第14話 本当の救いとは
恵理子はまぶしい光に起こされた。
この光は覚えがある。
でもすぐには分らなかった。
でもあまりに強い光に、恵理子の頭は強制的に覚醒状態へと戻されて行った。
この光は。
そうだあの光だ。
あの写真を撮られた時の照明の光だ。
そうだこの光がなければあの忌まわしい経験をすることもなかった。
そうすれば、今日だって恥ずかしさに身をよじりながら、忠志の愛を受けることが出来ていたかもしれない。
一瞬でもこの光に救いを求め、あたかも救われたかのように感じた自分を恥じた。
そして今の自分の状態を確認する。
無数のシャッターの音が聞こえる。
坂本真市が自分の写真を撮っている。
服はそのまま着ている。
それだけが救いだった。
そこはスタジオと言うにはひどく殺風景な空間だった。
自分はあのスタジオの前まで来ていた。
でもここはあのスタジオとは似ても似つかない空間だった。
「気がついた」ファインダーをのぞきながら、坂本真市が言う。
「ここは?」
「私の個人的なスタジオだ」
「ここが」
「驚いたかい。私はいつもここで写真を撮っている。このあいだのようなスタジオはむしろ落ち着かない」
「今日は脱がさないんですか」嫌みのつもりだったが、脱いでいないことに、安堵感はあった。
「脱ぎたいの?」
「まさか」恵理子としては、ささやかな抵抗のつもりだった。
「私は別にヌードが撮りたいわけではない。ただ人間の本当の姿が撮りたいだけだ。でもそのためには何らかの刺激が必要なんだ」
「それが脱がすと言うこと何ですか」
「恥じらいという行為の中に人間の本来の姿が出てくる。
この間の君がまさにそれだ。あの表情は本物だ。だから私は君の顔しか撮らなかった。
あの状況で君の裸なんてどうでもよかった」
「じゃあなぜ今の私を撮っているんですか」
「さっきスタジオに忘れ物を取りに行ったら、女の子がうずくまって眠りこけている。それが君だった」坂本真市は会話をしながらも機械のように写真を撮り続けている。
「裸にするという刺激がなくていいんですか」さらに嫌みのつもりで言う。
「君の表情だ。どういうわけか非常に興味深い表情をしている。今君の全てがそこに現れている。その表情を見てどうしても、君の写真が撮りたくなった」
「やめて」と言って恵理子は坂本真市をにらみつけた。
「いいよその表情、最高だ。素晴らしいよ。君はすばらしい。すごいよ」
坂本真市はそんな言葉を連呼しながら、狂ったようにシャッターを押して行く。
「さあ、もっと怒れ、そしてぶつけろ。君をそんな目に遭わせた者すべてに。
優しさは尽き放しだ、強制は搾取だ。
揺れ動く君の心は弱さだ」
それはまさに何かが乗り移ったようだった。
これが本来の坂本真市なのか。
ではあのときの坂本真市は何だったんだと恵理子は思った。
そこにあったのはほんわかとした恍惚感だったが。
今は違う、まるで服を着ているのに裸にされて全てを見透かされたような恥ずかしさ。
今日、起こったことを何一つ話していないのに、全て知られているような。
そしてまるでレイプでもされているように、ずかずかと坂本真市は恵理子の中に入ってくる。
そして仕舞に恵理子の感情が坂本真市に包みこまれて行くような感覚に陥る、この凶暴な男に全てを知ってもらいたい。
嫌知っているのだろう、確かに詳細は知り得ようがないが、恵理子の表情、状態から恵理子の内面が全て知られている。
忠志にさえ分ってもらえなかった思いを、この男は理解し受け止めてくれている。
何という心地よさだ。
何も解決していないのに、心のわだかまりがけ消えて行くような。
いったいどれくらいの時間がたったのだろう、坂本の手が止まった。
それは撮影の終了を意味していた。
恵理子の目から大粒の涙がこぼれた。
それがどういう意味だったのか恵理子にはわからなった。
と、その次の瞬間、恵理子の顔から笑顔がこぼれた。
その両方を坂本真市は逃さなかった。
そして最後のシャッターがきられた。
恵理子の写真集が発売されたのはそれから程なくしてからだった
「エリコ」という題名。
全編恵理子だけしか写っていない。
それはあの夜に撮った写真だけで構成された物だった。
その写真集は万人に受け入れられるような、綺麗な物ではなかったが、天才坂本真市の才能が遺憾なく発揮された素晴らしい物だった。
そしてよく売れた。
ヌードは一枚もなく、嫌それどころか顔以外が写っている写真もわずかだった。
そこに映し出された恵理子の顔には、恵理子の苦しみや、悲しみがこれでもかと言うくらい写し出されていた。
そして最後のページでは白んだ空の下、恵理子が見せた最後の笑顔で締めくくられていた。最後の大粒の涙、そして、笑顔。
この二つは、天才坂本真市が引き出したのか。
そもそも恵理子の表情がそうだったのか。
あるいはその表情を恵理子自身が作ったのか。
いやその全てを成し遂げる遂げることが出来る。
それこそが天才坂本真市なのかなと、恵理子は漠然と思った。
好奇の対象ー1980年 帆尊歩 @hosonayumu
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