九限目 教師とバトるのもやぶさかではない

「よぉし時間通りに来たな。覚悟はできて…ってなんじゃいその格好は」

「え?いつもの制服ですけど?」

「それは分かっとる。俺が言っとるのはそれが決闘するに相応ふさわしいか、ちゅうことじゃい」

 帰りのHRホームルームが終わってすぐ駆けつけた放課後の柔道場。広々とした空間一面にき詰められた畳の中央に正座していた柔道着の英語教師・御船おんせんが顔をしかめる。

 僕は自分の格好を見下ろした。制服屋さんで貸与たいよしてもらった借り物とはいえ、なかなかぴったりなワイシャツとズボン。牛獣人の尻尾が後部に出ていて(ぴこぴこ動く。まあまあキュートだと思う)ヒヅメ足である他は、とりたてて他の生徒と変わるところはない。…と、思うのだけど。

「というか、話し合いやなかったんですか?第一日本の現行法では決闘は罪に問われま」

 畳に踏み込んだ途端とたん強い叱責しっせきが飛んできた。

「あー、土足で上がるな!」

「や、僕コレ裸足はだしですけん、どがんもこがんもされんとですよ」

「たっ、そうだったか…糞、仕方ない。そこの雑巾ぞうきんで拭いとけ。…ったく怪人ってやつは…」

「は、はあ。なんか…すみません」

 何か怪人にうらみでもあるのだろうか?死の夜明けアルバ・モルトのこれまでの組織活動内容とかお爺ちゃんから聞いておけばよかったな。

 僕は肩をすくめて教師としての言葉に従い蹄を拭く。畳に上がる。やっと本題…と思ったところで御船の眉がまた反り上がって入口の方を睨む。

「くぉらそこぉ!道場に来て飲食するな‼︎」

「ゲハ?俺?」

 寅受とらつぐである。自販機で買ってきた森永の『ミルクたっぷりココア』(ホット)を右手めてに、購買で入手してきたあんぱんを左手ゆんでにしてかぶりついている。完全に物見遊山ものみゆさんの観客ポジションだ。

 ギャラリーは他にもいる。クラスの面々が僕を心配して集まってきてくれているのだ。転校してきたばかりだというのに豆生田まみゅうだ兄弟まで肩車されてのぞき込んでいる。なので柔道場の入口は、芸能人が母校を訪れるテレビ番組よろしく黒山の人だかりをなしている。

「ギリギリ入らんばよかでしょうに。カクガリってばこまかいんやからもー」

 あだ名で呼んでぷちぷち文句を垂れつつも寅受の肥満体が戸口まで退がると、重々しく御船は頷く。

「やれやれやっと話ができるな。俺が言いたいのは一つだけだ」

 対面に正座した僕に、御船は言った。

「これから貴様はこの俺と決闘しろ。俺が勝ったら──フク──山口やまぐち福平ふくへいを元の姿に戻せ。悪の組織から解放すると約束しろ」

「はへ」

「なんだその気の抜けた返事は!ふざけとるのか⁉︎」

「あ、いえ、違、その…そもそも誰なんですかその人」

 ビキ。

 あぶらでテカる角刈り頭の下、御船の額に幾つもの青筋あおすじふくれ上がる。

「貴様という奴は…おのれの組織の一部となった構成員すらあやふやなのか」

「そう言われましても。僕がおじい跡目あとめば継いだとは一昨日くらいですよ?それからもロクな説明受けとらんとですし、そんな…知らん人のことまで把握してませんて」

 ビキビキビキ。こぼれ落ちそうな数の青筋マーク。

「──よぉく分かった」

「分かってもらえましたか!良かった」

「貴様という奴の性根が腐りきっとることがな。ふん。悪の組織…なるほど悪の本懐ほんかいというところか。末端の者がしいたげられようと己の保身さえできれば良いというんだな」

