十一限目 魔道を啓き眷属を生むのもやぶさかではない

「我が子孫尚宏なおひろよ。我から貴様にエナジーを移譲した事は既にその身をって理解しておるな?」

 僕のお爺ちゃん、黒毛のたてがみもすっかり薄くなった獅子獣人が、老年太りの太鼓腹を揺すりながら雷鳴のような問いを放つ。我が家の居間で甚兵衛姿にほうじ茶を啜るのがセットのトボけた印象は霧消している。マントを羽織ってただならぬ気迫だ。

「う…うん。重々承知や」

 僕は頷く。

 僕が御船先生とバトった柔道場は、まだ高い初夏の陽射しが明かりとりの高窓から差し込んでいた。生徒の下校時間まではまだ間がある。

「よし。平時にあるとき、巨大な気は池の水面に頭を出した岩のようなもの。気を移譲する際には、その岩を引っ張り上げて別の場所にのに似た影響を及ぼすのだ。即ち──」

 黒獅子はたっぷりした腹の上で両腕を組み、得意満面でタメる。

 ふすーん、ふすーん。鼻息を荒くしてをとる。

 悪の組織の元・首魁として、固唾を飲んで見守る一般人を前にありがたい話のオチをつけようとしている。

「───有り余る波動の余波と共鳴…」

「成程。大きな石を池に落とすと、激しい波紋なみが広がる。水面に浮かんでいる水草や他の岩もそれを受けて、反射して、さらに無数の波紋が広がっていく。即ち怪人の血縁である者は意識していようがいまいが関係なく共鳴し、変態してしまう、ということか…」

 お爺ちゃんの解説をかき消して、人垣の中からごうのよく通る声がした。

「あ〜そういうことねなるほど最終的に完全に理解したばい〜ゲハゲハゲハ」

 寅受は本当に嘘をつく才能が欠けているなあ。

「トラはともかく、それなら僕も分かったばい。山口先輩もほんとに無意識で変態したっちゃろうし、僕自身の意思もなんも関係なかやったんやね」

 掌を拳で打って納得している僕や他の皆を見回して、お爺ちゃんは手足をドタバタさせて悔しがる。

「ごわあぁんもう!ワシが言いたかったとに〜!コラっそこの若か奴!ひとの台詞ば取るんじゃなかよ!」

「あ、スンマセン…」

 素直に頭を下げる郷。指差して笑う寅受。呆れる僕。

「───まあよか。補足すると、首魁レベルの気の影響は水中爆発んごたるものやな」

 曰く、一旦大きな気の波が広がると、もともと気の弱い者や血縁の薄い者は変態が早く起こるそうだ。反対に潜在した気が強かったり、血が濃い者ほど遅れて変態していくらしい。

「あれ?ていうか俺なんかモロに尚宏の従兄弟やばってん、変態しとらんぜ?そこはどうなっとんのジジイ

「おぬしやっぱり解っとらんとや、寅受。我が孫というにさきゆきの思いやられるばい」

 お爺ちゃんは盛大にため息をつく。けど、なんだか嬉しそうだ。エホンと咳を喉に通してからウキウキと人差し指を立てる。

「よいか我が孫達よ。尚宏と寅受は親を跨いでの近親であるがゆえ、二人とも潜在能力は他の怪人よりまさること甚大である。よって、どちらの気に何があってもつられて影響が出ることはない。もしくはかなりの時間差が発生するのだ。逆にいえば今回の尚宏の変態の余波を受けた者は我ら悪の組織の中でも力の弱いもの、血縁遠き者というわけだ」

「はー、そーゆーもんなんや。ま、なんでんよか!ゲハゲハゲハ」

 はたで見ていても分かるくらいイライラしていた御船だが、アホの寅受とお爺ちゃんの長々した話を聞くにあたり忍耐力を出しきってしまったらしい。

 両手をもげるぐらい高く上げて吠えた。

「だーっ!もう我慢できん!さっさとフクを元の姿に戻してくれえっ‼︎」

 ビリビリと柔道場が震えた。野次馬のクラスメイトたちがよろめいて倒れる。なんて肺活量。この人もしかしてヒーローの血縁だったりしないよね?

