十二限目 寄り道カラオケもやぶさかじゃない

 下校のチャイムがのほほんほんと鳴り響く。柔道場に集まった僕のクラスの面々も、三々五々さんさんごごに解散の流れになった。

 後に残されたのは、僕と仲の良い面々が数名、お爺ちゃんに御船に山口。それと僕と御船おんせんとのバトルで壊された畳。

「おーおー、見事みごとにベッコリいわしやがって。こりゃ工具室から営繕えいぜん道具持ってこなきゃならんな」

 道場にお爺ちゃんが張っていた結界が解かれ、校内を巡回していた蓮藤ばとうが道場に立ち寄って呻いた。渋面じゅうめんを作ってはいるものの、口調はどことなく楽しげで。

「今の時間ならまだホームセンターも開いとるな。どれ、一丁いっちょ買い出しに行くとするか」

「蓮藤先生、元に戻せると?日曜大工の範疇はんちゅうえとらん?」

「おいおい安国、みくびってもらっちゃあ困るぜ?この俺様の日曜大工ぁなァ…」

 レンズの小さなメガネをかけた蓮藤は、胸ポケットからタバコを取り出しニヒルに唇にくわえた。

「…超一流だ」

 答えになってなくない?それ。

「どうも申し訳ありませんな、蓮藤先生。教師の身でありながら、ついカッとなってやらかしてしまいました」

 道着のえりをただし、角度のついたお辞儀じぎをする御船。おおかみ怪人かいじん──ほぼ「ふとりがちな狼男」な感じ──の姿になって、そでやらすそやらからモサがはみ出している。正直ちょっと………いやかなりモフりたい!

 顎の下から手を差し込んで毛溜けだまりを「よーしよしよしよし」してやったらさぞかし気分がアガるだろう。

「おー、構わんて…おお、お前さん御船先生かい?こらまた随分ずいぶんわいくなっちまいましたなぁ」

「いやまあ、これは私から望んでなった姿でして。それよりも蓮藤先生、道場の損壊については給料からさっ引いてもらって構いませんので、いや当然なのですがな」

 授業参観のように壁際で大人しく聞いていたお爺ちゃんが手をげた。

「事後報告だが。今回は我が孫・現死の夜明けアルバ・モルト首魁しゅかい眷属けんぞく力試ちからだめしである。よって修繕しゅうぜんにかかる経費は組織のほうに請求するがよい」

ジジイやるやん!セコか悪知恵わるぢえのよう回りよらすばいね!」

「お爺ありがと!僕のストーカーまがいだけやのうてちゃんと役に立つっちゃんね!」

「寅受、尚宏、もう少し尊敬のねんば覚えてくれんとワシ悲しかにゃあ」

 お爺ちゃんは泣き真似をする。まあ実際僕が暴走したのを止めてくれたのはダイズで、お爺ちゃんは天井から眺めてたわけだからしかたがない。

 僕がぶち抜いた床の修理に必要そうなものをスマフォのヴォイスメモに残しながら出かける蓮藤を見送って、僕はそばにいたダイズの頭をゴシゴシしてやった。

「ダイズはナイスクローザーやったね。君のおかげで僕、殺人犯にならんで済んだばい。サンキュ!」

「な、なんだいそんなの、オイラべつにめられたくてしたんじゃないんだなっ」

 と振り払われたが、金髪の下の顔は明らかに照れていた。

「あ、あの…こがんことになって…」

 山口がモジモジと御船に声をかける。河豚ふぐ怪人と狼怪人が並んで立つと、ご当地キャラのつどいみたいだ。

「フク、お前は何も気にするな。すべて俺の選択だ」

 山口の頭の上半分の模様もようがまたしても桜色に上気じょうきしていく。

「は、はい!僕もずっと、一生、についていきます!」

「?おう、どんとこい!」

「標助さんっ」

 感極かんきわまってひっしと抱きつく山口。他の誰にも渡すもんか、な感じのするハグだ。それを豪快かつ磊落らいらくに笑って受けとめる御船。

「なんだ、そんなにうれしいかぁ?これにりたら明日からちゃんと稽古にも出るんだぞ!わっはっは」

 見ているこっちがずっこけそうになる。だって、理由付けに必要だったとはいえあれだけド派手なディープキスを敢行かんこうしておいて、さらにあの山口のLOVEなオーラを受けて、何を今さらなんだか。

