「そんなものは最初から無い」

「じゃあボクを人形に戻してくれ」

「それがお前の望みか。人間になりたいんじゃないのか」

「もういい。人形の方がよっぽどマシだ」

「やれやれ。君は複雑だな」

「知らなかったんだ。人間の生き方がこんなに酷いなんて」

 悪魔は押し黙った。それから言った。

「いいだろう。お前の願いを適えてやろう」



 ソチミルコの人形島は、島の木々に無数の人形がぶら下がっている恐ろしい場所である。

 その人形にこのたび新しい人形が一つ加わった。長い鼻が特徴的な人形である。

 その人形の瞳は底知れぬ闇を映して常に世界を睨んでいる。

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