七限目 転校生がやってくるのもやぶさかではない

 「るぞ!(主人公の名前)ォォォーッ!」

 ──などと声高に宣言するでもなく。

「僕と契約して魔法○○(※理不尽に搾取されるエネルギー体)になってよ♬」

 ──などと可愛らしく迫られるでもなく。

 僕は押しも押されぬ立派な異形に成り果ててしまった。

 登校初日、その一時限目の後のこと─── 

「おお尚宏なおひろよ、死んでしまうとは何事だ!怪人に変じたるは、斯様に過酷なものとは。せめて一輪の花を手向け菩提を弔おうぞ…」

 机に突っ伏して青色吐息の僕(ホルスタイン系の牛頭)の後頭部に、ふわりと優しい感触。振りかけられたのは花びらではなくハンカチ…いやこれはポケットティッシュだな。駅前でバイトの人が配布してる安っぽいやつ。

「いや寅受とらつぐ、尚宏は死んでない。ただの熱中症、のなりかけだ…」

「分ーかっとるってのゴウ。気分よ気分!ゲハハハハハ」

 僕は空気を粘液のように重苦しく感じつつ頭をもたげた。教室はエアコンが寒いくらい効いている…はず。設定温度は二十四度。しかも僕の机の位置は吹き下ろしがくるど真ん中。それでも丁度いいほどに思うのは、やはり僕の肉体が牛の属性を持つものへと変化したからなのだろう。

「人が苦しんどる様子ば見て遊ぶやら、ふざけるんもよか加減にしとけよ。お前らそれでも友達と…?」

 こちらを見下ろして爆笑している雀斑デブ眼鏡と、心配しているにしては冷静な表情の坊主頭の巨漢を睨む。

「友達ってイイヨネ!ひっとりっじゃないって〜♬素っ敵っなこっとっね〜♬」 

「歌うな舞うな寅受とらつぐ、暑苦しい!」

 ゲホゲホと咳き込んで、僕はまた自分の机に倒れ込む。

「まだ休憩していればよかったものを。無理してないか、尚宏…」

「ありがとごう。僕ん味方は君だけばい」

 巨漢は穏やかな微笑みを浮かべ、ひんやりとした香料付きのウエットティッシュを手渡してくれた。

 いまは九時三十五分。一限目の三クラス合同の体育が終わった休み時間。

 ミノタウロス系の肉体についてからかわれるのは目に見えていたので、朝のショートホームルームが終わってからすぐ

「くぉら尚宏〜!裸見せんね〜ッ‼︎」

 と意気込んでまとわりついてきた寅受を置き去りに、トイレに駆け込んで体操着に着替えグラウンドに出た。

 体操靴だけは履けなかったが、校舎へ戻る時だけヒヅメに着く土を洗い落とせば問題はないと体育教師からも許可をもらい、クラスメイトに混じって準備運動を済ませる。

 授業内容はハードルリレー。走ることはそれほど得意ではないけれど、障害物を飛び越えていくドキドキ感は好きなので掛け声をかけ合いながらいつもの体育を滞りなく楽しんでいた。

 そう、授業内容にはなんら問題はなかった。支障が生じたのは基礎練習の後だった。

 ハードルを何回も跨いで高さに慣れる訓練を続けていると、何だかいつもより体が軽いように感じてきた。

 それからクラスごとに三つのチームを組み、トップには体育教師からご褒美に自販機のドリンクを奢ってもらえるというので単純な僕達は

「させ!そこや!木村、いけ!」「抜かれやがった!土下座や土下座!」「あ゛ーっ飯倉のバカ!グズ!鈍臭!殺すぞ!」「まくれまくれまくれ!ペース落としやがったら殴るくらすばいこの野郎‼︎」

 たかだかドリンク一本を目当てに一気に殺気だつ男子高校生。アホである。ガキである。だがそこが男子校特有の楽しさというか醍醐味だ。女子が居ないのは寂しいが、カッコをつける必要も媚びてモテに走る焦りもない。完全なる一体感の中、レースは最高潮に達していた。

