夢走の果て

伊咲有

第1夜

逃げる夢と言うものを見たことがあるだろうか。

何か恐ろしいモノに追われて、恐怖し、どこへ逃げればいいのかもわからずただ走る夢。

走っても走っても逃げきれなかったり、走っているはずなのに体がものすごくゆっくり動いて追いつかれそうになったり、逃げ切ったと思ったら理不尽にもワープしてきたり。

恐怖で目を覚ましてしまえばそこで終わり。

いつもの変わらない朝が迎えてくれる。


でも、もしも、目を覚ます前にそれから捕まってしまったら?

あるいは逃げることをやめてしまったら?

一体どうなってしまうのだろう。

私の場合は、いつも決まっている。

恐怖し、逃げて、逃げて、逃げた先にあるものはいつだって…。



「やっと…やっと買えたー!」

自宅マンションに帰宅して、コンビニ袋から乳酸菌飲料を取り出し、私、夢美ミカは小さく叫んだ。

最近巷で話題の睡眠の質を良くすると言われている売り切れ続出の乳酸菌飲料がたまたま帰りに寄ったコンビニで買うことができたのだ。

私は小さい頃から夢見が悪く、ほとんど毎日悪夢を見ていた。

ずっとそんな生活なので慣れはしたものの、いつでも目の下に隈があるような状態だった。

もしかしたら睡眠の質が良くなることで長年連れ添った隈ともさよならできるかもしれないと思うと、テンションが上がってしまうのも無理はないだろう。

眠るのが楽しみに感じたのは何年ぶりだろうか、もしかしたら生まれて初めてかもしらない。


とりあえず、ぐっすり眠るために私はさっさとお風呂を済ませて、噂の乳酸菌飲料をぐいっと飲み干し、しばらくしてから布団の中に横たわった。

「おやすみなさーい。」

まるで修学旅行の前日のようなテンションで目を閉じたが、乳酸菌飲料の効果かあっと言う間に眠りへと落ちていった。

その時、私は忘れていた。

この乳酸菌飲料の噂のひとつに、なぜか「いつもよりはっきりとした悪夢を見る」と囁かれていたことを。



気が付けば私は自宅とは違う構造のマンションに立っていた。

周りはアスファルトで遠くは黒くて何も見えず、ただ世界の中心にそのマンションが佇んでいると言った光景だ。

なぜか私はその状況に違和感を感じず、部屋に帰らなくてはとマンションのエントランスに入って行った。

「503号室だったかな。」そう思って歩き始めると、ふと背後に寒気を感じて振り返る。

ドガッ!!!

鈍い音を立ててエントランスのガラスに少女がぶつかってきた。

見た目は少女であったが、背中からはコウモリのような羽が生えており、明らかに人間ではない、なぜか本能的に吸血鬼だと思った。

「あ…。」その光景を見て私は思わず喉から声を漏らしていた。

そして遅れて恐怖がやってくる。

「コワイコワイコワイ!早く部屋に逃げなきゃ!」そう思い走り出した。

幸い、少女はガラスにぶつかった衝撃ですぐに動けない様子で距離はある。


エントランスを進んだ先にエレベータがあったので上ボタンを押すが、なぜか点灯しなかった。

壊れている。

上に行かなきゃいけないのに、どうして。

「そうだ!」

私はパニックになりつつも、階段で行くことを思いつきすぐさま別の方向へ駆け出した。

見たこともない構造のマンションだがなんとなく階段の場所はわかって、一段飛ばしで登っていった。

しかし、階段は2階で終わっていて、5階までは上がれそうもない。

それでも2階から上に行く階段がマンションの外周を回ればどこかにはあるだろうと思い、2階の廊下に飛び出してさらに走ることにした。

2階の廊下からは外がよく見えて、黒かった外側は夕焼けのように赤みが増していた。

「まるで悪い夢みたい。」

そんな感想を抱いた瞬間、目の前に先ほどの少女が現れる。

羽があるから飛んできたのだ。

「急いで逃げなきゃ!」と慌てる。

しかし、階段が見つからず、201号室と書かれた扉がいくつも並んでいるのみだった。

どこだどこだと階段を探し回るが一向に見つかる気配がない。

その間も空飛ぶ少女が徐々に距離を詰めてくる。

恐怖がどんどん募っていく。

いつもの夢とは違い、ものすごくリアルな感覚で、心臓の鼓動が早くなり、冷や汗が頬を伝う。

普通ならば、普通の夢ならばここで目が覚めて終わりだろう。

だが私はまだ目を覚まさない。

いつもの夢と同じで、追いかけられ、恐怖し、逃げて逃げて恐怖が臨界に達したとき。

いつも私は、最後に…。


ピタリと足を止め、追跡者を振り返る。

追跡者は足を止めず、私に接近する。

次の瞬間、私は拳を前に突き出していた。


私は追いかけられる夢を見たときは、いつも決まって最後はこうする。

彼のジョン曰く、「イマジン(想像してごらん)、血が出るなら殺せる、触れるならぶん殴れる。」

夢の中の追跡者が幽霊だろうと、化け物だろうと、熊だろうと、追い詰められたら最後はそう…

ぶん殴るのだった。


現実ではありえない鋭さのパンチを、毎日の悪夢で磨かれた反撃のイメージの結晶を追跡者に向けて放つ。

「えっ」

追跡者が思わず戸惑いの声を上げた。

そして私と目が合った。

「あっ」

私も思わず声を上げる。

追いかけてきた少女の顔に見覚えがあったからだ。

私の幼馴染、ある日突然いなくなってしまった少女、サチ。

サチが幼い頃のままの姿で現れたのだった。

しかし、驚きとは裏腹に、放った拳は止められず、サチの顔面へと吸い込まれていった。

ゴッ!

と鈍い音を立てて、サチは回転しながら吹き飛んでいった。


そして私はいつものように、ぶん殴ったあとに目を覚ますのだった。




「なんかいつもよりハッキリしたいつもと同じ感じの夢だった…。」

結局は睡眠の質が良くなったと言う実感がなく、ただ明晰夢みたいな悪夢を見ただけでとても残念な目覚めだ。

「でも実感がないだけで効果はあるのかもしれないし続けてみようかな…いつもと違った感覚はあったし…。」

と悩んでいると、「うぅ…。」とうなり声が聞こえる。

私は一人暮らしのはずなのに他人の声がするはずがない。

空耳だろうかと思いつつ、体を起こして声のほうを見ると、そこには先ほど夢で見た時と同じ姿のサチが顔面を抑えて転がっていた。


「サチ…?」

恐る恐る声をかけると、サチは起き上がり

「えっ!?現実!?ミカ!?嘘嘘嘘!なにこれ!」とパニックになった様子だった。

なんだかまだ夢の続きのようで、現実感がないのでベタだけどほっぺたをつねってみた。

痛かった。

よくわからないけど現実のようだ。

「えーと、サチだよね?久しぶり?えっと…朝ごはん食べる?」

非現実的な状態だけど、私は久々に会えた幼馴染に対してかつてと変わらないように声をかけてみる。

「え、あ、うん!」

サチも混乱した様子ではあるものの、普通に返事をするのだった。

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夢走の果て 伊咲有 @isakyu

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