「僕の説明が悪かったとかな…えーとですから──」

「問答無用ぉぉっ!」

 時代錯誤じだいさくごな台詞を吐いて、御船のがっちりした肉体が突進してきた。不意をつかれ、けるひまもなく僕は

 頭の中は「え?」でいっぱい。普通柔道なら相手を投げる時は畳に向かってするもの。それなのに僕は文字通りぐるぐる回転しながら宙を飛び、道場の壁に激突した。

 ずるずるとずり落ちるところへまたもや御船がり足で急速接近。

「ちょっと!御船先生、落ち着いて僕の話ば…」

「じゃかぁしい!フクの無念をその身で思い知れ‼︎」

 ガッ、と襟首を掴まれる。一本背負いの変形。反対側の壁まで投げられ、強かに頭を打ち付ける。壁板にツノが突き刺さった。

「あ゛ーっ貴様!神聖な柔道場の壁に穴開けやがったな!」

「しかたなかでしょ⁉︎僕、頭にツノのある怪人なんですけん‼︎」

 苦労して角を引き抜く。そんな僕を御船は少々息を荒げながらにらみつけた。

「これでもまだ減らず口が叩けるか。どうやら怪人というのは丈夫なつくりをしているようだな」

「そりゃそうですよ、普通の人間とは違うんですから。やけん先生、少しでいいから僕の話も聞いてくださいよ。っていうかその福平さん?の話を聞かせてください。その人も怪人にしたとでしょ?同じ怪人として、もしかしたら力になれるかもしれんとですけん」

「…うるさい!貴様のせいで、貴様の影響でフクは退部届を出してきたんじゃい。聞くべきはあいつを元に戻すか、貴様がその命でつぐなうかのどちらかじゃあ!」

 話し合いにならない。襟を取ろうと伸ばしてきた相手の両手を僕は掴み返した。掌底と掌底を合わせての押し合い、力比べの態勢だ。

「この…分からず屋!」

 ずい、と蹄を推し進める。背丈の分だけ僕が有利だ。このまま倒して、自重でホールドしてしまえ。そして誰かに当直の先生とかとにかく誰か別の大人を呼んできてもらって…

「甘い」

 ふわっ、と空気に乗り上げた気がした。御船が自分から後ろに倒れ込んで僕の下腹部を踏み上げる。

 ──巴投ともえなげ⁉︎

 タイミングを合わせるのが絶妙だった。僕自身の力と体重、それと御船の力が相乗して面白いほど高くね上げられてしまう。

 吊り上げられた鉄骨が落ちるくらいの衝撃と効果音を伴奏に青天アオテンした僕を、寅受が菓子パンをもぐもぐやりながら覗き込む。

「ゲハゲハゲハ。大概たいがいにやられたのぅナオ。ほれイチゴミルク。これ飲んで、もちっと気張きばらんね」

他人事ひとごとや思ってから…」

「他人事やもーん。一般市民の恨みば買って、一身に引き受けてサンドバッグになるんも立派な悪の首魁しゅかいの務めやなかか?」

 僕は寅受の差し出す紙パックをひったくってストローをし、ひと息で飲み尽くす。言いたい文句は山ほどあるが、それは寅受が相手ではない。それにしても嗚呼、やっぱりウチの学校の自販のミルク製品は質がいいなあ。

 その様子を眺めていた御船が、フゥン、と鼻を鳴らした。座り込む僕を素通りし、人だかりの最前列にいた寅受の首根っこを掴み上げる。

 御船の憎悪で暗く濁った瞳が寅受の雀斑面をねめ下ろす。

「この眼鏡デブがダチか。自分てめぇのダチが傷めつけられりゃあよぉ、ちったあこの俺の痛みも…」

「ゲハ?カクガリ、ちょい待って。何するつもり?」

「──わかるだろう、よぉ!」

「ゲハ───ッ⁉︎」

 がば、と柔道着が空気を打つ音がした。寅受が風船のように軽々と回転投げされる。

 僕の中で何かが千切れた。畳に蹄の跡を深々ときざみ、ひと蹴りで跳躍。手足をバタバタさせている太った寅受を空中で受け止め、少年ジャンプの漫画の主人公のように足を踏ん張って着地。