「そいつは無理やと言うとろうもん」

 お爺ちゃんは微風そよかぜを受けたように小首を傾げた。

「な、な、な、なんだと⁉︎どういうことだふざけるな‼︎」

 どっしどっし。畳を踏み抜きそうな足音とともに、黒獅子の巨体が御船と対峙する。

「貴様、ヨーグルトになってしまった牛乳を元に戻せるか?」

「───…!そ、それは」

 獣人の大きな眼が、三日月の形に歪む。

「ん?どうだ?納豆になった大豆、でもよいぞ。酒になった米も同じだなあ。そのように絶対不可逆の現象をどうにかできるか、その愚かな脳髄こねくり回して答えてみよ。それを貴様が成せたなら、我もそこな怪人を人間ひとに戻せるであろうよ」

「く…っ」

 バリバリと歯を食いしばる御船。それを見下ろしてさも愉快げに心地よさそうにニマニマするお爺ちゃん。

「ハイそこまで!お爺、これ以上御船先生をいじめたら完全な悪役ばい。意地悪せんで代案ば出してあげんね」

「んー。こやつ今どき珍しか真っ直ぐさとたくまざる情け深さば持っとるけん、ついからかいとうなったとよ」軽く肩をすくめる。「そいにワシは元から悪役ばい」

「あ、あの」

 問題の中心人物なのに御船があまりに烈しくお爺ちゃんに食ってかかるので遠慮していた山口が、河豚らしくユーモラスな口をパクパクさせながら一歩踏み込んできた。

「御船先生、もう良かです…僕、こんなにまでしてもろうたら満足ですけん」

「フク!しかしだな」

「毒持ちの怪人なんですけん、仕方なかったんやって思うごとします。…だって無理かもんは無理やなかですか」

「それはっ…だが…しかし…結論を早まるな!」

 肩を掴もうとした御船の手を、山口はスルリと避ける。

「普通の人間がどの程度まで触って平気かも分からんとですよ?…責任やら取りきらんとです、僕…」

「俺ならいい。俺は平気だ。中毒になっても倒れても、貴様を見捨てんぞ。そうだ、二人だけでも稽古ならできる。推薦が無くなっても一般受験があるじゃないか」

「僕が!イヤや、言うとるんですよ‼︎」

 山口の言葉は悲鳴のようだった。床を貫いて地球の奥底を見ているような姿勢で、その足元に幾つもの水滴が落ちていく。

「先生のこと、大好きな柔道で傷つけとうなか。そもそも柔道ば好きにさせてくれたのも先生やなかですか。僕にとって先生は…一番大事かひとなんです……。けどもう、普通の人間と怪人。…別の世界に生きなきゃいけんとですよ」

 御船は言葉をなくす。ひっく、ひっくとしゃくり上げる声が柔道場に響く。

 そこで僕の頭に一つの考えが浮かんだ。

「ね、お爺」

「何や?」

「怪人って、やっぱり毒には弱かと?」

 お爺ちゃんは鷹揚に首を振った。

「いんにゃ?怪人同士は容姿が違えどいわば同族、お互いの毒には平気の平左やな。むしろヒーローの方がダメやろ。毒に耐性のあるヒーロー以外は太刀打ちできん思うぞ…当然ちゃ当然の話やばってんにゃ」

 寅受並みのバカな考えかもしれない。考えなしの単純すぎるアイデアかも。

 だけど、これもダメもとだ。ゴクリと唾を飲み込んで、かつて悪の組織の西日本支部を率いたお爺ちゃんの知恵に頼るほうに賭ける!

