人魚の歌
枢木透
人魚の歌
「なぁ紘、人魚の歌って聞いたことある?」
三年来の友人が素っ頓狂な質問を投げかけてきたのは、もう大方の果実が爛熟し始めようと言った時期だった。辺りは上着の必要性を感じるくらいには肌寒く、空気も湿気を感じなくなってきていた。二人並んで椅子に腰掛け、つまる話もなく各々好きな事をしていた時、彼はそう質問を投げかけてきた。
「いねぇもんの歌をどう聞けと?」
今しがた読んでいた小説から目線を外し、あらんかぎり嫌そうな顔をして友人へ合わせる。そこにはいつも以上にニヤけた顔と、期待と興奮に満ち満ちた目が俺を見つめていた。この男は面白い噂話や体験談を聞いた時はいつもそうなのだ。いつもそうやって口の端を吊り上げて好奇心に身を委ねる。毎回、その好奇心の割を食うのは俺だ。
「本物の人魚なわけないだろ。そう言う噂だ」
「噂ァ?」
分かってはいたが、またこれだとため息を漏らしつつ話を聞いてやる。
「そそ、この学校の第8校舎。もうほとんど使われてない音楽室の窓がたまに開いてて、そこからとんでもなく綺麗な歌が聞こえてくるんだと」
綺麗なってので人魚を連想する辺り、ありきたりも良い所の噂。全く何故懲りないのか理解に苦しむ。ウキウキしながら脚をばたつかせている松永。
「歌ねぇ、誰かが使ってるってだけだろ?」
「そんな簡単にオチがつくなら噂になるか?」
「それもそうだな」
至極真っ当な意見で返されたので面食らっていると。その話を話したそうな雰囲気を醸しながら、キラキラした目を向けてくる。こうなったら誰が何を言ってもコイツは止まらない、興味の対象が擦り切れるまで探求の限りを尽くす。誠に不本意であるが渋々松永から詳細を聞く。
「んで?」
「その人魚の正体を確かめようとした生徒がいたらしいんだ。でも階段を上がって音楽室に足を踏み入れたら誰もいなかったって、不思議だよなぁ?」
「その話だけ聞けばな。その歌声は踏み入れる直前まで途切れなかったのか?」
「さぁ?噂ではその部分は語られてないんだ」
噂特有の適当極まりなさ、聞いててあくびが出てくる。ついでに悪態も。
「な?面白そうだろ!」
食い気味に俺へと同意を求める級友に呆れ混じりに答える。
「あのなぁ、なんでそんな譲歩のかけらも感じない噂で、俺は件の音楽室の下に呼び出されなきゃいけないんだ?」
あらん限り不満を込めた声で俺は抗議する。どうせ聞かれるとは思ってないが言わないよりはマシだろう。
「まぁまぁ、お前も気になるだろ?」
「ならねぇよ」
再三行っている通り、この男は話を聞かない、いや聞いていてもそれが頭に入っていかずに反対側から出て行っているのだ。全く傍迷惑な男である。
「そうだよな、お前もなるよな!!」
「ならねぇっていったよなぁ?」
取り敢えず、その耳を引きちぎって投げたい気持ちを抑え「まずは現場検証だろ?」と言いながら立ち上がり、立てと松永を急かす。
「紘のそう言う所好きだよ」
「やめろ気持ち悪い」
背筋に若干の寒気を感じながら、部屋を後にする。
淡々と音がよく反響する階段を登り、件の音楽室がある3階へと足を運ぶ。3階はまさに長い間使ってませんと言った感じの風態で、埃が積もっていてだいぶ息がしづらい。ゴッホッゴッホと咳をしながら廊下を歩き、音楽室の扉に手を伸ばして開ける。
「うぇ、埃が多くて吐きそう」
「早い所、窓でも開けて換気しないと肺がやられそうだ」
俺は窓に駆け寄り、ガラガラっと全開にする。すると秋の冷たい空気がサーっと音楽室を通り抜け、一呼吸すると肺が綺麗な空気に満たされる。
「あー、最後に人が入ったのはいつなんだ?」
「一年はほっぽってるって言われても納得できるね」
「事実そうだろうよ……」と呟いて早速部屋の物色を始める。戸棚、ビデオデッキ、ピアノ、その他放置された楽器類、使われていないだけあってなかなかにボロボロになっている。
「楽器とか、コレ高いんだろ?」
「まぁ十数万するかしないかくらいじゃないか?」
うへーと声を上げながら眉を大袈裟に吊り上げて驚いている。その間ゴソゴソと色々なところを物色してみるものの、案の定と言うか何というか、コレと言った手がかりなしで捜査が行き詰まってしまった。