 そんな中、僕はアンカーの一つ前、つまり第三走だった。中盤では僕のチームはトップだったのだが、ワガママいっぱいに育てられた脂肪を身につける寅受のボテボテ走り(一人だけジャージを着込んでいる。寒がりといっても限度があるよね)のせいで後続からぐんぐん追い抜かれ、あれよあれよという間に周回遅れになってしまっていた。

「お前ら目が血走りすぎ。ハードル倒したらノーカンだからな?」

 と苦笑する体育教師の前で、僕は息を整えながら軽くピョンピョン…蹄の音的には「ピョンゴツ、ピョンゴツ」という感じだ…跳んで、バトンを待つ構えになる。

「尚宏、頼むッ…ちゃんッ!」

「あいよっ!」

 郷からバトンを受け取り、手刀で風を切るように走り出す。

 あれ、と思った。

 早い。手が、脚が、シュバシュバと小気味良い音を立てている。四肢の動作が格段に素早くなっている。

「うおぉーッ⁉︎尚宏、早かぁーッ‼︎」

 他のみんなは汗だくで上半身裸になったり(中には短パンまで脱いでパンツだけになってる奴もいる)してだらけている中で、ジャージの寅受が興奮してジャンプする。早々と走り終えた別チームの郷も「見ているだけで暑いぞ…」とこぼしている。

 僕はまるで倍速再生をかけたようなスピードでトラックを回り、一人追い抜いた。こんなの、生まれてきて初めてだ。正直、お爺ちゃんから謎のエナジー注入をされて怪人として変態してからはじめてこの身体からだを歓迎した。自分が強くなるのは何よりの快感だ。

(あ、二人目の背中が見えよる。ばってん遠かね。無理やな。いくら怪人になって足が速うなっても追い抜けやしな…)

 冷静に判断した僕の胸の奥で、何か黒いマグマのようなものが溢れ出た。

 

 喉笛が勝手に咆哮を上げた。意識の統制を離れた肉体が、ハードルを一つ飛ばしに越えていく。

 ただごとではない気配を察した先頭ランナーが振り返る。僕は──これもまたはねあがった視力で──何メートルも先にいる相手の瞳孔に映った我と我が身を、まざまざと目視した。

 口から涎を背後に流し迫る、狂気と狂喜をはらんだ爛々と光る眼の…牛頭の鬼。

 相手の悲鳴で僕は我に返った。気を散らした相手の爪先がハードルに引っ掛かって、痛々しい音を立てて転ぶ。

 僕の記憶はそこまでだ。気がついたらトラックの横に寝かされて、宇宙まで抜けるような青い空を見上げながら額に濡れタオルを当てられていた。

「僕…どがんしたと…?」

「おっ、気がついたとか。リレーはお流れになったぜ」

 寅受が片手で熱々のお汁粉缶を啜りながら僕の隣に立っていた。同じように胡座をかいてポカリを飲んでいた郷がのっそり立ち上がり、体育教師に声をかけに行った…。

「あ〜、モー最悪…怪人になるってこがんことかぁ…」

「落ち込むな尚宏。相手の奴も気を悪くしてはいなかったぞ。それ、お前の好物だ…」

 郷は体育教師から振る舞われた僕の分の飲み物を机に置き、僕の背中を静かにさする。悪の怪人の本性を出してしまって平謝りする僕を相手チームの走者は快く許してくれた。むしろ「怪人も色々大変だなぁ。これに懲りないで、また勝負しようぜ!」とあべこべに慰めてもらった。

