十限目 柔道部の先輩と対面するのもやぶさかではない

「すまん!本当にどうかしていた。許してくれ、これこの通りだ‼︎」

 土下座をして額をこすりつける御船おんせん。角刈り頭の脂がイグサに移って畳の表面がテカりはじめていた。

「そんな!僕こそほんにごめんなさい!怪人になったとに人間の先生に本気出すやらどうかしてました。えーと…顔ば上げてください御船先生」 

 僕ははなをすすりあげる。牛面がんめんが涙と鼻水と涎でべちゃべちゃだ。

「怪人も大変なんだなー。本気拳マジパンの一発でこんな大きな穴がタタミに開くとかだと、兄弟喧嘩もできねーってわけなんだな」

 大穴ダイアンは金髪から光の輪を浮かばせつつかぶりを振って埃を落とす。そして「にひっ」と片方の口角を上げて不敵な笑みを作った。

「まっ、どんな怪人だってオイラにかかっちゃモトノモクアミ!なんだけどなっ」

「うん、ありがとう大穴。だけどそれ意味が違うよ?」

 埃煙舞う柔道場で、畳をぶち抜いて大きなクレーターができていた。その床の上で僕、御船、そして大穴が顔を突き合わせている。

「マジでダイズがいてくれて良かったばい。御船がぶっ殺されて校舎が事故物件やらたまらんけんね。ゲハゲハ!」

 先程御船による投げ技で壁激突、からの未必の故意による過失傷害(もしかすると致死)に至るのを僕が防いであげた寅受とらつぐである。もう余裕を取り戻し、壁際から手をひさしにして感嘆の唸りをあげながら柔道場の惨状を観察している。

「ダイズ?誰のことなんだな?」

 大穴が尋ねると、寅受は眼鏡をずり上げながらドヤ顔で言った。

生田で穴。そいけん、ダイズ。なかなか良かネーミングやろ?ちなみに小ェ燈ジェットのほうはアズキでどがん?」

「はあ…アズキとはサラダに入れるお豆の事で整合しておりますか?私どもはアレが好きですが…」

 背の高いクラスメイトから肩車をされている小ェ燈はチョコレート色の顔に怪訝な表情を浮かばせた。二人とも日本語がペラペラだが、このダジャレが分かるほどではないようだ。

「ゲハハ!ばってん、ダイズはなんでそがん強かと?───あ!もしかして怪人やら?」

「違うよオイラ達は───まあそれよりも、この先生カクガリが尚宏を襲った理由をもっと詳しく聞くべきじゃないんだな?」

 それはそうだ。僕は頷き、そして黒山の人だかりを作っていたクラスメイト達もうんうんと首肯した。

「フクは…山口やまぐち福太郎ふくたろうは、今年三年生で最後の大会も終わっているが、柔道部の副部長だ。そいつが柔道部を、いや柔道そのものを、そして当学園をも辞めると言ってきたんだ」

 御船は正座であっさりと答えた。なんとなくお爺ちゃんが好きな時代劇で、追い詰められた悪役がお白州で白状する時みたいだ。

「俺のこれまでの教師人生、いや、柔道家としての人生であんなにクソ真面目で真摯で気立ての良い奴はおらん。入部してからの鍛錬が実ってこの前の大会では個人入賞、それで大学の推薦入試まで決まった矢先だったのに…たとえあいつにプラナリア程度の才能すらなかったとしても、俺や柔道部の仲間達は大事にしただろうよ」

 御船は悔しげに膝に拳を打ち付ける。フッと僕を見上げた眼差しは、首筋に冷たい刃を当てられたようだった。

「無論、俺は反対だ。あいつがいきなり登校せんでそんなことを言い出したとき、すぐにあいつの寮の部屋まで押しかけたさ。しかし頑としてドアを開けない。脅してもすかしても無駄だった。そのときに叫んだ、あの、あいつの言葉が───」

 ドア越しにくぐもった声。それは確かにこう言った。

 ──僕のこん恐ろしか怪人の姿ば見たら、皆怖がって近づかんですよ。取っ組み合うなんて…きっともう一生無理や。そいけん帰ってください。部活も、学校も辞めます。せっかく大学…受かったのに…推薦までしてもろうたとに…ほんに…

