水仙を吐く

水神鈴衣菜

病気か、それとも

 ある日から私は、人のやることを否定できなくなった。

 何がきっかけだったかは分からない。いつだかに誰かのやることに「それはだめじゃないのか」と割と真剣に言って、それを軽くあしらわれたことがきっかけの気もしているけれど、詳しいことはよく覚えていないのだ。

 そして代わりに、衝動的に何かを言い返そうとした瞬間咳き込み、口からようになった。真っ白な花びらは、調べたところ水仙すいせんのものらしい。

 病気だと思う。けれど病院に行っても前例がないから治しようがないと言われていた。

 それとも花びらは本物ではなくて、私が零したかった本音が、具現化して私にだけ見えるようになってしまったのかもしれない。けれど家で花びらを吐いている私を見て、親はぎょっとしていたのだからきっと後者はないのだろう。

 このせいで、私は学校では自分を押し殺して相手の喜ぶイエスだけを言う、ただの置物のようになっている。まあでも今更だ。前からそんなだったのだから。


 この症状が出始めた頃、親とした約束があった。

「いい? 絶対に学校では花を吐かないこと。どうしてもなにか言いたくなっても我慢するのよ。その分、家で思う存分吐きなさい」

「……わかった。我慢できなかったら、どうすればいい?」

「誰もいないところで全て吐いてしまうの。とにかく見られたら、あなたが周りからどう思われるか──」

 と、私のためを思ったような言い分だったが、実際には自分が周りの親の目が怖いだけなのだ。親の偽善に、また私は花を吐いた。

 けれど私も、このことを知られて学校での居場所がなくなってしまったら生きていけないため、この約束を黙然と守り続けた。


「あ、瑞樹みずきー! おはよー!」

由花ゆいか、おはよ」

「今日は元気? 体調大丈夫?」

「うん。何ともない」

「よかったよかった」

 由花は私の幼なじみだ。私とは対照的に元気はつらつだが、こんな私にも優しくして、ずっと一緒にいてくれている。お節介焼きと言えるくらいの面倒見の良さだ。

「ねね瑞樹、今日帰りに寄り道しない?」

「……うん、いいね」

「ふふ。今日は嬉しそうな笑顔だ」

 その由花の言葉に、少々目を見張る。そういえば彼女には、花吐きのことを言っていたのだったなとぼんやり思い出す。いつも無理してイエスを言っているのが、彼女にはバレている。

「由花の前で無理に笑ったりしないよ」

「そっかー、信頼されてるね私」

 えへへと気恥ずかしそうに笑う由花。可愛いと素直に思った。

「どこ行くの?」

「駅前にできた喫茶店なんだけどね、ここのスイーツが美味しいんだって!」

「由花大丈夫? 最近ダイエットするって言ってなかったっけー」

「うっ、ダイエットは明日からするのー」

 痛いところをよくも、と言いたげに唇を尖らせてそう言う由花。私がこんな風にいろいろと言えるのも、由花だけだ。


 * * *


 それからしばらくして、文化祭の準備に取り掛かる時期になった。私たちの学校は各クラスで、発表もしくは展示を一作品ずつするというルールになっていて、私のクラスは劇をやることになったのだった。

「じゃあ、ヒロインは誰がいいかな」

「えー、私はちょっとなー」

 いわゆる一軍の女子のそんな声が聞こえ、それに続いて私もー、と気だるそうな声が聞こえた。

「瑞樹がやったら?」

「え」

 急に白羽の矢が立った私は、予想外の言葉に思考をフリーズさせる。私が、準主役? そんなのできるはずがないだろう。なぜ私がお前らの代わりに皆の前に出なければならない。

「で──」

 でも、と、そう言いたかった。変に息を吸い込んで、むせる。口元を押さえて咳をすると、手のひらに軽い質量が乗った。

 ──あ。

 また思考がフリーズする。やってしまったのか、私は。皆の前で花を吐いてしまった、のか。約束だったのに。皆の前では、絶対に。

 いろいろと考えている間にもまた、咳がせり上がってくる。もうこれ以上は。許してくれ。やめて。

「……瑞樹も無理かもってさ、ね、瑞樹」

「ぁ……」

 横から飛んできた助け舟に飛び乗って、私はゆっくり頷く。花びらは口の中に押し込んで、咀嚼して飲み込んだ。苦い。嫌いだ。


 決め事の時間が終わったあと、由花が席の近くまで来てくれた。

「大丈夫だった? またあのままいいよって言おうとしてたでしょ」

「……その方が、平和だから」

「自分を殺さないの」

「でも、──」

 また咳が出そうになるが、今回は気力で押さえ込む。

「瑞樹が嫌って言えないのは分かるんだけど、ひとりでそれを抱え込むのはよくないよ。私にヘルプ出してくれればいつでも助けるからさ」

「……ありがとう」

「よしよし」

 ぽんぽんと頭を撫でてくれる由花の手のひらの温かさに涙が出そうになる。大丈夫だと背中を押されている感じがした。


 次の日。朝から具合が悪かった。目元が妙に重くて、喉も違和感を訴えている。休みだったからよかったものの、この調子を二日で直せるかなと不安になる。喉の違和感には、既視感があった。

