蟹を食わせろ

もちもち

蟹を食わせろ

「三か月前から彼氏と連絡が取れないのよ」


休日の東京郊外の公園で話すには重すぎる友人の話題の切り出し方に、私はとりあえず手に持っていたドーナツを食んだ。

人間、どうするべきか分からない状態では、いつも通りの行動を取るものらしい。

温んだ缶コーヒーで特別美味しくもないが食べなれたコンビニのドーナツを流し込み、私はベンチで隣に座る友人を改めて見た。


「それは警察案件では」

「いや、三か月前にメールが入ってるには入っててね。

 三か月後に戻って来るってのはあるのよ」

「ああ、そうなんだ。どこに行くって?」

「だから、なの」

「ほお……」


聞けば聞くほど事件性を感じざるを得ない失踪である。

どこに行くのか、何をしに行くのか、誰と行くのか、あらゆる一般的な疑問をメールと留守電に託したのだが、ここまで一切の返事が無いという。


「…… 警察案件では?」

「彼のお母さんたちに伝えたんだけどね。

 あそこの家って、ほら、あれでしょ」

「ああ、うん」


友人の言わんとするところを察する私。しかし、友人と私が暈したのは所謂家庭に問題があるための配慮、ではない。

なんと表現したものかと言葉のまま困惑しているからである。

理解度を求めないで表現するならば、『絆が力技』とでも言おうか。

友人の彼氏も、その御両親も非常に親切で朗らかな方々だ。

このテンションと倫理の一部を生育の過程でどこかに置いてきたような友人が、なぜあんな聖人のような人々と出会えたのか、神様も粋なことをするものだとお付き合い当初は思ったものだ。

だがまもなく私は察した。

聖人も突き抜ければ異常者になり得る。これは類友だったのだ、と。ヘイマイフレンド、お前らお似合いのカップルだぜ。

話が多少ずれたが、既に彼氏はご両親を凌駕しているので、ご両親は彼氏に対して完全な信頼を寄せているのだ。何を言っているか分からないだろう、私も分かるつもりはない。

なので、彼氏の行方が分からないと伝えたところで、「問題ない。帰ってくると言っているのだから帰ってくる」に帰結したのだ。


「まあ、でも、じゃあ…… 三か月経ったんだから、帰って来るんでしょう。

 というか、なぜ私に今話したよ」


もう解決間近の話ではないか。なぜもうちょっと経過してからの完了報告を持ってきてはくれなかったのだろう。

友人はペットボトルの紅茶をごくごくとビールのように飲み干す。


「さっき彼から帰還報告のメールが入って」

「あ、まだ話の途中でしたか」


どうやら友人の話が途中のところで私が口を挟んでしまったらしい(ということであれ)。

話題の冒頭がクライマックスすぎるのだよ、友人。


「さすがに事態が意味不明過ぎてお前も巻き込んでおこうと思った」

「そもそもカップルの問題で所在が無さすぎるんだよねえ!」

「カップルの問題に納めないでよ、でかすぎて泣いちゃうじゃん」


などと、友人はおよそ泣く人間がする顔ではないテンションアベレージの調子で淡々と。

お前それは私のセリフだし、お前と彼ピが通常のカップル枠に収まると思うなよ。

私は残りのドーナツをサクサクモグモグと平らげ、のんびりとした午後の公園から立ち去ろうとした。

すぐに無駄だと悟る。諦観の境地に至るのは早い方だ。


「ただいま、と…… やあ、久しぶり」


きらきらとした後光を背負い、なぜかクーラーボックスを提げた友人の彼氏がそこに立っていた。いつの間にいたのか。数秒前までは影も形も無かった気がするのだが。

三か月間逢瀬の無い恋人同士とは思えない淡白さで、隣の友人が「おかえり」と返しているのが聞こえる。戸惑いすらねえ。


「一緒にいてくれたの助かるなあ。

 蟹漁のお土産があるから」

「パワーワードに太刀打ちできない」

「新鮮なうちにどうぞ」

「手渡し!!!」


クーラーボックスからずるりとズワイガニが出てくる光景をまさか公園で目撃するとは、何を言っているんだ私は。


「なぜ突然蟹漁に」


という友人の疑問すらこの場で一番の常識的な発言になってしまう。「蟹漁に行ってたのなら連絡もつかないよね」なんて納得する理由ができるほど、場の一般常識が崩壊しきっているのだ。

彼氏は決してイケメンではなく多少体格はがっしりしているものの、爽やかな笑顔と柔らかな物腰で補正効果が掛かり、常に後光が差している(ように見える。幻覚である)。

友人の質問に、彼氏は笑った。


「君が『蟹を食わせろ』と言ったからだね。

 ベーリング海峡までひとっ走りさ」

「なぜ最高峰を攻めたのか」

「北海道で買ってきてくれるだけで良かったのに」


しおらしく友人は言うのだが、現在地は関東ど真ん中である。せめてネット購入か外食で手を打ってあげて欲しい。蟹漁最高峰の地まで行っちゃうから。

彼氏は紳士的な仕草でベンチに座る友人の前に膝を着き、やはり紳士的な所作で彼女の手を取る。


「愛しい人には、僕自ら調達したものを食べて欲しい」


この男、これから一次産業を始める気か。

ちょっと上手く行きそうなところが恐ろしい。


「そう…… ありがとう。蟹漁のお給与もあると吐くくらい蟹を食べられるのだけど」


自分が獲って来たものを食べて欲しいと言われた直後の友人の返事である。人の心がない。

だが、彼氏はメンタル聖人なので爽やかに受け答えるのだ。


「蟹が目的だったので、給与はすべて海洋保護の慈善団体へ渡してきたよ」


微妙にシニカルなことをしてきたな。いや、真っ当な正義だろうか。水産資源を扱う者、水産資源を保護するべし。

友人も「なるほど、それはそうね」と納得している。倫理観は欠如しているが、悪人ではない。


「では」


そう言うと、彼氏は足元に置かれていたそこそこでかい箱を開けると、手際よくローテーブルを組み立てた。

それから白いテーブルクロスをパン!と景気よく広げ、ふうわりとテーブルへ掛ける。


「さあ、たんと召し上がれ」


彼氏はニコニコと友人と私の前に皿を並べ、どこのプロかと見紛うばかりの手捌きで蟹を剥いていく。

隣では「うまー」と棒読み(最大限の感情出力)の友人の鳴き声が聞こえる。

私は旨味の詰まったでっぷりと揺れる蟹身を眺め、スマートフォンを取り出した。


『おそらくこれから、私が公園で蟹を貪る画像がSNSに出回るかもしれないが、

 詳細は隣の人物で察してほしい』


と、ほかの友人たちに通達するためだ。

何を言ってるんだお前はと即レスが付くが、むしろ私が教えて欲しい。

しかし蟹はすべて平らげる所存である。

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