 思わず「ぶはっ」と声が出た。つるんとした牛頭から汗が噴き出す。間一髪だ。あのままどこかに激突していたら、怪人ではないこの従兄弟いとこは首の骨を折っていただろう。いやそれ程でもなかったとしても、恐らく骨の一本は折れていたはず。

「ゲハぁぁあああああぁぁあ、危なかぁ〜…ちっとチビったばい」

 お姫様抱っこしていた寅受をそっと下ろし、振り向いた。狂気に満たされた英語教師の顔がそこにある。僕の肚の底から、生まれて初めて何かつよい熱がふつふつと沸いてくる。

 それは先日、自分自身に殺意が向けられたときとは明らかに違う感情だった。

「あんた、ほんなごてイカれてしもうたとですか?教師と生徒以前に人としていかんつまらんですよ。コイツは確かにどーしよーもなか学校の汚点ですばってん、怪我でもしよったらコイツの親が悲しむでしょうもん!」

「ゲハゲハゲハ!おいナオ、さりげにディスるんやなか」

「貴様にもまもるものがあるのか…ならば俺の気持ちが分かるだろう」

「分かりませんですね。護るだけならいざしらず、他人を傷つけてまで自分のわがフラストレーションのけ口にするやら、僕には全ッ然!分からんっちゃん!」

「ほう?ならどうする?」

 鼻で笑われた。僕の中で沸騰していた感情が牛鼻うしっぱなからケトルの湯気よろしくき出す。

 意識が黒くりつぶされたみたいだ。コイツは───この暴力教師は、だ。

 大きく右腕を振りかぶる。雄叫おたけびというものが自分の喉から発せられるのを、どこか頭のすみから眺めているようだった。

 怪人。怪力を我がものとし、破壊と殺戮を好む本能モノが僕を支配する。

 柔道の構えをとる御船が、ハッと我にかえったようだった。人間など一撃で粉砕できてしまう…実際に食らうまでもなく一目瞭然のハンマーパンチ。

(危なか。逃げて!)

 小さく引っ込んでいる僕の自意識、良心といえるものが叫んだ。

 雷が落ちたような破壊音。道場ごと校舎が揺れた。埃が煙のように巻き上がる。

「や…やっばかぁ…!」

 意識を取り戻した僕は、人間ミンチと化して畳に広がった御船を…

「ふぅー。ピンチ、危機、地震terremoto、オヤジなんだなっ」

 僕の拳が落ちた場所。柔道場の畳に、そこだけ小さなクレーターが出来上がっていた。ベッコリと凹み、円周には畳と床板がまくれ上がっている。

 クレーターの中央に、両腕をXに交えた大穴ダイアンがいた。

「ダ…大穴…君が止めてくれ…たと…?」

「オイラじゃなきゃお前のその超パワーは止めらんなかったんだな。感謝は要らないんだな。だってオイラ…」

 一気に土埃が晴れた。背後に手を突いて腰を抜かした御船がいる。表情からは完全に毒気どっけが抜けて、いつも校門で竹刀片手に服装チェックに励んでいるときの清々すがすがしい顔に戻っていた。

「…なんだな?ナオヒロ、お前泣いてんだな?」

 僕を見上げる大穴の黄金こがねの頭髪が視界ににじむ。脚から力が抜け、僕もがっくりと膝を畳につく。

「よしよしなんだな。怖かったんだな?もう大丈夫なんだな。んだな」

 僕はひざまずいた。うつむく僕の牛頭を、大穴の小さな手が軽く──しかしいくばくかの親愛を込めて──でる。

 僕は泣いていた。しゃくり上げて。自分が変態し、姿形が変わっても。他人から殺されかけても。そんなものは怖さの内に入らなかった。

「良がっ…た……僕…先生ばっ…殺さんで……ほんなごて、ほんなごて良かった…‼︎」

「あーあー、鼻水もヨダレも涙もダラダラなんだな〜。汚ねえんだな〜」

 大穴の慰めにならない慰めを受けながら、僕は笑った。だって、本当にその通りだったのだから。

 

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