六限目 級友との変わらない日常もやぶさかではない

 朝目覚めると、グレゴール=ザムザは奇妙な虫になっていたけれど。

「…僕は乳牛になってしもうたとよね。それも、カワイイ系の」

 底強そこづよさを増してきた七月の朝陽あさひを浴びて、さわやかに歯を磨いて、顔をひと流しして気分もさっぱりしたところでマジマジと鏡を見入る僕。

 自分の顔貌がんぼうにうっとりと見惚みとれるようなナルシストでは、もちろん、ない。

 タンクトップから雁首がんくびを突き出す、まろやかな牛の顔。白黒の斑紋が一種の地図のように広がる、怪人にした自分が見返している。

(うん、今日も変わらず牛頭人身。まごうかたなきミノタウロスの見た目やんね)

 一応普通の白シャツも試してみたのだが、首が通る前にツノが襟に引っかかって破けてしまった。

 下に穿いているのはいつものブリーフ。これもちょっと考えなければいけない。なぜなら尻尾しっぽがブリーフの上縁うわべりにのしかかっているから。恐らく市販のピッチリした格好良いアンダーは無理だ。…いやいっそ、思い切り布地の少ないブーメランタイプなら尻尾が邪魔にならないかも?

(いけんいけん!あがんエロか下着やらきらんばい。それこそ友達からなんカッコつけよってからーやら言われる…でもいつまでもママの買うてきてくれたブリーフちゅうのもなぁ…)

 頭の中で赤褌あかふん一丁のおじいちゃんが、ボディビルダーのようにポーズを取った。

(いやいやだからといって、ふんどしはありん!第一ずかしかっちゃん)

「おーい尚宏なおひろ、洗面台使わんならあけてくれんね」

 うわさをすれば影、連想すれば本人登場か。

 海より深い問題に直面して思い悩む僕の背後に、ドッシドッシ床を鳴らして現れたのは、寝巻ねまきを着るのがキライで夕飯の後風呂を浴びてからは褌一丁姿のお爺ちゃん。

「よかよねお爺は、悩み事やらなんもなかでしょ…」

 お爺ちゃんも怪人だ。それも悪の組織の西日本代表を務めたという、たぶんそこそこ偉い人。

 全身が黒光りする漆黒しっこくの毛並みに覆われていて、老年太ろうねんぶとりでだらしなく腹が出ていなければ往年おうねんのボブサップも顔負けの筋肉美をほこっていたであろう獅子獣人だ。

「ん?どがんした?ワシの姿ばしげしげと見おってから」

「うん、僕もこがんミルク出しそうな姿やのうて、お爺んごとライオンやったらちょっとはちごうたかな思ったと」

 お爺ちゃんはぱららして、ごっはっは!と大笑する。

「見た目やら気にしなさんな。男にとって大事かは中身よ中身!」

 どうやら昨日の朝、僕に対して「草食獣やらなりよってからなさけなか!」的なことをぬかしたのはすっかりこんと忘れているらしい。都合のいい脳味噌のうみそだこと。

「そがんことより、今日から学校やろ?しよってから初登校やな」

 うあう、と僕は頭を抱える。しかも時間割には体育まである。この状況で自分の体を見られるのには多大な抵抗があった。いまだに自分でも四分六しぶろく割合わりあいで受け入れられていないのに。

「まあまあ、そんうち注文した制服もくるし、朝飯食って元気に行って来んしゃい!」

 鉤爪かぎづめのついた広いてのひらでバム!と背中をはたかれた。こんな姿にしたのは誰だと文句の一つもつけたかったけれど、覆水盆ふくすいぼんかえらずだ。外見はいかに変わってしまったとはいえ、現行の日本の法制度の中では一介いっかいの男子高校生にすぎない。そして学生の本文は、勉学と学校生活にいそしむことで、不登校は健全な向学姿勢とはいいがたい。

 僕はウモ、とウシっぽい息をらし、のろのろとリビングへ向かうのだった。

 そして。

 登校中、昨日の街中とは打って変わって遠慮えんりょ会釈えしゃくのない好奇こうきの目で見られた。それも、同じ学校の生徒を中心に。

 ヒソヒソと話す声に牛耳うしみみをそばだてる。僕が振り返ると、さっとあさっての方向を向く同じ(とはいえ人間用だけど)夏服の生徒達。

 いや、おかしいぞ。普通ではない。そりゃまあ牛獣人になってはいるけど、ここまで注目されるのは何か変だ。普通(?)もっとれ物にみたいにけたり無視したりするもんじゃないの?羽田にり立つハリウッドセレブじゃあるまいし。