「そう言えば、その噂ってのは大体どのくらい前の事なんだ?」
音楽準備室の棚を漁っている時にふと気になり、俺と反対側の棚を漁って咽せている松永の方へ振り返りながら尋ねる。
「いんや、正確な時期までは分からないよ。俺も聞いたのは最近だし……」
「そうかよ、それじゃ何もねぇだろうなぁ」
「どう言う事?」
パタンと小道具がしまってある棚の扉を閉めながら、俺は話を続ける。
「そもそも噂ってのは新しいものは早く広がり、古いものほど消えやすい。お前の様なある意味噂のプロの耳に届くのがこんな時期って事は相当昔の噂だろうな」
なるほど、と松永は合点が言った様な顔をした後、じゃあと言葉を切り。
「いつからあるのか確かめに行こうか」
「……マジで?」
カツカツと音の反響する廊下を歩く。ここは第2校舎主に職員室や会議室、事務室などがあり普通の学校生活では、それこそ情報の授業を取っている生徒がパソコンを利用しにくるくらいだろう。そんな教員の巣窟などと言う面倒臭い場所に来ることなど、一度もないため真新しさを感じながら廊下を進んでいく。
「結局、ここに何しに来たんだ?」
「知らないのか?現代文の楠木先生ここのOBなんだよ。OBならなんか知ってると思ってな」
「OBか……なるほど」
確かに卒業生ならば最低でも卒業して4年は経っている。ならばおおよそどのくらいからある噂かは特定できるだろう。少し灰色に汚れた職員室の扉をガラガラっと開ける松永を横目で見ながら、俺は横にかけてある鍵掛けが気になり、上から順番に鍵を見ていく。ぱっと見でわかるのは、各教室の合鍵だろうか名札にはそれぞれの教室の番号が振られている。
「なるほどな」
「あっいたいた、楠木先生~!」
そう松永が手を振ると一人の若い男性がガタッと立ち上がりコツコツとこちらへと近づいてくる。その若い男性こそ我らが現文の担任、楠木先生だ。下の名前は知らん、先生はどこか気だるそうな目元で俺たちを見ると出来る限り作った爽やかな声で「どうしたんだい?」と言ってきた。
「少しお話を聞きたくて、先生って確かここのOBでしたよね」
「あぁ、うん、そうだけどよく知ってるね」
楠木先生に連れられ、職員室から出で廊下を歩く。
「こいつ噂好きなんですよ」
俺が松永のことを親指で指しつつ話す。そうしたら先生は納得したように「あー」とだけ言って要件を聞いてきた。
「それで、話というのは?」
「あのですね、人魚の歌って噂は先生が学生のころからあるんですか?」
『人魚の歌』その一言を聞くと楠木先生はピクリと眉を上げる。そのまま俺たちは事のいきさつを話した。それを聞くと少し考え込むような仕草を取り、それから俺と松永を交互に見て、またため息をついた後口を開く。
「なるほど、あの噂ですか。それにしてもおかしいな、鍵は壊れていなかったんでしょう?なら見回りの方が閉めているはず……」
そう溢して再び俺たちのほうを向く。その顔は普段の何倍も不健康そうだった。それにつれて低くなる声に少し気苦労への同情を感じながら、俺と松永は心の中で今度何か奢ってあげようっとそう思うのだった。その心内に気づいてか気づかずか、楠木先生はふっと口元をほころばせ言葉を続ける。
「私から言えるのは、私が入学したときにはもう既にその噂はあったと言うことくらいかな」
「なるほど、ではここの任期が一番長い教員はどなたですか?」
「それだと、確か美術科の佐藤先生じゃないでしょうか?私がこの学校に在籍していた時点でベテランと周りの方が話していましたから……しかしなぜ?」
「任期が長ければもしかしたら事の発端を知っているかもしれないでしょう?」
なるほどと、楠木先生は得心がいったように相槌を打つ。俺はその様子に話が逸れる気配を感じて「して、その先生は何処に?」と無理矢理話題を戻す。
その質問に少し考えるそぶりを見せてスーッと息をすい楠木先生は答える。
「多分この時間だともう美術室ではないかと思います。彼は美術部の顧問ですし」
「なるほど、ありがとうございます!」
松永はそれを聞くとニコニコしながら足速に美術室へと向かう。興味の対象が移った証拠だ。