「なーナオ、あのフクって先輩、やっぱりさあ」

「みなまで言うなトラ。この場にいるカクガリ以外の全員、BL案件なんは分かっとるけん」

 道場に差し込む陽光が、ちょうど二人をスポットライトのように照らしている。普段から野郎ばかりのむさ苦しく汗臭い若草色の柔道場。山口と御船のいるそこだけが春のお花畑のように花盛はなざかりのピンク色に染まっていた。

 なにこの乙女チックな演出。

 僕の隣で大きなため息が聞かれた。お爺ちゃんがぽっこりお腹の上で腕をこまねき、ひなたぼっこするサファリパークのライオンのように目を細めている。

「なんと男らしか…久しぶりに良かものを見せてもらったばい」

「はい?お爺的にはアリかとあれ?」

「ん?あーアリじゃアリ。アリアリのアリの有田焼き。昔なら衆道しゅどうなんぞ物珍しくもなかったけんのう。ワシには莉里(お婆ちゃんのことだね)のおったけん早くに卒業したばってん、若い頃はモッテモテやったんやぞ?」

「男に、ってことでしょ…」

「当たり前や。女の入る余地よちか、純粋な魂の結びつきが衆道やけんくさ」

 お爺ちゃんの言う『昔』なら世界大戦の前後だろうか。当時の日本ではそんなものなんだ。しかもそれが自慢じまんになる時代。まさにBLの最先端──いや、いまの日本の方が先祖返りしているのかもしれないな。

 戦国時代もその前も、日本では同性と結ばれるなんて目くじら立てて追及するようなものではなかったんだから…と、歴史の授業で先生が言ってた(そういえばあの先生も独身だったな)し。

「よいか尚宏。これから貴様は数多くの困難に巻き込まれ、敵味方入り乱れて戦うこともあるだろう。だが大切なことはただ一つだ。───仲間を守れよ」

「なーんお爺、偉かごとしんさって…」

 茶化した僕だが、お爺ちゃんは御船と山口のさらに向こう、はるか彼方を眺めているような茫洋とした表情。

 まるで荒野に立つ旅人のようで、僕は少し不安になった。

「あー、そいから貴様ら両名。とりあえず今から言う番号に電話して、怪人としての受付登録済ませて健診ば早めにやってもらえ。とくに河豚怪人の方は、そうすれば実際の毒の程度の診断やら解毒剤やら処方してもらえるけん。あと毒ばはっする能力ちからの制御も、指導者が見つかればなんとかなろうもん」

 山口の顔が明るくなって、御船も繰り返し頭を下げる。きっと書類の提出とかそれはもう面倒な手続きが続くのだろうが、そんなことなど構わないだろう。

「一件落着やにゃ。愛と悪は常に勝つ!ごっはははははは」

 強引にまとめるお爺ちゃん。色々と言いたいこともあるけれど、幸福そうな教師と先輩の姿を見ているとそれもどうでもよくなってしまう僕だった。

 

『その烏龍茶俺のばい!』

「マイク持ってがなるな寅受。うるさくてたまらん。ダイズはオレンジジュース、アズキはアップルソーダでよかったな?尚宏はホットミルク…と」

「サンキュー郷、相変わらず鬼の記憶力ばいね。ほいダイズ、アズキ!」

 中洲のカラオケボックスの一室で、僕は店員さんが運んできてくれた飲み物を郷から受け取り、奥席に並んだ豆生田まみゅうだ兄弟に手渡す。

 僕はストレスが一定の閾値を超えると、どうにも思いっきり大声を出したくなる。中学に入った年の秋、勇気を出して隣の席の優等生女子に告白をしたときも、二年生の夏に剣道の大会に初めて出場が決まったときも、交通事故に遭ってそれが叶わなくなったときも。