 クレッシェンドこそ無けれど、締まった喉からそれでも絞り出す声。涙に濡れて震えたニュアンスを、御船は聞き逃さなかった。

 ──口惜しい、です。御船先生。僕に眠っとった怪人の血さえ目覚めんかったら…悪の組織の新たな首魁が目覚めんかったらこがんことには…

「そもそもな、フクは他人を傷つけたくない奴なんだ。柔道は神武不殺。その精神をまさに!体現した男…そんなフクが、ただ怪人になったというだけで人生を狂わされ、学業のみち半ばで苦渋の決別をせねばならんというのが俺には許せんかった!」

 それが昨日のことだという。同日、学校内に広く僕の怪人化と悪の組織の首魁への就任が知らしめられた。そして今朝校門で立っていた風紀委員のうちの一人が、登校してきたあからさまに怪人な僕のことを委員を監督する御船にすぐ報告した…というわけだ。

「なるほどガッテン確かに承知。尚宏ナオが怪人の首魁になって、その影響でその…フク?パイセンが変態しんさったんなら、逆に?元の姿に?戻すことも?できるやろ、と?」

 寅受は両こめかみを人差し指でいじくりこね回して考える。頭の中の思索の全てを口に出さないと推察が進まないらしい。

「そがんことできるんか?」

 雀斑そばかすづらの眉をハの字にして僕に尋ねる。

 勿論僕の答えは

「そんなん知らんし。元の姿に戻る方法があるとなら僕が知りたかよ」

「なんとかならんか、なあおい!俺にできることならなんでもするぞ⁉︎」

 また御船が寄ってくる。必死の形相だ。あだおろそかに対応したら、また教師としての体面を忘れて食ってかかりそうな勢い。

「あー、こがんときにおじいがおればすぐ分かるんやばってん…」

 思わずこぼした心の声。その響きが消える前に道場の天井あたりでばさり、と何かが翻る音がした。

「そいについてはわしが解説しよう」

「ありがとう!助かるよ、お爺…ってどこから?」

「ごはははははっ‼︎呼ばれて飛び出てお爺ちゃ───んッ!とぅっ」

 声とともに天井からズシンと落ちてきたものがある。──いや、。もうお約束のような飛び降り登場。誰あろう僕のお爺ちゃん、黒のタイツにマントを纏った老年太りの黒毛の獅子獣人である。

 黒獅子は腕を組んでそっくり返り、ダメ押しとばかりまた「ごははははは!」と笑ってみせた。

「お爺…てかいつからいたと?まさかやばってん全部見てたと?」 

「うんむ。こんマントには空蝉ステルスモードのついとるけん、背景に溶け込んでしまえるんや」

「可愛い孫がボコられてるときに、天井に隠れて見よったってこと…?」

「違うわい。騒ぎが外に漏れんごと結界ば張って防いどったんじゃい」

 ああ、どうりで。いくらなんでも建造物の床を破壊するほどの音と衝撃が、耳目を集めないはずがない。お爺ちゃんの不思議パワーで、この柔道場は一切外から遮断されていたというわけだ。

「さて、そこに居る体育教師よ」

「お、俺は英語教師だ」

「ふむ。あー…御船と申したか。先程まで貴様の底力を限界まで引き出していたのはその生徒の為を想う、貴様自身の怒りなのだな」

「そ、そうだ。文句あるか」

「ほう?この我を前にじずひるまず意気軒高いきけんこうとは。興味深きおのこよの」

 お爺ちゃんはいかにも悪役ヒールの顔をして鼻を鳴らした。

「悪ぃがな、こちとら大事な生徒の人生がかかっとるんだ。あんたこそそこにいる牛怪人生徒の縁戚えんせき…それもその偉ッそーな語り口調からしてかなりの実力者かなんかだな。そんならこの状況、責任とってなんとかせんかい!」