ともーだちんピーーッ‼︎」

「うっひゃぁぁんッ⁉︎」

 背後の死角から股間を思うさま鷲掴わしづかみにされた。内股うちまたになってかがみ込む僕。

「ゲハゲハゲハ!いま尻尾、ビーン!てなりよったぜ尚宏なおひろ!姿は変わってしもうてもリアクションかなんは変わらんな」

 ずんぐりと短い腰の底からき上がる、性欲にまみれた下品な笑い声。ニヤニヤしながら僕の横に立っている、雀斑そばかすだらけの眼鏡メガネデブが発したものだ。

「いっきなり何すっとねトラ!」 

「おんやぁ〜?小坊しょうぼうから一緒の大親友かつ親類が勇気ばふるい起こして声ばかけたとに、そがん冷たか言葉をかけるとか〜?そんならヨソヨソしく他人行儀にしよった方が良かか?」

 いかにもガリべんそうな分厚ぶあつ角張かくばったメガネを雀斑だらけの鼻筋にひっかけた、七月の陽気の下でもカーディガンを羽織はおって汗ひとつかいていない笹眉毛ささまゆげのデブ。そいつが浅黒あさぐろ地肌じはだえる白さの歯を見せて、ニッと笑う。

 上別府うぇんびゅう寅受とらつぐ。学校でも同じクラスの気の良い悪友の一人。特徴としては、異常な寒がりである点と学力というものが一切欠けているその成績。

 そして生まれる前から喪失そうしつしてしまった向学心こうがくしんの代わりにそなわっているものといえば、「下ネタの沼から生まれて一旦引っ込んでからまたきた」と称される、きん出た下品さだけだ。

 某ヒットメーカーの歌詞風にいうなら

「ハロー、僕の運命腐れ縁のひとはバカのスケベである、つらいけどいなめない、離れたいのに離れかたいのさ♬」

 なのだ。

「おい尚宏。心の歌声が表によっとぞ」

「そう?ばってん事実なんやし」

 僕達は確かに小学校から机を並べる竹馬ちくばの友で、なおかつ血のつながった又従兄弟またいとこでもある。お爺ちゃんの兄が寅受の祖父なのだ。離れた土地に住んでいるとのことで、物心つく前のお正月に会ったきりだが。

「カーッ、ほんなごて貴様きさん冷たか男やね。大親友に対して」

「朝っぱらからともだピーんこかましてくる人を親友に持った覚えはありません」

 にべもなくき捨てる僕。立ち上がると変態する前は同じぐらいだった背丈が、今は僕の方が見下みおろす高さになっていた。

冷血れいけつ冷徹れいてつ冷酷れいこく童貞どうていのくせに!」

「いやそれ関係ないやん!ってかど、ど、ど、童貞でも良かやろ⁉︎」

「うぅ〜んそこで真面目まじめに返しちゃうトコが甘かっちゃんねぇ〜。そがんことで悪の組織死の夜明けアルバ・モルト首魁トップやら務まると〜?」

 なつかしの「う〜んマンダム」の顔になる寅受を置いて僕は歩き出す。

「務まるったって、“エナジー”以外にまだちゃんと引き継ぎもしとらんし、名目だけばい」

「ふぅ〜ん?じゃあ今んとこそのウシっぽい見た目だけってわけな」

「そうだよ。お爺はおいおい教えてくれる言うとるばってん、どうなることやら…って、ん?ばってん僕、自分から言うたっけ?」

「あーそれな」

 寅受は脂肪しぼうがついて丸太まるたぼう状になった腕を肩にげたエナメルバッグに突っ込み、陶器を保護するために包んだチラシくらいクシャクシャになったプリントをかざして見せた。

「やー、尚宏のことば通達つうたつされたっちゃん。昨日の帰りんHRホームルームで」

「はぁ⁉︎」

 僕は再生紙に転生てんせい待ち状態のプリントを寅受からうばい取り、シワを伸ばした。

『全校生徒に通達

 一年C組の安国尚宏君がこのたび悪の組織死の夜明けアルバ・モルトの首魁として就任し、怪人に変態しました。見た目は牛人間です。皆さん安国君がこれまでと変わらず、またより良い学園生活を送れるよう、彼が困っていそうな時は積極的に手を貸してあげてください。