 普段から大人の言うことには基本的に従う、どちらかといえば不良ではない僕にとっては数少ない暴力的な衝動──それが、衆目を気にせず声を張り上げて歌うこと。

 教師から無茶苦茶な勝負を仕掛けられたし、先日からどうも僕の周りでは荒事が絶えない。ここいらでスッキリ発散したい欲が高まったので、郷と寅受、それに豆生田兄弟という五人の面子を誘いカラオケに直行したのだ。

「オイラ日本のカラオケははじめてなんだ!ほんとにタダでいいんだな⁉︎」

 高い椅子から余った足をバタバタさせてダイズが叫ぶ。興奮のために金髪の下の整った顔立ちを上気させて。 

「なんという曲の多さでしょう…三百万曲とは…私、このような場所でお耳汚しをするのはまことに忸怩じくじたる思いです!」

 備え付けのタブレットで配信曲を猛烈に検索しているアズキ。珈琲色の丸顔の中で大きな三白眼がクルクル動いている。心なしか声のトーンが高まっているようだ。

 入店する時、受付のお姉さんが豆生田兄弟を一目チラ見するなり二度見して、

「えっちょっ…嘘カワイイ〜‼︎」

 と仏頂面からとろけ顔になって小鼻を抑えていた。アズキは恥ずかしがってダイズの背後に隠れるし、ダイズは

「オイラ可愛くなんかねーやいっ!カッコいいって言うんだな!」

 などと青い目を吊り上げて憤慨していたが。可愛いということはそれだけで得なのだなぁと僕は唸るばかりだった(僕自身は牛頭人身のコスプレだと思われているようだった)。

『ふふん!カラオケ通いは俺の趣味の一つ!この寅受様の美声に酔って乱れて濡れるがよかぜ!』

「寅受は勢いと声量はある。が、音程ピッチのコントロールがいまひとつだな…」

 軟式野球部のスタメン選手の郷はバッサリ切り捨てる。ただでさえ顔つきも体格もしっかりがっしりしているので、牛獣人に変態してしまった僕と並ぶと二人で長椅子を一台占領してしまう。

「お爺からお小遣いも貰うたし、ダイズとアズキの歓迎会も兼ねとるけんね。フードメニューも好きにじゃんじゃん頼まんね」

 寅受の側に並んだダイズとアズキが口をOオーの形にした。二人が食べられそうなフードメニューを入力したところで寅受がタブレットを奪い取り、太短い指で器用に連打して曲をリクエスト。 

『やっぱ一曲目はこれやろ。尚宏の“現在いま”ば切り取った一曲や』

 カラオケの一曲めは誰もが遠慮してしまいがち。微妙に流れる時間が勿体ない、なんていうことがない分だけマシかな。

 音質の良いスピーカーから牧歌的な牛の鳴き声一声いっせい。激しいビートとベースのジャカジャカ。それらに合わせて“ホゥルスタインッ”と“乳牛ッ”を連呼するオープニング。