 対する御船も負けていない。というか、矛先を替えてくれた。ニヤつきながらいなし、お爺ちゃんは道場の入口を顎で示す。

「たった今結界を解いた。問題の核心が、ホレそこにきておろうが」

 わちゃわちゃと人垣を掻き分けて、御船より一回りちいさなガッチリ骨太な生徒が前に出る。

「おっ、御船先生!なんばしよっとですかぁたかが僕一人のためにい‼︎」

「なっ、なんやと…⁉︎」

 シリアスな反応をしてしまう僕だが、それは相手が見事なボーイソプラノをしていたからではない。

 相手が夏服の上にフルフェイスヘルメットを装備していたからなのだ。

「よう。遅くなったようだな。すまん…」

 ヘルメット男の後ろから坊主頭を出したのがゴウ。走って帰ってきたのだろう、ワイシャツが汗で透けている。

「寮に一人、一昨日から引きこもってる野郎がいてな。そいつも柔道部だったから何かこの件に関係があるかと思って…ビンゴだったようだな…」

「ありがとう!助かるよ、これでやっと当人加えて相談できる」

 僕と郷の間で寅受が下世話なトーンで言う。

「郷のセフレの一人?」

「いや。寮内でそうなっていない少数派に入るな…」

 つまり大多数は郷となんらかの肉体関係にあるということか。あなおそろしや。───いやこの場合、おそろしや?

「──ま、まあいいや。とにかく君、いや貴方が山口先輩なんですか?」

「そうやけど、君は…」

 ヘルメットがやや上向く。僕の牛頭をつらつら眺めている。次に下向いていく。尻尾とズボンから突き出す蹄足ヒヅメあしを確認。

「あ゛─────ッ‼︎諸悪の根源ッ‼︎」

 まんまるく白い指先が僕を指す。まあ正解ではある。なんといっても死の夜明けアルバ・モルトという悪の組織のトップな僕であるのだから。

「ええまあ、そういうことなんです。で先輩、貴方も変態しんさったとですね?一体どんな風に?」

「へっへっ、変態⁉︎失礼かね君は!僕は至ってノーマルだよ!…多分」

 なぜかチラッとヘルメットのシールド部分が御船先生の方へ向けられた気がした。

「変態っていうとは文字通りやのうて、昆虫やら蛹からかえった時に姿ば変えよるでしょ?アレと同じ意味です。まあとにかく脱がんですかそのヘルメット」

「ああ山口、俺からも頼む。俺を信じて、貴様自身が恐れるその姿を見せてみろ」

 御船が立ち上がり近寄ってくる。福太郎の肩をがっちり掴もうとするが、怯えたように振り払われた。

「分かり…ました。御船先生がおっしゃるとでしたら」

 僕は無意識に息を止めた。

 大穴は欠伸をした。

 小ェ燈は首を引っ込めた。

 郷は掌で首筋をあおいだ。

 寅受はスマフォのカメラを構えた。

 ─────ざわ…

 それはもう特大の『ざわ』が柔道場を埋めた。中でも寅受は爆笑しながら連続シャッターを切っている。

 お爺ちゃんが咳を二回して、福太の素顔をしみじみ眺めた。

「うむ。恐怖。恐怖か…どちらかといえば危険性であるな」

 僕もそう思う。なぜなら福太郎は、まごうかたなき海の美味にして危険度No. 1の猛毒を持つ河豚フグ…それもトラフグ怪人の姿だったのだ。

 黒っぽく、ずんぐりして平べったい頭頂。顔の真ん中から下は白くなる。まん丸眼にぷっくり唇。鼻はほとんど埋もれている。

 それはそれはユーモラスな、人類と河豚の良いところだけ混じった顔が、汗で光りながら「ぷう、ぷう」と息をしているのだ。

「御船先生、これでお分かりでしょう?僕が柔道辞める言うたのは、怪人になったことそのものよりもこの種族のせいなんですよ」

「フグといえば代表的なシガテラ毒を持つ毒魚としても有名だな。テトロトドキシンか…小指につけてひと舐めどころか耳掻き一杯で人間が死ぬ。猛毒だな…」

 懐いている小ェ燈を左肩に座らせてやって郷が解説する。それを聞いた寅受は厨二心に火をつけられて大はしゃぎだ。

「なんソレすっごかー!HUNTER×HUNTERみたかやん!」

「すごかのはすごかばってん…ソレでなんして柔道ば辞めるとですか?」

 福太郎は険しい眉間で僕を震え上がらせた。

「分からんと?柔道やぜ?河豚の毒は血液や汗にもたっぷりこってり含まれとるんや。取っ組み合って汗ば流してたまに出血もする、そがん武道に参加するわけにいかんやろが!」

 言われてみればその通りだ。だから稽古も、試合にも出られないとこういうわけか。

「これは──確かに一筋縄じゃいかんばいね…」

 僕は腰に手を当て、今度は涙の代わりにため息を牛鼻から吹き出した。

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