八限目 教師に目をつけられるのもやぶさかではない

「オイラ達、生まれも育ちもボリビア、ベニ川で産湯を浸かり、姓は豆生田まみゅうだ名は大穴ダイアン小ェ燈ジェット。人呼んで…えーと…発するあだ名はまだ無い!以上なんだなっ!」

「皆々様、ひらにご厚情こうじょうたまわりまして、如何様いかようにもご指導ご鞭撻べんたつのほどよろしくお願い申し上げます…」 

 教壇きょうだんに立ちふんぞり返る金髪美少年と消え入りそうな子熊少年。

「ま、コイツらにお前達も色々聞きたい気持ちはあるだろう。今日の俺の授業はつぶして構わんからなんでも訊いてみ」

 蓮藤ばとうはオッホンと咳払せきばらいをして、チョイチョイと手を「かかってこい」のやり方で振った。

 あおられて真っ先に手を挙げたのは、我がクラスが誇るバカ、寅受トラツグ

「はいはーい!二人は何歳とですかー?」

「おうっ!オイラ達は二人合わせてお前らと同い年くらいなんだな!」

「飛び級ってワケと?」

「うんそう、というか、そんな感じなんだな!」

 そこから好奇心に火がついたクラスメイト達から矢継やつばやの質問が飛ぶ。

「なんでそがん日本語の上手うまかと?」「いつから日本にるとかな」「どこ住み?」「苦手な日本食やら無かとか」「血液型と星座は?」「愛とお金、どっちが大切思う?」「真剣に涙を流したのは何に対してですか?」「モットーやらあるとかな」「もうは生えた?」「いままで付き合った女の子とかおる?」「スリーサイズは?」「この中で誰が一番好み?」

 後半になるにつれて関係があるのか疑わしい内容になっていく。中途入学者はウチの学校には少ないから(しかもこんなキャラの濃い二人組だし)色めき立つのも当然だ。かくいう僕も何か訊いてみようとあれこれ思案しあんめぐらす。

「なっはっは!皆オイラ達に興味津々きょうみしんしんなんだなっ!人気者はツラいんだな〜」

 自慢じまんげに鼻の下をこすり、大穴は答える。

「日本語ができるのは爺ちゃんのおかげなんだな。何日か前から知り合いんとこ住んでる。日本食はまだ全然ってない!血液型は知らん。愛とか分かんない。モットーは『正義は勝つ』!…続きはお前から」

 大穴から肘で小突かれて、小ェ燈も残りを答える。

「毛…その、につきましては、当校の校則にのっとっているつもりです。私達はまだどなたともお付き合いをした事はございません。スリーサイズというのは、胸囲・腹囲・臀部でんぶ回りの事でしょうか、それなら今後健康診断などで専門の医師からはかられるでしょう。こちらにいらっしゃるお歴々れきれきのなかでこのましく印象けられたかたは…その、まだどなたもいらっしゃいません。皆様と深く知り合って参りますれば、漸次ぜんじ判然としてゆくものかと」

 長い。それに声が小さい。内容が堅苦かたくるしい。でも少しだけくだけた雰囲気になってきている。基地内を周回しゅうかいするサーチライトのようだった下向したむきの目線めせんも、だんだん僕たちの胸元あたりまで角度を上げてきている。

 この兄弟、どちらが兄貴か弟か分からないが、慣れてきて気心きごころが知れたら弟ポジで可愛がられそうな予感がする。なにしろ男子校で、この教室の中もむくつけき連中でいっぱいなのだから。

(あっそうや!これまだ誰も質問しよらんよね) 

 僕も手を挙げてみた。

「二人が日本に来た理由はなんなんですか?」

 小ェ燈も、その隣でニカニカしていた大穴も固まった。サファイアトパアズの瞳が僕を捕捉ほそくする。

「え…えと…?」

 何か触れてはいけないところだったのだろうか。法的根拠こんきょ?人権抑圧よくあつ?僕はや汗とともにパパの普段の会話からかじった法律用語を思い出す。

 大穴のクセの強い声が響いた。

「お前。怪人だな?」

 あべこべに質問された?