「てか、マジにあんとき尚宏熱かったよな。いやレースに夢中とかやのうて、体温的な意味でさ」

「ん〜…よう憶えとらんけど、確かに外にいたら体調悪かったごたる」

「それで思ったんだが。尚宏、お前は牛の怪人になったわけだよな…」

「そりゃそうやん。見た通り、馬でも鹿でもなく牛!乳牛!ホルスタイン系やん」

 軽薄に笑って茶化す寅受を眉ひとつ動かさず押しのけて、郷は高い上背を屈める。

「俺は詳しくないが、牛はそもそも寒冷地にいる生き物だろう?いまは季節的にも初夏だ。高い気温が苦手だったりするんじゃないか…?」

 額に斧を打ち込まれたような衝撃。

 そうだ。そこになぜ考えが及ばなかったんだろう。僕がいつも飲んでる牛乳にしても、阿蘇の高原とか湯布院の牧場で飼育されてる牛のものじゃないか。

「え、じゃあ僕、他にも苦手なものができとるかもしれんっちゃなか?ヤバか!」

「調べておいた方がいいだろうな。予測できるのなら先んじて対処も可能だろう…」

 郷のアドバイスに慌ててスマフォを取り出そうとして、二限目の予鈴が聞こえてきた。後でゆっくり検索するか… 

「おーう、ぼちぼち席につけー。オラそこ、動画観てないで携帯しまえ。没収するぞ」

 厳つい顔に不釣り合いな小さい眼鏡、クルーカットの担任、化学の蓮藤ばとう林邑りんゆう先生が肩を揺らしながら教壇に登る。理系科目教師には珍しい、筋張って太い手脚に屈強な体格で顔もうなじも手の甲まで傷だらけ。ハリウッド映画なら古兵ふるつわもののベテラン軍曹役などがうってつけだろう。

「おう安国、もう調子戻ったか?体育の先生が心配してたぞ。まあアイツは肝が小さいけどな」

 ニヒルに笑う蓮藤に、僕は大きく頷く。

「そうか。ま、無理はすんな。以前まえならともかく今のお前を抱えて保健室行くのは骨が折れそうだからな。気分が優れなければ早めに言えよ」

 モスグリーンの作業服の肩を揺らし、タバコ臭い息を撒き散らしながらワハハと笑って出席を取り始めた。一言余計な先生だが、生徒からは人気がある。郷の伯父にあたるひとで、関東育ちの郷は家庭の事情から蓮藤を頼って福岡に来たらしい。そのあたりのことは、郷は話したがらないそぶりなので僕も聞いていない。

「あーそうだ、転校生がいるんだった。えーと、…小難しい名前なんでな」

 蓮藤は漢字を思い出しながら、ガッガッとやかましくチョークを削るようにして黒板に大きく書きつける。

 “豆生田”

 と、そこでチョークの先が止まる。

「ま、いいか。面倒くせぇや。本人に任せよう。おーいお前ら、入って来ーい」

 僕の斜め前で席についた寅受が小さく「お前?」と呟く。

「おうっ!準備バッチグーなんだなっ‼︎」

 癖のある声と同時に戸が開く。が、勢いが良すぎて反動がつき、また閉まりかける。入ろうとしかけた転校生はそれに挟まれた。

「むぎゅっ?なんだなコレ⁉︎攻撃かっ⁉︎罠なんだなさては!」

「何を一人相撲してるんだ。遊んでないでさっさとしろ」

「なっ!オイラ真剣なんだなっ!…あ、開いた。よしよし」

 やりとりの間、僕達はしっかりとその転校生を観察していた。

「…子供?」

 ポツリと寅受がこぼした。そしてそれは、正しい感想だった。

 自分の力で開けた戸に自分から挟まってわちゃわちゃともがいたのは、うちの高校の制服にこのサイズがあったのかと感心するくらいミニマムサイズの夏服を着込んだ平均的な小学六年生ほどの身長の少年だった。

 切れ上がった勝ち気な青い瞳に雪の白肌。教室の蛍光灯を浴びて燦然と煌めく黄金色の髪。そう、前にパパが見せてくれたカナダのメープルコインと同じ色。

 ぷにっとした顔立ちで顎をあげ胸を張り、ズカズカと行進するように手足を振り上げ、その少年は教壇に登場した。

 と、次の瞬間───

「はぁっ!」

 気合い一声いっせい、前転宙返りで教卓に飛び乗った。

「お前らはじめましてなんだな!オイラをよろしく願うぞっ」

 真っ白いシャツをはためかせて腕組みをし、それより白いはちきれんばかりの笑顔になる。歯茎を見せたとき「にかっ」という効果音が聞こえた気がした。

「コラ、ここは日本だ。お前の国じゃどうか知らんが土足で教卓に乗るな。降りろ」 

 僕だけでなく他の生徒もポカンとする中、さすがに数多の奇人変人な生徒をかかえてきた海千山千のヴェテラン教師の蓮藤である。半ば呆れながらも少年の頭に出席簿を叩き込んだ。