 *備考…本人に直接聞きにくい質問や要望は、養護教員まで』

「尚宏はお節介や思うかもしれんばってん、優しか先生達で良かったやん」

 息荒く牛鼻ウシバナをおっぴろげ、目を皿のようにして読み込む僕を、ヘラヘラと寅受はなぐさめる。

「そうそう。俺が『尚宏が怪人になったとなら、アソコのサイズも変わったんすか?』って質問したら『それは本人にきなさい』言われたなあ」僕の股間こかんの感触をイメージして、指をいやらしくワキワキ動かす。「やけん、小林よしのりネタしたくさ。俺は有言実行ゆうげんじっこうの男やぞ」

 品性も知性もつねに下方を目指す寅受の台詞よりも、プリントの文字列が僕の脳内を飛び回る。

「こ、こ、こんなん嘘や…僕んの恥ずかしか内情までも広められたと⁉︎全校レベルで⁉︎」

「えー?いちいちダチに説明する面倒のはぶけてよかやっかぃ?それにさ、悪の組織やら言ったって、いまは大人しかもんやろ?ほらあのデタ…デタトロン?があってからさあ」

「それを言うなら緊張緩和デタント!うぁぁぁ、こがん目立めだつやら思うとらんかった〜…そらうしろ指さされるわけばいね」

 プリントを丸めて、通りすがりのコンビニのゴミ箱に投げる。失敗。カーブになって、自動ドアから出てきたベビーカーの母子にぶつかる…

「うおっと、バッドピッチング」

 俊敏しゅんびんな長い腕が紙ボールをキャッチし、ありえない肘の曲がり方でゴミ箱に突っ込んだ。

「お前、コントロール悪い。無理すんな…」

ごう。今日は遅くなか?」

「そうか…?」

 僕の投げそこねを始末してくれた坊主頭の巨漢きょかんは「ふぁぁふ」と思い出したように欠伸あくびをして僕達に追いついて横に並ぶ。変態した僕とちょうど同じくらいの身長で、筋肉は多分僕の方が厚いけれど肩幅かたはば胸幅むねはば胴幅どうはばはずっと広い。そう、ホホジロザメとジンベイザメの違いといったところだ。

 どこか老成ろうせいしたというかさとったような眼差まなざしをしている顎の大きな男子、運天うんてんごう。同じクラスの軟式野球部で、りょうから通うのでいつもは登校時間が重ならないのに。

「あ…昨夜ゆうべは三人いっぺんに相手にしたから寝坊したんだった…」

「うっわ〜うらやましか…相変あいかわらずモッテモテやな〜」

「いや待てトラ、郷は寮生ぞ」

 そして我が校は福岡市内でもそこそこ有名な男子校だ。学力とか歴史ではなく、色々とお騒がせな生徒が多いので。

「ケツの穴小さかこと言うなよなぁ〜。相手が男でも女でも、ヤることに変わりはなかぞ」

「え〜?そうかあ〜⁉︎」

「うん。そうだぞ尚宏。差別は良くない」

「いや差別っていうか…しかも三人、いっぺんにかい⁉︎一人ずつやなかか?」

「えこひいきも良くない。愛してやるなら均等きんとうに、平等にしてやらないと、な…」

 郷は頼もしい顎をさすりながら頷く。一瞬、遊びに行ったことのある寮の郷の部屋のベッドの上で、郷が寮生の男子三人を相手にめくるめくベッドヨガの修行をしている図を想像しかけて頭を振った。

「尚宏…本当に牛頭ごずになったものだな。角もちゃんとあるし尻尾も動いてる…」

 あ、やめて…というひまもあればこそ、するっと郷に尻尾を握られた。

「あ、あれ?」

 昨日お爺ちゃんにやられたときは骨盤に違法薬物を突っ込まれたようなヤバい快感があったのだけれど、ほんの少し握る部分が先端方向にズレただけで全然…

「気持ちよう、なかやん…」

「…?なんだ、気持ちよくして欲しかったのか?それなら昼休みに人気のないところで抱いてやるぞ」

「いっ、違っ、違うよ郷!その、この今着てる制服がさ…すごいんだよ」

 尾骶骨びていこつのあたりまでスリットが入っており、そこに尻尾を乗せてからベルトを通せば尻尾を自然に後ろに突き出すことができる。そしてその具合が絶妙なので、敏感びんかんな付け根がスリットにガードされる形になるのだ。