 昼前、電話がかかってきた。

「……もしもし」

『もしもし瑞樹? 元気?』

「今日は、ちょっと調子悪い」

『大丈夫? この後暇なら会おうよ。昨日のを引っ張ってるんじゃないかな、ひとりだとそういう時キツいでしょ』

「……いいの?」

『いいよー、特にやることないし』

「今すぐ会いたい」

『あはは、瑞樹ったら熱烈ね。わかった、じゃあいつもの公園で十分後に』

 体調不良により重い腰を上げて、パジャマのままの私はその辺に落ちていた上下を適当に合わせた。よりによって少々ウエストがキツいと感じ始めていたボトムスを選んでしまった。選び直す時間はないので、なんとかベルトを使っていい感じに履く。帰ってきたらまたパジャマになればいい。

 スマホと財布、念の為ハンカチティッシュをお気に入りの小さめなショルダーバッグに入れて、私の家のすぐ横の公園までゆっくり歩く。団地の中の、東屋とその前の空き地くらいしかないその公園は、ろくに人も通らない上に私の家の目の前ということで、小学校の頃から私と由花の遊び場になっていた。

「あ、由花。早いね」

「自分から誘っといて遅れるなんてことがあってはなりませんからねー?」

「ふふ。その通りだね」

 そうやって笑うと、由花は逆にすっと不安そうな顔をした。

「……あんまり寝れなかったの? なんか疲れてるよね」

「えっとね……さっきも言ったけど、今日調子悪くて」

「どんな風に?」

「……花を吐く前みたいな喉の違和感と、目が重いの」

 そう言うと由花はふうん、と唸って少々考え込み始めた。

「それ以外は特にって感じなの?」

「うん。あとはそれのせいでだるい気がするかもくらい」

「そっか……昨日は家に帰って花は吐いた?」

「あ……吐いてない」

「それじゃないかな、体に花が溜まってるみたいな」

「……なるほど」

「いいよ、ここで吐いても。私以外見てる人なんていないし」

 そう言って由花がぽんと私の頭に手を置く。息が詰まって、喉ではなく目頭に変化が現れた。熱い。泣いているのだろうか。

 由花の目が、驚きに開かれている。急に泣き出して驚かせてしまったみたいだと思っていたら、どうやら違うらしい。

「……目から、花びら」

「は?」

 素っ頓狂な声をあげてしまった。なんだそれは。震える指を目元まで持っていくと、いつもの軽い質量が感じられた。本当に?

「こんなこと、なかった、のに」

「昨日、いつもと違うことしなかった?」

「あ……花びら、食べた」

「それだよ」

 どうすればいいのだろう。喉がひゅうひゅうと声をあげる。苦しい。水仙の花びらには、なにか毒でも入っているのだろうか。まさかこうなるとは思っていなかった。食べるべきでは、なかったんだ。──こんな体質になってしまったから。

 喘鳴が小さく、繰り返し私の体から発せられる。酸素が足りない。ぐっと吸って、咳と同時に口からも花が出てきたら、体の中の花は全て出てきてくれるだろうか。今後はちゃんと、言いたいことが言えるだろうか。

 苦しくて、目をすがめた瞬間、喘鳴が吸い取られた。突然のことに体をすっと引こうとすると、ぎゅっと抱きしめられて、動けなくなってしまった。

 口にひとひらだけあった花びらが、由花によって奪われた。唇が離れて、由花の口は白い花びらを咥えている。苦い花びら。食べないでほしいと思った矢先に、花びらは口内に消え、何度か咀嚼する素振りが伺えた。

「そんなにまずくないね」

「……なんで」

「瑞樹のものだからじゃない?」

「そうじゃ、なくて」

「私、瑞樹が好きなんだ」

「そう、じゃ」

 なくない。先程のキスも、そういうことなのだろうか。私を癒すための行動ではなくて──いや、もしそうなのだとしたら、キスなんて選択肢があるはずがない。

「……由花」

「なあに」

「花びら、止まってる?」

「うん。大丈夫」

 は、と息を吐く。息を吸うと、喉のざらついた感じはなくなっていて、普通に息ができるようになっていた。

「もし、また花を吐きそうになったら、私が食べてあげるよ、全部」

「水仙は、毒が」

「いいよ。瑞樹のために死ねるなら、それで」

 だから、と由花は微笑んでいたのから真剣な表情になって、まっすぐ私を見据えた。

「毒を吐いてもいいんだよ。なんでも言って。約束だからね」

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