「ありがとうございました。楠木先生」
「いやいや、生徒の質問に答えて道を明るくするのが教師の務めですから。それでは私はこれで、補習がありますので」
「引き止めてすみませんでした」
いえいえと楠木先生はそう返すと、第1校舎の方へと消えていった。全く、よく分かんない人だ。
「良心的なんだか他人に興味がないんだか……」
「紘、置いてくぞ〜」
「へいへい、今行きますよ」
と俺は今日一番のため息をつき、松永の後を追う。松永の興味興奮が早く終われと念じながら。
ところ変わって第4校舎、主に美術室や音楽室に書道室、果ては文芸室などのいわゆる芸術科目のための教室しか入っていない専門校舎だ。第8校舎の後釜らしい。通っていてなんだがこの学校は中々に力の入れどころを間違っていると思う。そのせいもあってか改築に改築を重ねた学校全体の校舎は10にも上る。古いものは昭和から新しいものは令和に至るまで千差万別、古新混沌、歴史の古さと建物の新しさではでは他の追随を許さない、矛盾してるようでしてない変な学校なわけだ。
そんな校舎の中でも大体中間、平成20年ごろに建てられた第4校舎。その性質もあってかどこか物々しい雰囲気を醸し出している。至る所にはあらゆる芸術作品やその道具、延いては芸術に関するもの専門の図書館まで、力の入り方がおかしいベクトルへ傾いている気がするのは俺だけだろうか。なんだよ文芸室って、文芸部しか使わんだろ、部活棟のある第6校舎にでも入れればいいのに、何考えてるんだうちの理事長は。
「えーっと、確か美術部の部室は2階の第1美術室だったな」
「にしても多くないか?何をどうしたらこんな丸々一つ校舎を副教科につぎ込めるんだ?」
まぁ普通の学校からすれば正気の沙汰とはとても思えないだろう。事実、俺も正気を疑う。その正気を疑ったところで二階へと足を運び、普段の運動不足のせいか息が上がる。横にいる松永は興奮と期待のおかげか息ひとつ切れずにスタスタと美術室へと歩いていく。
「俺より体力ない奴がどうしてこうもイキイキしてるかね?」
ウキウキしながらコンコンと美術室をノックする松永に、俺が嫌味を混ぜた皮肉を垂れるとコイツは振り返り口に人差し指を当ててこう言った。
「それはねワトソンくん、噂と謎が私を呼んでいるからだよ」
「へいへい、小室先生」
「なんだ?小室先生って」
「知らねぇならいいよ」
俺の渾身のジョークが滑ったところで、ガラガラと少し立て付けが悪くなっているのか最後に大きくガタンと音を立ててドアが開くと中から恰幅のいい、いかにも評論家ですとか言い出しそうな口髭を蓄えた50代後半の男性が出てきた。それが目当ての佐藤先生だと気づくのに、少し時間を要した。しかし打って変わって左胸の職員証を見ていち早く気づいた松永は、自前の対話能力を活かしてスラスラと要件を伝え始める。その要件を聞くと佐藤先生はすんなりと美術室に通してくれた。
俺がおずおずと美術室に入ると、そこには絵、絵、彫刻、絵っと、見渡す限りの作品の山。その中央に先生の物だろうか、これまた絵筆や6Bの鉛筆やらでごった返したデスクがあった。
「こうやって作品と道具に囲まれてないと落ち着かないものでね」
ハッハッハッと先生は恰幅の良さを最大限に発揮した温和な笑いを浮かべる。とっつきやすい性格なんだろう、そんな様子が伺える。とりあえず話しやすそうな人で助かった。もし七不思議系列のアンチだったらどうしようかと思った。そんな感じで俺が胸を撫で下ろしていると、佐藤先生が話を始める。
「さて、確か人魚の歌の噂が何時ごろからあるかを知りたいんだったね」
「はい」「ええ」
「それならまぁ私が適任だろうね、私が赴任してきた頃からだから、大体20年前にはもうあったと思うよ」
「そんな昔からあるのかよ」っと、年数の多さに心の中で俺が驚いていると、横でフンスフンス言いながら話を聞いていた松永が早速聴取を始める。
「20年前にはもうあって定着していたということですか?それとも赴任した年に新たにできたということですか?それからこの20年間なにか噂に尾鰭がついたとか、変わった事はありませんでした?」