(制服屋の森永さん、腕の方は確かやったんや。良かった…)

「なーん?ニコニコしてから。なあ尚宏?」

「いや、昨日はホント、色々なことのあったくさ」

 僕はこれまでの経緯けいいを話した。森永さんにも同じことをしたせいで、他人に説明するのがこなれてきた感がある。

 寅受も郷も僕が遭遇そうぐうした野良のらヒーロー襲撃しゅうげき事件には特に興味をそそられたらしく、話のエンドロールにきたところでもう一度もどされた。

「なぁなぁ尚宏、そん無届むとどけの緑のヒーローはピチピチやった?」

「それはもう。ヒーロースーツがサイズらんごとなっとうごたったよ」

「大きかったとや?」

「それはもう。超人ハルクかと…そうやな、身長だけでも僕のざっと1.25倍ぐらいかな」

 僕の説明にこままゆを作り、寅受は手をパタパタさせた。

「いんにゃ違う違う。

 寅受はキャッチャーサインのように二本指で股間を指した。理解した僕の頭に血がのぼる。

「し、知らんよそんなん!そがん変かとこ見とらんもん」

「かーっ。なんでバチッと見らんかったとか!未通男おぼこはこれやから。そこが一番いっちゃん重要かろうもん!」

「ウザか、この変態!すけべ!」

「変態なら尚宏がしよったやん!この牛男!乳牛!自分はちっとばかしデカくでこうなったからって威張いばりよって‼︎」

「お前達、マジで仲良しなんだな。そうして以前まえと変わらずに引け目なく悪口を言い合える関係。いいじゃないか…」

 しみじみと目を細める郷の言葉に、僕と寅受はなんとなく気恥きはずかしくなった。同じタイミングで咳払せきばらいをして、そういえば、と話題を変えたのは寅受の方からだった。

「今日うちのクラスに転校生の来るとぜ。それも、外国からや」

「ふーん?どこの国?」

「え?あれ、なんてったかなー?ボッキア?」

「なぜそんな妙な憶え違いになる。ボリビアだ…」

 聞いたことがある。中学の頃に「国連参加国を全部覚えよう!」という授業があり、ポケモンのえ歌で暗記したのだ。

 この地球上の南アメリカにあるということ以外、さっぱり知らないけれども。

 一ヶ月前に食べた夕食よりボヤけたボリビア関連の情報をかき集めようと頭をひねりながら校門をくぐる。

「あ、あのキミ、ちょっといい?」

「はい?」

 まるでマシュマロのようなソフトで甘い呼びかけ。風紀委員の腕章をつけた、声色と裏腹に陰鬱いんうつなオークのような風貌ふうぼうの二年生が、どこか卑屈ひくつな色のある顔をこちらに向けていた。

「何か用事ですか?──あ!まさかこの制服ってもしかして校則違反なんですか⁉︎そそそそれともやっぱり革靴かわぐついてないから…でもそれは足がヒヅメになっちゃってるからで、いま注文していてそれで」

「違います違います、えーと…」

 あわてふためく僕を前にして額に指を当てて、僕の頭のさきからズボンすそにのぞく蹄まで視線をなぞらせる。

「えーと、失礼ならごめんなさい。キミさ、その…怪人のヒト…ですよね?」

「あっはい、そうです。怪人のヒトです」

 なんだこの会話。

「そうか…じゃあ君が、悪の組織の首魁として覚醒かくせいしたんだね…」

「あ、あの…?」

「あ、いいよいいよ。行って大丈夫」

 解放されて肩の力を抜く。きもえた。せっかく登校したのに、何か違反行為が校則にれたのかと…

「何やったと?尚宏。乳牛やけん風紀違反とか?」

「そんなことはないだろう。風紀違反ならトラ、俺はとっくに抵触ていしょくしまくって退学している」

「うんそうやね郷、自覚のある男たらしっていうのがお前のただひとつの欠点とよ。──なんか校則とか関係なしに、僕自身に用があるんごたる様子やったばってん…」

 牛頭をめぐらすと、まだ遠くから見つめていた。何なのだろう?

 それを推察すいさつする余裕はなかった。予鈴よれいが鳴り、僕達は階段を駆け上る。その三つの背中を物陰ものかげから観察する青と黄、二対につい双眸そうぼうの輝きを微塵みじん気取けどることもなく…。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る