ひとりぼっちの創作が

真花

ひとりぼっちの創作が

 都立美術館から出たところで、ウミと遭遇した。驚くなり立ち止まった僕達はお互いの顔を眺めて、僕は水平線を這わせるように視線を泳がせ、彼女は僕に興味の素がふりかけられているみたいにくまなく僕を視線で物色する。集めた興味の素の分だけ彼女は口角を緩め、瞳を輝かせる。

「素敵なところで会ったね。コウはもう帰るとこ?」

「ウミはこれから観るの?」

「うん。でも、もしコウに時間があるなら、ちょっと話そうよ」

 この後は暇だ。さっき観た作品を反芻するくらいしか予定はない。

「いいけど、観なくていいの?」

「物事には優先順位があるからね」

 職場から帰る方向が同じで、タイミングが合ったときには喋りながら帰ることがあるし、仕事上でも連携を取ることもある。だけど、休日に会うのは初めてだ。話そうと言った割に彼女は何も言わずにスタスタと僕を先導して、上野公園内のカフェに入る。ブレンドを二つ注文して、向かい合って座る。彼女がじっと僕の目を見る。

「いつか腰を据えて話したいと思ってたんだ」

 彼女小さく手を叩く。「美術の神様が導いてくれたんだね」と笑う。僕もつられて笑う。彼女は左右に人がいないことを素早く視線で確認して、洞窟の奥に隠された秘宝の話をするように声をひそめる。

「訊きたいことがあるんだ」

 僕は小さく頷く。彼女はそれを確認して元の姿勢に戻る。

「コウはどうして小説を書くの?」

「え」

「どうして?」

 彼女に僕が趣味で、いやいずれはプロになりたいと思いながら小説を書いていることを、プロ云々は伏せて、言ったことはある。でもその内容を開示したことはないし、興味を持たれるようなことだとは思っていなかった。彼女の「どうして」に圧力を感じる。既に僕は罠にかかった後のウサギなのだ。言い逃れも言い訳も黙秘も出来ない。

「書きたいから」

「答えになってない」

 彼女の声が真剣で、仕事中の真剣さとは色味が違って、仕事中が黒い真剣なら、今は水色の真剣。突き付けられた刃に、僕も刃で応えたくなった。

「創作をすること自体に喜びがあるんだ。だから、作曲でも、絵画でも、彫刻でもいいんだと思う。本当はどれでもいい。だけど、僕は小説が一番面白いし、多分僕の表現したいものを最も表現出来る方法じゃないかと思っているんだ」

「他の方法は試したの?」

「もちろん。特に音楽はずっとピアノをやって、曲もかなり作った。で、最終的に才能がないと思ったし、情熱もそこには保てなかった。それ以上に、今は、音楽単独では表現出来ないことを表現したいと思ってるから、媒体として主からは外れる」

「小説だと何が表現出来るの?」彼女は刃を引っ込めない。僕は少し考える。

「時間が存在するから、すごく幅が広い。絵とか音楽みたいに直接的にはならないけど、それはつまり受け手によって捉え方が変わるのだけど、それはそれとして、何かを表現したいと思ったらそのためにいくらでも字数を使えるでしょ? その自由さが好き」