「なんかコレ。巨乳まんだら王国?エロかバンド名やね」

「しかも題名が『ホルスタイン』とは。確かに…尚宏には合っているかもしれないが…」

 僕と郷のリアクションを置いてきぼりにして、寅受は低めの作り声でセクシーな流し目ポーズをキメる。

 サビの文句は───

『揉んで、飲んでネッ♫』

 虎受は帰宅部の癖にやけにリズム感が良く、少しかすれた声がまたハードロック調の曲に合っている。

 はじめこそ「おいおい初対面の転校生、しかもいたいけで純粋そうな小さな子相手に下ネタソングかよ…」と閉口していた僕も、最後は満面の笑みでコーラスに追随していた。

『洗って開いてッ⁉︎』

リサイクルリ・最高〜ッ‼︎」

 伴奏に対してのダイズとアズキのタンバリンとマラカスがまた完璧だった。こういう単純な楽器にも演奏のコツとかあるんだなあ。

「マラカスとかならオイラ達に任せろ!なんたって生まれた時からサルサのリズムん中で生きてきたんだな!」

「楽しいです…楽しいです…ブラウン管でなく背景が一色でもないカラオケ…大変先鋭的な技術の結晶ですね…!」

 金髪を振り乱すダイズ、静かなセリフの中にテンションの上がりかたが伺えるアズキ。

 僕の一曲めは最近ハマっている『ずっと真夜中でいいのに。』。初期の頃の名曲「あいつら全員同窓会」を選んだ。区割りをちょっと間違えたけど、歌詞が好きだから気にしない。ひと息で最長のフレーズを歌い切り、少し息が乱れる。

 郷が入れたのは『Lemon』。「米津ファンというわけじゃあ、ないんだがな…」と言って歌い始めたら、これがもう苦くて酸っぱい見事な調子で僕にも光が見えた気がした。

 ダイズはなんと演歌の、『兄弟の舟』的なものをリクエスト。それがもうしゃくれたコブシのきかせまくりで、声変わりしていないのがもったいなかった。鉢巻を回した金髪で防水ツナギを着たダイズが漁師舟で波間に咲いている幻覚さえ見えた。

 さらにアズキはいきなりクラシック?のアリア?を入れた。歌詞はドイツ語。

 ダイズの声よりさらに数段は上のハイソプラノ、かつ丸々とした狸体型から発される声量はなかなかのもの。ビブラートも自由自在で、途中に入る何度も音を区切るような歌い方(「…僭越ですがコロラトゥーラのつもりです」とダイズが教えてくれた)も驚異的だった。迫力に気押されてつい拍手するのも忘れてしまうほどだった。

 三周したあたりで飲物を追加注文。もちろん抜かりなく高校生の財布にも優しい学割の飲み放題プラン。

 ここのドリンクメニューには苺ミルクがある。それが目的でこの店をチョイスしているのだ。

「なーなーダイズにアズキよぉ、お前らどこに住んどると?郷と一緒の寮じゃなかやろ」

 コーラフロートをほじくる寅受に、ミルクティーを選んだダイズとアズキが挙手して応える。

「教えてやるんだな!オイラ達の住んでるとこは、でっかくて!」

「…非常に綺羅びやかな」

「そんで部屋がたっくさんあって!」

「…夜でも人がいらっしゃいます」

「音楽とかいつも流れてて、でもたまにおとなしくてつまーんねんだけど」

「…寝所など私共には余るほど。食べ物などもすぐに配達されます」

 印象が落ち着かないというか、情報が多すぎてかえってぼんやりしている。僕はなんとなく帰国子女や留学生に向けた下宿のようなものかと合点した。

「そうなんや。外国に来ても周りの人にちゃんと頼って生活しながら勉強しよるなんて、二人とも偉かね。それでももし大変かことやらありよったら、僕に言ってね。なんならウチのパパ、弁護士さんやから。いろんなとこに顔がきくし、市の窓口とかにも口ば利いてもらえると思うよ」

 ダイズは片方の口角を上げてニヒルに笑って見せ、アズキは嬉しげに(無表情に近いけどなんとなく気持ちが分かるようになった)頭を下げた。

 歳の離れた弟がいっぺんに二人できたみたいだ。一方は勝ち気で生意気、もう一方は繊細で引っ込み思案。

 自分の想像に思わず口元を緩ませながら、僕は何か皆で歌えそうな曲目を探すのだった。

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愉怪人戦隊ダルメシアン 鱗青 @ringsei

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