「そ、そうたい、一応…」

 大穴の涼しげな目許めもとがスッと細くなる。表情からは何も読めないが、親愛のたぐいは少なくとも感じない。

「名前、何ていうんだな」

「ぼ、僕は尚宏なおひろ安国やすくに尚宏」

「…ふーん」

 えっ?何が「ふーん」?どうして小ェ燈も怯えたみたいに大穴に寄り添うのだろう?

(また怪人いうだけで理由いわれか敵視ば受けるとかな…?)

 不安になった僕だが、大穴は大きくうなずいて宣言した。

「お前、とりあえず一番気になるんだな。友達になろうぜ‼︎」

 おおっ、とクラス中がく。

「よーしお前ら、つかみは上々みてぇだな。自己紹介を聞いての通り日本語には不自由しとらんが、まだ漢字混じりの読み書きと日本の風習やマナーには疎いだろう。お前らきちんと教えてやれよ」

 うぇーい、と男子達の返事。出席簿にチェックをつけ終えた蓮藤はチラリと時計を見た。

「あー、とくに上別府うぇんびゅう

「へっ?なんですか?」

「相手が外国育ちだからって、無知なのをいいことにいやらしいことをするなよ上別府。法的な措置を取られんように気をつけろ上別府。さすがの俺も国際問題とかは対処できんぞ上別府。分かってなくても分かれよ上別府」

「しつっこいくらい言うとね先生。はい!ボキは誓ってこの子らにことはせんです!」

「よろしい。しばらく自習にしとくから適当にやっとけよー」

 何かと理由をつけては職務をサボる放任主義の蓮藤はいずこかに姿を消した。多分喫煙所だろう。

 教室の後ろの方の生徒もドヤドヤ前の方に集まり、教壇の転入生を取り囲んで自分達の自己紹介を始める。

「俺は上別府うぇんびゅう寅受とらつぐ、こっちの乳牛怪人・尚宏の従兄弟でとってもイケてるナイスガイ。れても良かぜ?」

 寅受がかけている眼鏡がぶつかる限界まで雀斑面そばかすづらを近づけると、大穴は笑いながら「お前、暑苦しいんだな!」とカーディガンを羽織った太鼓腹たいこばらにキックを入れた。無論、そんなことでめげる僕の幼馴染おさななじみではない。

 眼鏡を不敵に光らせたかと思うと、相手の片脚を掴んで持ち上げ

スキあり!ともーだちピーこーッ‼︎」

 と大穴の股間へ腕を伸ばした。

 ほっそりした腰の奥へ性欲まみれの寅受のゴールデンフィンガーが到達する。あわやの瞬間、しなやかに大穴の体が回転した。

 掴まれたことを逆に利用して、大穴は蛇が木のみきを登るように寅受の肥満体に巻きついて背後をとった。そのまま相手の首根くびねっこをガッチリと自分の腕の中にめ上げる。

 チョークスリーパーである。

「オォーッ⁉︎のぉぉー‼︎」

「なんのつもりなんだな?攻撃なんだな?なら、このまま地獄にちろなんだな!」

 気道きどうと動脈を圧迫あっぱくされ、寅受のニヤけ面が見る間にあおくなっていく。僕はあわてて大穴の背中をたたいた。

「違うと大穴!虎受トラのソレは、その、あの、──親しくなるためのトラなりの挨拶あいさつみたいなものっちゃん!」

「…ふーん?なんだな?」

 青い瞳が冷たい光をはなち、グルリと周りを見る。クラスメイトはウンウンと追従ついしょうする。ちょっとでも僕のいいわけを否定すれば即・寅受の死刑…という空気。

「じゃあいいんだな。許してやるんだな」

「誤解(セクハラなのは間違いないけど)がけてよかった。離してやってくれん?」

 当の本人の寅受は、苦痛を伴うわざを豚みたいな喉元のどもとに食らっていながらも「これはこれで、よ、良かぁ…♡」などとブヒついている。ホントに全くどうしようもない奴だ。

