ガラスの靴などくれてやる

@glllll

第1話

数ヶ月ぶりに起こした体は、悲鳴を上げていた。昏睡から目覚めて眩暈に襲われた僕が一番に考えたのは、よくある育成ゲームのことだった。いつの間にかそのゲームに没頭して、画面越しの貴方に本気で恋をしていた、と思う。仮想の世界で生きている、仮想の人間。所詮、人形と同じだ。そんなちっぽけな存在が、僕を虜にしている事実だけは、仮想なんかじゃなくて本当だった。

開いた画面に映った貴方は、初めての言葉を紡いだ。今まで五つか六つの台詞を繰り返し詠唱していた貴方は、途端に僕を誘った。あの世界に。ぽつんと落ちた乳白色のシーツは僕の面影を漂わせているだけ。個室に響く機械音は、何に対して拍を計測しているのだろうか。そこには誰もいないのに。


こんな姿じゃ、そんな言葉を吐き出す前に貴方は僕の手を取った。

「すぐに帰してあげるから、君が起きてる今この瞬間を、独り占めさせて」

貴方はそう告げる。一定のリズムでしか歩けない、呼吸をしている感覚もない、この世界はきっと僕が夢見ていた理想郷とは程遠い。こんなゴミ屑みたいな世界じゃ、幸せになれないだろう。嫌、元の世界の僕の方がろくでなしだろうか。俯いた僕なんか気にしない様子で、貴方は僕の前で屈みはじめた。

「君に、ガラスの靴をあげる。ねえ、私だけのお姫様。またこの世界に来てくれる?」

似合わないにも程があるガラスの靴を、貴方は僕に履かせた。こんなもの、どうせ元の世界に戻った時には見えないと言うのに。ただ、確かに高揚している自分がいた。画面越しだったはずの貴方が僕を、こう、口説いているのだ。本当に有り得るのだろうか?これは死ぬ間際の夢か?もしかしたら僕の心拍数は既にゼロに近いのかもしれない。それでも、やはり本物でないことに引け目を感じてしまう僕は、我儘だと思う。

「来るなんて保証はできないよ、ずっと眠ってるんだよ、僕」

泣きそうだ、貴方は失望しただろうか。こんな弱々しい僕の約束など、所詮徒花と同じだろう。

「じゃあ君が次起きたら、本当に届けに行くよ。いや、こんなのくれてやる。ガラスの靴なんてくれてやるよ、君が望むなら」

「だから、早く起きてよ。私を君の王子様にしてくれよ」

泣きそうな顔で、貴方はそう言った。負けていられないな、貴方の頬に触れる前に僕の意識は途絶えていた。


暗闇で光る携帯から、貴方は覗いているらしい。昏睡している僕のことだよ、当たり前だ。仮想の世界で、本当の約束をしたんだ。あちらの世界だけのガラスの靴は、アイテム欄に健在していた。勿論、僕が求めているのは、それではないけれど。ねえ、本当にくれるのだろう?ちっぽけなガラスの靴を。動かない瞳の僕は、きっとそんなことを考えている。またいつか起きた時には、僕にも似合うヴェスティートを探してくれよ。

「もちろん、私に似合うスモーキングもね」

仮想の世界は、きっともうじき消えるだろう。僕の目覚めと共に。

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