「最初から何かを表現しようとして、書き始めるの?」

「それは二種類ある。目的を持って書き始めるのと、ゴールを決めないで書き始めるのの両方があるよ」

 ブレンドがテーブルに並ぶ。彼女はその間だけは黙って、だけど切っ先を少しもブらさない。

「ゴールを決めないで書くなんて、あるの?」

「あるよ」

「それじゃどんな作品になるか分からないじゃない」

「それがスリリングでいいんだよ。演繹的だからライブ感が出るし」

「それは実験だね」

「実験?」

「そうだよ。彫刻家が完成図を考えずに彫るのと同じってことでしょ? 実験して、面白いものが出て来たら採用して、そうじゃなければ捨てるんだ」

「無意識が作品を導くって考えてる」

「無意識?」

「そう。演繹的な書き方ってのはつまり、僕自身を反映させるってことなんだよ」

「帰納的だとしてもコウは反映されるよ」

「どうして?」

「だって、コウが書いてるんだもん」

「確かに……」

「他に無意識の書き方にこだわる理由はあるの?」

「書きやすい」

「なるほど。帰納的だと書きにくいの?」

「そんなことはないけど。いや、言われてみれば書きやすさに優劣はないかも。プロットを書いても、書きにくくはない。でも、やっぱり演繹的な面白さはあるんだよね」

「脱線すればいいじゃない」

 ウミは不敵に笑う。僕は少しの間固まって、それからぎこちなく頷く。

「そうかも知れない」

「他にこだわりはあるの? 書き方に」

「テーマを据えたり据えなかったり。でもなんか、演繹的って言うのは言い訳な気がしてきた。それでも実験のやり方もしたい。……何でだろう。自分でよく分からない」

「考えて。きっと分かるから」

「……演繹的に書くと、テーマが炙り出されるんだよね。それで、ああ僕はこれが書きたかったのか、って分かる」

「それは帰納的にやっても、同じことが起きるんじゃないかな」

「そうかな。帰納的ってことはやり方を決めてるってことでしょ? だとしたら、あ、脱線か」

「脱線もそうだけど、それ以上に文章自体が持つ自由さ、さっきコウが言ってたじゃない、それがあるんだから、テーマになるんじゃないのかな」

「確かに、プロットを決めて書くときにも、裏テーマみたいなのが出て来ることはある。それでもプロットはプロットだから、大きくは脱線しないよ」

「例えば、落語家の人とか演劇の人とかって、ラストまで分かった上で演じてる訳でしょ? それでも臨場感バリバリになる。それじゃダメなの?」

「落語家。演劇。なるほど。プロットの中で暴れるってことだね。それは出来るかも、いや、今まだ出来てないからそれを出来るように修行をしないと」

「オッケー。じゃあさ、どんな作品を書きたいの?」

 僕はコーヒーを啜る。飲み込んだ時の音が店全体に響いた。

「没頭出来る作品」

「抽象的過ぎる」

「小説とか漫画とか読んでて、一気にぐわーって読んじゃって、ああ、残りの枚数が終わってしまう、それは嫌だけど、読み進めるのも止められない! ってあるでしょ?」

「幸せな瞬間だね」

「そう言う風に読まれたい」

「テーマは何でも良いと」

「そうなってしまいます。でもそうするには僕がよく書く文体は重過ぎるんだよね。多分」

「純文学ってこと?」

「そう」

「文体が重くても熱中するときは熱中するから、そう言う問題じゃないと思う」

「そんなものかな」

「もし読みにくいなら、それは文体の問題じゃなくて、余計なものが入ってたり、ごちゃごちゃさせ過ぎたりってことだから、工夫をすればいいんじゃないのかな」

「そうかも知れない。文章の濃度を意図的にいじってるんだけど、それだけじゃダメなのかな」

「表現したいことに適した濃度にすればいいんじゃないの? だって、表現するのが目的なんでしょ? 濃度ってのが先にありきじゃおかしいよ」

「そうだよね。表現することが目的なんだもんね」

「そう考えると、表現と没頭されるの間にも隔たりがある。結果的に没頭であって、それが目的ってのはやめた方がいいんじゃないかな」

「え」

「内容が面白ければ、勝手に没頭するよ。目的に据えるべきは、面白さじゃないのかな?」

「それって、誰にとっての面白さなの?」

「もちろん読者にとってだよ。でもそれはそこにいないから分からない。そうすると、ペルソナか、自分しかないでしょ」

「ペルソナを含めて他人が面白いと思うものを作って、はいどうぞ、じゃ創作じゃなくて工業だよ」

「じゃあ自分が面白いものを作って、他の人に『これは面白いと思う? 僕は面白いけど』ってやるしかないんじゃないの?」

「本当にそれしかない気がする。創作で勝負するなら、自分が面白いと思うものを作って、問うと言う形しかない」

「いいじゃん。かっこいいよ」

「でもそれやって、新人賞は落ちまくってる」

「投稿してるの!?」

「……誰にも秘密にして」

 彼女は瞳を輝かせて、咲く。

「もちろん。二人の秘密だよ。……新人賞のことはよく分からないけど、おもねった作品を作っても意味ないんじゃないのかな」

「何度も落ちると鼻っ柱がベコベコになるんだよ。落ちる度に自分の創作はこれでいいのか、って悩む」

「悩んでもいいけど、書きなよ」

「書くよ。書いてるよ。それが止まることはない」

「そっか」

 彼女がコーヒーを一口飲む。僕はカップが置かれるのを見届けてから言葉を出す。

「目標だから」

「目標が何度も折られて再生してを繰り返すと、夢になるんだよ」

「じゃあ、夢になる前に達成したい」

 僕達は一緒に笑う。

「ねえ、コウ」

「うん」

「小説のこと話してくれてありがとう」

「すごい迫力で迫られた」

「あまりに知らなかったから。でも、もう知った。だから、応援出来る」

 彼女の優しい気配の中に、さっきから続く刃の色が残っている。僕は「おう」と応える。

 今夜も小説を書くだろう。明日も、明後日も。ひとりぼっちの創作が、二人のものになった。僕の前で、ウミは笑っている。


(了)




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