「それならオイラも挨拶を返すんだな。それがルールってものなんだな」

 え?と皆が固まる中、大穴はホールドを解くとやにわに背後から寅受の股間を握りしめた。

「はうぅッ♡」

 それはもう特大の♡を叫んで寅受はだらしなく喜悦きえつの顔になる。

「うーん、お前なかなかデカいんだな。で、これってどれくらい続ければいいんだな?ちから加減かげんとかオイラ知らないんだな」

 モニュモニュと股間をみしだかれ、寅受の顔が青から今度は赤へと変わっていく。嬌声きょうせいをあげながら悶絶もんぜつし、開いた大口おおぐちからよだれを流すいたましい様子を僕はつつしんで動画に撮影してあげた。いつかネタにしていじってやろう。

「うぁうっ…そっ…そがんことされたらっ…俺、俺、もう…イッぐぅぅぅぅ──ッ♡」

 誰かが制止に入る前に、寅受は自分より歳も体格も下の大穴により別の意味でした。

「…?なんか、オイラの手が甘ったるい匂いになったんだな?なんなんだなこれ?」

「我が生涯しょうがい一片いっぺんいなし」のポーズで床に倒れた寅受は放っておいて、僕はクンクンと手をぐ大穴に我関われかんせずと窓際できを見守る郷の紹介をしてやった。

「あっちの坊主頭のデカいのは運天うんてんごう。分かりやすく言うとやね、エッチすけべ変態ー!が、寅受。で、セクシー好色こうしょく淫魔いんまー!が、あっちの郷」

「おー!デカいんだな。このクラスで一番じゃないのか?」 

「俺は…うん、尚宏から客観的に見てその評価ならその通りなんだろうな…」

 渋く頷く郷。

 驚いたことに、大穴は一度顔と名前を聞いたらそれ以降間違えることなくクラスメイトを判別できた。

「にへへ!オイラ人の顔を憶えるの、超得意なんだな!」

 と親指を立てる大穴。僕はといえば数の多い親戚しんせき達やパパの仕事仲間の人達と何度か会ってもその都度「ね、あの人名前なんやったっけ?」と確認する程度の記憶力なので、その特技だけでも充分羨ましい。

 ひととおり紹介が済むと、高校生活の華ともいえる部活動へと話題は移った。

「日本を知る!といえばやっぱり武道やなか?相撲、ボクシング、空手、柔道、薙刀、弓道、剣道…」

「どれもうちの学校は強かぜ!県大会やら全国やらバリバリ行っとうもんね」

「つってうちのクラス柔道部入っとるやつはおらんちゃけどなー」

「あそこなんか今モメとるんやなかったっけ?なんか不祥事があったとか」

「部活内トラブルやなかった?そんで先輩がキレ散らかしとるとかなんとか」

 大穴は最前列の机の一つに乗っかる形で座りながら聞いていた。小ェ燈は窓際に腰掛けていた郷のほうによちよちと歩いて行き、「…?」と上目うわめづかいで両手を上げ、察した巨漢から膝の上に座らせてもらっている。郷も坊主頭なので何か共感するものがあったのかもしれない。

柔道ジュージュツかあ。オイラ格闘は三度の飯より好きだけど、どっちかっていうともっと殴ったり蹴ったりするのが好きだな。尚宏、お前はなんの部活に入ってるんだな?」

「え、僕?」

 急に水を向けられて焦る。うちの学校は基本的に部活は強制なので、僕はせきだけは演劇部に所属している。

 だけれど…

「え、演劇部やばってん、ほぼユーレイ部員かな」

「んん?ユーレイブイン?なんなんだなそれ?」

 説明しようと口を開いた時、後ろの戸がスラリと開いた。

「──…怪人の親玉になったちゅうのは、どいつじゃ」

 戸口に現れたのは、下膨しもぶくれの重量級レスラーの体格に趣味の悪い黄土色の背広を着込んだ教師だった。角刈かくいがり頭は汗とあぶらでテカついて、ホームベースのような顔面に太いマジックで描いたような眉毛がピクついている。