高速な松永の質問に少々、面食らいながら先生は質問に丁寧に答えてくれる。
「言い方が悪かったね、私が来た時にはもうあったんだよ。それと変わった事か……」
松永の話を律儀に聞いて素直に答えてくれるとは、この人は聖人が何かじゃないだろうか?大抵の人はこの長々とした質問攻め通称『聴取』を初見で受けると面食らって笑ってしまうか困ってしまうか、まぁ大同小異だ。どちらにしろあれはキツい。
ただこの人はそれを難なくと躱して現在記憶を掘り返している最中らしい、顎に手を当ててうーんと唸っている。ぶっちゃけそれがわかったところで賽の河原であることに変わりはないし、あったとしても微々たるものだろう。
「そうだ、そういえば、いつだったかな?3~4年前だったか噂がパタリと止んだ時期があったよ」
「その時の状況詳しく教えてもらっても?」
新出の情報に飛びつきさらに鼻息が荒くなる松永。横で見ていてなんだが、ここまでくるともはや引くな。
「いいけど、なんせ最近物忘れがひどくてねぇ」
そう言いながらまたうーんと、椅子の腕掛けに肘をついて唸り出してしっまった。松永は今聞いたことを自分の知識と照らし合わせ、一心不乱にスマホへメモっている。
少し前に気になって本人に聞いた話だが、どうやら今までに見聞きした怪異、七不思議、伝承に至るまでありとあらゆる【噂】の情報が入っていて、なんとそれだけでデータ容量9割を超すらしい。いよいよもって病的だが、それだけ熱中できるものがあるのも、一周回って羨ましいとすら思う。
完全に会話の蚊帳の外ととなった俺は、手持無沙汰になり、ひまつぶしにスマホをつつく。もちろん何を調べるでもなく、漫画を読んだり動画を見たり、果てはニュースを見て日本の平和さに呆れたりなど……。
そうこうしていると唸っていた佐藤先生が、神妙な顔で再び口を開く。
「すまないが、やはり思い出せそうにないよ」
「そうですか……お忙しい中お時間をいただき、ありがとうございました」
「いやいや、良いんだよ私は君のような生徒が好きでね、見ていると創作意欲が湧くんだ。こちらこそありがとう」
そうして俺と松永が立ち上がり会釈をして、ドアへと向かって歩いて行くと。ドアを開けた直後に先生が俺たちへ声をかける。
「いや、一つだけあったな、だいぶ前に一人君たちと同じことを聞きに来た生徒がいたね」
「ほう?」
「いやね、随分と豪快な女の子だったな。そして美人だった……今は30手前だろうがね。その子が私の話を聞いた時にね、こう言ってたよ『人魚ではなく吟遊詩人だったか』てね」
松永は横で『?』を頭に浮かべてメモを見返している。
「吟遊詩人?」
中世ヨーロッパに実在した。いわゆる旅芸人や今で言う紙芝居、もっと言えばラジオや新聞のようなものだったはずだ。だがなぜ人魚の歌が吟遊詩人なんだ?吟遊詩人は歌に英雄譚や噂話を載せて地方に流す。そういったものたちの事だ。なら何故それが今回の件に関わってくる?
「歌にして……伝える?」
何を?人魚の歌は何かを伝えていた?つまり人魚の歌自身が吟遊詩人ってことか?いや噂に歌詞は明言されていなかった。つまり歌詞自体には特に意味はない、もしくは意図的に省かれたか?いや違う省かれたのだとしたら何かしらのズレが生じるはず、歌詞がない部分の空白が何か違和感を感じされるはずだ。それでも確かに違和感なく伝わって来ているのだとしたら、何が、何が吟遊詩人なんだ?
「なぁ紘、確か吟遊詩人って歌でどうこうする。よくRPGとかにバフキャラで出てくるあれだよな?」
「ん?あぁそうだよ」
そうだ吟遊詩人は歌に乗せて情勢や物語、ちょっとしたジョークまであらゆる事象を伝える人の総称だ。だがそれが一体なんだ?何に繋がる?何かが引っかかる。なんだ?何が……。
あ………例えば人魚の歌本体が伝えられる方だとしたら?つまり何かが、誰かが、それを20年間ほぼ毎日伝える役割を担っていたとしたら?
「まさか……」
「何かわかったのか?紘」
俺は急いでスマホを突き出す。そして不確かな仮説を紐解き綺麗な確証へと変えていく。そうだ、それならば噂が途絶えたことにも納得がいく。吟遊詩人がいない詩は紡がれない!