「痛ってぇ!何するんだな、お前。さては敵かっ?」

なぁーにがだ。ここは由緒正しい健全な野郎共のその。コイツらは今日からお前の仲良しこよしになるクラスメイトなんだぞ。自己紹介するならルールに則ってしゃんとしろ」

「だな?ルールなら仕方ない」

 渋々教卓から降りる。猿が樹から降りるような仕草。

「ん?もう一人はどうした」

「あ、忘れてた。おーい、大丈夫だから入ってくるんだな!ここは安全みたいだな!」

 開きっぱなしの戸から、恐る恐る黒い頭がのぞいた。

「…今度は子熊?」

 またしても寅受の感想。続いて入室してきたのは、一人目よりやや背の高いこれまた中学生くらいの少年。

 印象としてはアジア系とアフリカ系のちょうど中間くらいのやや四角い顎に大きな獅子鼻。黄土色の瞳を据えた三白眼。漆塗りのような艶のある肌。シンプルな丸刈り坊主がむっちりとした背中を丸め、蓮藤に促されておどおどとしながら入室した。

 そして並ぶ二人。全く対照的だ。

 片方は美少年と形容するのもやぶさかではないが、少年漫画の主人公のように仁王立ちでふてぶてしく教室を睥睨へいげいする(身長的に下からだけども)金髪碧眼の山出し。

 もう片方はというとおりを替えられた臆病な動物みたいにフルフル全身を震わせて上目遣いに自分より大きな生徒らを見渡している、黒豆のようなぽっちゃり君。

「あー、こいつらが今日からお前達の新しいクラスメイトになる。二人とも苗字はコレだ」

 蓮藤が出席簿で指すのは先程板書した文字列。サッと挙手する寅受。

先生てんてー、俺バカやけん読めんとですがー。なんて読むんですかー?」

「おーう上別府うぇんびゅう、お前は確かにバカだが立派なバカだ。正直者は知ったかぶりする小賢しい奴より遥かに賢いぞ。これはな、豆生田まみゅうだ|と読むんだ。…で、ほら自己紹介だ!」

 待ってましたとばかり息を吸い込んで、金髪少年はぶち上げる。

「オイラは大穴ダイアン!」

 きぃん、と耳を衝撃が突き抜けた。三拍ほど遅れてまばらな拍手が上がった。

 大穴から小突かれて、黒豆子熊がモニュモニュと口を動かす。

「…………………」

 皆が小首をかしげる。例によって寅受が頭空っぽな「目が点」状態で問う。

「なんて?」

「おい〜、ちゃんと喋るんだな。初対面の相手にのはとして当たり前!のルールなんだな!」

 せっつく大穴に、本当に大丈夫なのか?と疑わしい視線を送り、子熊は声を絞り出した。ほとんど静電気の波がはじけるときのような、囁き。

「──私は、小ェ燈ジェットと申します。このように錚々たる皆々様におかれましては、どうかひらに御友誼ゆうぎを結んで頂きたく、こう、存じます」

「よっしよく言ったな!」

 大穴は後ろを向き、チョークを取り上げると背伸びをして黒板にさらに文字を足した。

 “大穴”

 “小ェ燈”

 振り返って「にかっ!」と笑う。

「蓮藤先生、一ついいですか…」

「なーに、運天うんてん君」

「その…豆生田君達は、どういった関係なんでしょう…?」

「んーあ、まあ色々あるようだが、俺もよう知らん。どうなんだ、お前ら?」

 大穴は小ェ燈の肩を抱いてピースをする。

「兄弟みたいなもんだな、オイラ達!」

「えと───まあ───そのように御理解たまわれましたらよろしいかと」

 似てない兄弟もあったものだ。名前の漢字だけは和風な二人組を、クラスメイトの温かな拍手が包み込んでいく。

(──…ん?なんか、僕あの子らにガン見されてなか…?)

 大穴の生意気そうなサファイア色の瞳。

 小ェ燈の気弱なトパーズの瞳。

 注目されるのはやや居心地が悪かったが、これも怪人になってしまったがゆえのことだと思えば受け入れるしかない。僕は苦笑と共にため息をついた。

 二人の転校生が巻き起こす騒動など、この段階では全く予想がつかなかった。

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