「じゃあさ、じゃあさ───御船先生が怪人になりんさったら良かやなか?」

 えっ?───と、僕に視線が集中する。なかには「何をバカな」というニュアンスのものもあるけれど。

「どがんねお爺、それはできると?先生んごたる普通か人間ば、怪人に変えられる?」 

「可能や」

 お爺ちゃんは「今朝何食べた?」と尋ねられたくらいあっさりと答えた。

「ほんに⁉︎やった!それなら───」

 お爺ちゃんは舞い上がりかけた僕を押しとどめ、渋い顔を作る。

「だがしかし我が孫よ、そうはいかんのだ。正義の組織との協定がある。我らが組織死の夜明けアルバ・モルトがむやみやたらと手下を増やして勢力を拡大すれば、せっかくととのえた正義の組織との緊張緩和デタントまでもが無に帰してしまう。怪人もヒーローも、一定数以上増えんようになっておるのだ」

 なるほど、確かに僕を襲ったような野良ヒーローみたいな連中が量産されては世界の均衡きんこうが保てなくなる。

 それは分かるけど…

「ばってんさ、そこば何とかできん?ホラ僕、死の夜明けアルバ・モルトCEOトップなんやけんさ?裏道とか特別枠とか、なんかそがんと使って───」

「もういい」

 御船の低い呟き。僕が絶望した相手をとりなそうとした次の瞬間。

 御船は山口を引き寄せ、その河豚頭の口に自分の口を被せた。

「ンン──────ッ⁉︎」

 反射的に逃げようとする山口。そんな教え子の頭を両手でがっちりホールドし、執拗なキスを続ける御船。咄嗟に大穴の両眼を塞ぐ僕。小ェ燈は同じく、郷の肩の上で目元を郷の掌に覆われている。

「ン、ング、ッククブグキュゥゥゥン…」

 むちゅ、どころではない。ひとつになった二人の口が「じゅるぷぷ」と湿った音を立てている。御船は河豚怪人の顎を指でこじ開け、舌と舌をねっとり絡ませていく。腰を抜かしかけた山口を抱きすくめ、溶け合わさってしまうんじゃないと思うほどに深く唇をくいこませて…

 ごくん。

 御船の喉仏が大きく上下した。

「唾液ば…飲みよらしたと?」

 僕の台詞と同時に御船は山口を離す。両目を「の」の字にしてグタった河豚怪人の白の地肌の顔半分を占める黒い模様が、ほぼピンクに近い赤に染まって点滅している。どういう理屈でそうなってるのか謎だ。

 フっと目線を下げると、目を回す山口のズボンのファスナーのあたりが盛り上がっていた。あんな強烈なキスをされたら、そのがなくとも股間が元気になってしまうのも無理もない。

「わーッ!凄かエロかズルかぁ(?)!大人のキスやナントカ淫行条例違反や!帰ってきて続きばすっとか⁉︎」

「うるさいバカ落ち着け」

 僕は何かアニメネタを混ぜながら興奮して飛び跳ねる寅受をツッコんで黙らせる。

「なんなんだな?何が起こったんだな?おい尚宏、オイラにもよく分かるよう説明してくれるんだな!」

「うん大丈夫。ダイズもアズキも大人になれば分かるけん」

 許せ。いたいけな見た目の子供にディープキスを微に入り細に入り教え聴かせるなんて僕にはまだ無理だから。

 御船は唾液にぬらぬら光る口許をぬぐいもせず、お爺ちゃんを睨みつけた。すっくと立つその姿は普段の小憎たらしい意地悪教師ではなく、どことなく戦場の侍を彷彿ほうふつとさせた。

「──これで俺の体にフクの毒が入った。さあ、俺を怪人にしろ!人命救助なら文句あるまい」

 確かに言葉通り、御船の呼吸が若干乱れはじめ、顔色もどんどん土気色に近づいている。

 お爺ちゃんは厳かにひとつ頷いた。

「愚かで矮小な人間よ、いま一度問う。生半可な覚悟でぬかしているのではないな?この者の面倒を一生見るつもりだな?病めるときも健やかなるときも、変わらずに寄り添うと誓いを立てるか?」