そしてようやく、俺の前には謎というごちゃごちゃな糸が綺麗に解かれた一本の線という真実へと揃えられる。それに不敵な笑みを作った俺を見て松永は口を開く。
「わかったのか?」
「あぁ、吟遊詩人の意味も人魚の歌の謎もな」
そして自分が解いた真実を見て嘲笑する。こんな簡単なことに気付けなかった自分自身と、吟遊詩人なんて乙なヒントを出したその女を。
「はっ、そいつは飛んだ切れ者だよ」
あぁ、この事実に途切れた噂の話がない状態で気づいたなら、それこそシャーロックホームズだ。
「さて、音楽室に行くぞ」
「おう」
そして、また初めの出発点、音楽室の前に戻って来た。俺は早速ガラガラっと重く軋んだ扉を勢いよく開けると、そのまま当たりを見渡し目的のものを探す。
「それで、噂の正体ってなんなんだ紘?」
「それは……」
探し物が見つかり、スタスタと歩きながらグランドピアノの上板を外して、中を漁り、あるものを取り出す。俺が手に握っていたのは年代物のCDプレイヤーだった。
「このCDプレイヤーだ、見てみろちょうど俺たちが最初に聞いた時と同じ15:40にタイマーがセットされてる」
「なんほど、だからか」
松永は俺の指差すところをまじまじと見て納得したように頭を上下させる。そこには確かに15:40のタイマーがセットされていた。またその年季の入り様から、噂が流れたのと同時期に使われていたものだともわかる。
「人魚の歌の歌詞が明言されていなかったのは、これが原因だろうな」
俺はCDプレイヤー内にある、真っ白な表面に掠れて読めなくなった文字があるCDを取り出して松永に見せる。
「CDの寿命は長くて30年しかも毎日同じ時間に流し続けてたんだ。なら劣化も尋常じゃなく早いだろうよ。本体も、もうほとんどまともに機能していないのに、曲を流し続けてたんだ」
俺の説明をメモしながら真剣な表情で、熱心に聞く松永は一通り聴き終わった後、一つ質問を投げる。
「でもCDプレイヤーには電気がいるだろ、ここは旧館だし使われてない」
「おいおい忘れたか?ここは使われてないって言っても、俺たちが使っていた部屋同様に電気が通ってる。その間、このCDプレイヤーがずーっとこのCDを流し続けてたんだ。この声の主の思いを、後世に届けるかのようにな」
ふぅ、と息を吐き出してCDプレイヤーを眺める。もうほとんど劣化してタイマー機能ですら正常に動作をしなくなりつつあった中。それでも過去の少女の歌声を届け続けた吟遊詩人を労うように。
「紘ってたまに言葉使いが凄い詩的になるよな」
「ほっとけ。それにあの美術の先生が言ってたように間3〜4年その噂が途切れた時期があったんだろ?」
「確かに言ってたな」
少しの恥ずかしさを抱え、耳が熱くなるのを感じながら話を戻す。確たる証拠はないが、まぁ概ねこんな所だろうと言う推論を告げる。
「その時期とこの学校の大規模な配線替えがあった時期と一致するんだよ。まぁこの使われてない校舎じゃ、配線の取り替えは後回しにされるだろうし、完全に電流を遮断して取っ替えた方が業者も楽だろうしな」
「なるほど」
松永は得心がいったような表現でうんうんと頷く。俺はコイツの中の好奇心がなりを潜めたのを感じながら「やっと終わった」と小さくつぶやく。そんなこんな、CDプレイヤーを元の場所に戻していると、松永がいつもの調子で俺に話しかける。
「それじゃ謎も解けたし、暇も潰せたし、帰るとしますか」と言いながらドアに近づきガラガラっと開ける。俺は、はいよと言いながら、次はもうちょっと調査が楽な噂が来ないものかと願いつつ、そもそも新しい噂がコイツの耳に入らないことを祈りながら松永に続く。
「扉閉めるのお願いね〜」
「お前がやれよ」
俺のその言葉に早い者勝ちでーすと言って松永はサッと階段へと向かっていく。はぁ、とため息を零しながら音楽室の扉を閉めようと扉の方を向いた時。一瞬何かが視界に入ったのを感じる。何かと思い視線を音楽室の中へと向けると……もう夕日で教室がいっぱいに照らされている中、セーラー服を着た一年生くらいの少女が、こちらに向けて笑いかけていた。
驚いて目を見張っている俺に声は聞こえなかった。しかし、俺にはそれが不思議と感謝を伝えているかの様に思えた。そして、何かが終わった時の達成感にも似た満足げな笑顔を絶やさぬまま、こちらを優しく見つめていた少女は、次第に空気へ溶ける様に消えていく。その透けた体を通り抜けた夕焼けに俺は思わず目を瞑る。そして再び、目を開けた時には、何も無かったかの様に静寂がひっそりと佇んでいた。
「夢でも見たかな……」
あり得ない話だ。
「どうした、帰らないのか?」
俺が付いていってないのに気がついたのか、階段に向かっていた松永が俺に声をかける。
「……いや、すぐいくよ」
そう言って俺は松永を追いかける。
音楽室に残された古いCDプレイヤーだけが、人魚と王子の別れを静かに聞いていた。
人魚の歌 枢木透 @krrgtor820
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