「英語のカクガリやん」

 誰かがぼそりとらしたあだ名に、ギロリと目が吊り上がる。柔道部と風紀委員の顧問を兼任けんにんする教師、御船おんせん標助ひょうすけはいわば蓮藤と双璧そうへきをなす我が校の名物教師だ。最も性質は正反対で、蓮藤が生徒の自主性を重んじる名目でサボる不良教師とすれば御船は生徒の自律性を強化するのを名目にさまざまな罰則ばっそくす嫌われ者。授業中の居眠りも私語も、あくびすら許さないときてはそれは好かれるはずもない。

 もともとにらみつけるような迫力ある目鼻めはなちの真ん中、柔道部の稽古で作った傷なのか眉間みけん近くに絆創膏ばんそうこうっている。

「はいはーい、ここにおわす尚宏君でーす」

 いつの間にか元気に復活していた寅受が、何も考えず大声を張り上げた。

 それを一瞥いちべつし、御船は太りじしの体を左右にらすようにまっすぐ僕の方へ歩いてきた。

「オウお前、ちょいツラ貸せや。あー勿論、授業が終わったらな。このクラスは何限まであるんじゃ」

 我が校はクラスごとに時間割が組まれ、同じ学年でも終業時間が異なる日もある。あまりに唐突に問われ、僕はつい頭を下げる。

「えっと…すいません、六限までありますばってん…」

「よし決まり。校舎裏で待っとる」

「えっ、今の一瞬で何が決まったとですか⁉︎」

 ゆっくり振り向いた教師の表情は、まさに天平てんぴょう時代の鬼瓦おにがわら

「全部──全部てめぇのせいだ。逃げんじゃねぇぞ」

 言い捨てて出て行く。すたん、と意外に上品な音を立てて戸が閉じられた。

「尚宏、お前カクガリになんかしたとか?」

「全然なかよ⁉︎そもそも昨日も休んどるし、あがんキツか目で見られる理由やら覚えがなかよ」

 クラスメイトの質問に僕はブンブン頭と尻尾を振る。

「でも只事じゃなかフインキやったぜ〜?校舎裏に呼び出されるやら不良ヤンキードラマの主人公のごたるな尚宏!ゲハゲハゲハ」

「笑うなよトラ!勘弁かんべんしてよーも〜…」

 おれこれと推理や考察を始めるクラスメイト達の中、一人冷静に顎をしごいて(そして膝の上にちょこんと腰掛けた小ェ燈の頭を撫でて)いた郷が何かひらめいたように呟いた。

「ふむ。もしかして…」

 郷は小ェ燈を優しく床に下ろして席を立ち、携帯を取り出してどこかにかけながら教室を出ていく。

「おーい郷!どこ行くとか〜?」

「うん?ああ、まあな。ていうやつだ…」

 寅受は郷の背中を見送り、それから僕へ振り向いて蜜以上に甘い知人の不幸にやにさがる。

「あの先生、自分も柔道めっちゃ強かとやろ?こないだ中洲の暴徒を一人で抑えたって、警察署で表彰されよらしたもんね」

「そがん凄か人が、なんして僕のことば目の敵んごとしんさっと⁉︎」

「知らんよそがんこと。観念して殺されてんね。骨はひろっちゃるけん」

 げひゃひゃひゃ!と笑う寅受、頭を抱えてしゃがみ込む僕。

 大穴と小ェ燈は無言のうちに、何か二人だけに通じるアイコンタクトを交わしていた。

 

 

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