 お爺ちゃんの最後通告(なんだか結婚の誓いみたいだけど)に、御船は「無論」と首肯する。

「よし、では…」

 お爺ちゃんは、す、と手で僕を促す。僕がそばに寄ると、家族の顔ではなく一族のおさとしての顔で言った。

「尚宏、腕ば出せ」

「なに?」

 全く無防備に僕は右腕を差し出した。お爺ちゃんの獅子獣人の鉤爪が目にも留まらぬ早さで閃く。

 ざしゅ。

 されたのかと思ったが、違った。

 僕の右腕、前腕部に一条の切傷。お爺ちゃんの鉤爪で切り裂かれたそこから血液がじわりと溢れてきた。

「なななななななななななななななななな?」

1、2、3、4ワントゥースリーフォー?」

「少女時代か!って古かっちゃん!いやなんばすっと⁉︎」

「騒ぐなうつけ者」

 黒獅子が金の瞳でギロリと睨みつける。僕は凝固。そして今度は御船を招き寄せる。

「舐めよ」

 血を啜れ───ということらしい。御船は従った。御船の無精髭が腕に当たり、生き血したたる傷口をその舌がなめずる。非常にくすぐったいし、この上なく恥ずかしい。

「尚宏、我の言葉を復唱するのだ」

 お爺ちゃんに肩を抑えられなから、なるべく何も考えないように僕はその言葉をなぞる。

『汝力弱き人の子よ。我が血をもって人界の定めとくびきより解き放ち、悪の怪人として力を授ける。これより先は我と我が一族の眷属としてその身を捧げしめ、新たな命を授け冥府魔道を歩むことをここに宣言する』

 言葉を発するうちに下腹が熱くなり、僕の中で何か大きな熱が膨張していく。僕はお爺ちゃんからオーラを注入されたときのことを思い出した。その熱が腕の傷口から御船の口の中へ流入していく…

 僕のホルスタイン模様がじんわりと光りだす。そして次第に御船の体も光に包まれる。

「…ねえお爺、これいつまで続けると?」

「この者が変態するまでだ。親となる怪人の因子が薄ければ時間も必要だが…なに、そうかからんだろうよ」

 お爺ちゃんの言う通りだった。御船を包む光が一瞬フラッシュを焚いたように道場を照らし、そして崩れて…

 僕の目の前に一人の狼の獣人が立っていた。がっちりとした体格と、なんとなくもみあげあたりの毛並みが長くてふっくら肥えているほかには人間だったときの御船の面影はない。

「おおー、やりよった!見事に変態したやん」

 寅受がパチパチ手を叩く。御船は毛むくじゃらになった自分の顔を触り、手足を見回してなんともいいようのない複雑な表情をしていた。

「これでしまいか?もういいのか?なんというかもっとこう、苦痛とか衝撃があるのかと思っていたんだが」

「良か良か、それで良か。うん、立派ぞ。これで貴様も我らの怪人。今後この尚宏を首魁として崇める悪の組織の一員として邁進することやな。役所への届出なんかはウチの民弥たみやから指示させるけん、これで解散やな」

「はぁ…」

「そう悩まんと、ちいっと整形手術でもしたと思えばよか。教え子の為に命ば張るごと漢気ある貴様は、悪の組織ん中でも充分やっていけるばい」

「まぁ、それは構わんです。───おいこらフク!これで文句ないな?」

 へたり込んでいた河豚怪人は、ぴょこんと立ち上がって狼獣人に変態した御船に縋りつく。

「先生、先生、先生…」

「ああ、もう、何も言うな。明日からはきちんと登校しろよ?今日までの欠席分は病欠にしといてやる」

 山口の目から大粒の涙が溢れ出した。それをぬぐってやりながら、御船は照れたように笑う。

 そこで寅受が余計なことを質問した。

「なーカクガリ、別にキスやのうて、フク先輩からちょっと血ばもらえばよかったんやなかと?」

「……」

 しばらくの間、太った狼獣人の目が泳いで。

「あっ!そうか!すまん‼︎」

 素っ頓狂で間の抜けたリアクション。それを受けた山口は、もう涙の代わりに笑顔を浮かべていた。

 

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