ある刹那主義者の死

海沈生物

第1話

 マッチングアプリで出会った彼女の紐をやっている。紐とはつまり、特定の相手に対して金銭的・社会的な意味で寄生することである。俺は度々彼女の親友を名乗る人物から「頼むから、彼女のために出て行ってくれ!」と封筒に入った十万円を渡されたことがある。だがお金だけ拝借して、今もそのまま彼女に寄生し続けている。


 いつか、将来的にあの親友を名乗る人物から殺されるのだろうなと思っている。だが、その時はその時である。刹那主義者たる俺は、「将来を考える」なんて無価値なことは一切しない。それは俺を憂鬱な気分にして、ただ気持ちを暗澹あんたんとさせる結果しか生まないからだ。だから、将来を考えない。実に演繹法的な理由で素晴らしい思想だと自負している。


 さて、そんな俺だが今日は妙な出来事に出会った。たまたまコンビニで酒を買って帰っていた途中、ちょうど足元にあった道祖神……いわゆる「お地蔵様」のようなものを蹴り飛ばしてしまった。経年劣化なのか、はたまた元サッカー部のキャプテン……から「俺の妹と別れてくれないか?」と迫られた経験のある俺の足が暴走して、つい破壊してしまったのか真偽は分からない。

 ただ、壊してしまったのは事実である。だが、俺は落ち込んで憂鬱な気分になることはない。なぜなら、俺は刹那主義者だからだ。刹那主義者である俺は、「将来を考える」なんて無価値なことは一切しないのである。


 そのような帰結に至った俺は自分の胸を物理的に叩いて鼓舞こぶすると、壊れた道祖神をオーバーキルするようにボコボコに踏みつけた。「人が大切にしているものを破壊するのって、やっぱり楽しいなぁ」と感慨にふけっていると、ふと遠くから「お前さん!」と声を震わせて叫ぶ老婆がやってきた。


「お前さん……まさか、お前さんがその道祖神様を壊したのかのぉ!?」


「通り道にあって邪魔だったし、破壊したぜぇ。何か問題でもあったのかぁ?」


「問題も何もあるかぁ! その道祖神様はな、この土地で最も呪力が高いと言われていたノロイ=デ=シナース様をまつった道祖神だぞぉ? お前さん……このままでは!」


 何がそんな皺だらけの顔で「死んでしまうぞぉ!」だ、と俺は嘲笑ちょうしょうした。そもそも、呪力なんて科学が支配するこの世界において存在するわけがない。仮に存在したとしても、所詮は科学的に証明できる何かである。最早、現代にはもはや神秘と呼ばれるものは存在しない。この老婆はなんて古臭いやつだろう。

 そう俺が思っている一方、なんだか真面目腐った顔で老婆は俺の事を見つめていた。その顔をずっと見ていると、段々と胸の中がむしゃくしゃして、素直にイライラした。なので、アニメみたいに「紐パンチー!」と言って、右手による強烈なアッパーを老婆に喰らわせた。


 地面に倒れた老婆はちょうど道祖神があった場所へ勢いよく倒れ込んだ。「ゴンッ」と小気味良い音を鳴らして頭を強打した老婆の姿に「これは不味いかぁ!?」と焦っていると、やがて頭のあたりからじんわりと血のりが広がりはじめた。思わず「ギャッ!」と声をあげると、俺はすぐさまその場から逃げ出した。



# # #



 家に帰ってから、俺は「多分老婆を殺したかもしれない」という恐怖故に、こんなご時世なのに手洗いうがいもしなかった。付き合っている彼女の「おかえりなさい、あなた」という優しさのこもった声をガン無視して、一直線にベッドに向かった。布団の中に籠ってしまうと、「一体どうしたのよ?」という心配げな彼女の声もガン無視した。そのまま現実逃避をするようにして、俺は深い眠りへとついた。


 そうして次に目を覚ましたのは、真夜中だった。なんとも不可思議なことに、セットした覚えのない目覚まし時計が鳴ったのである。俺は隣ですやすやと寝息を立てて寝ている彼女を起こさないようにして、大急ぎで目覚まし時計を止めた。


 すっと目覚まし時計から彼女へと視線を向けると、まだすやすやと可愛い寝顔を見せているのにほっと息をつく。いくら俺が屑でカスな紐であるからといって、紐として養ってくれる彼女が死んでしまえば、ただの無職となる。また新しい紐先をマッチングアプリを使って探すのは大変だし、なるべく今の彼女からは失望されたくない。俺は彼女の艶やかな髪先を撫でながら「相変わらず枝毛ないの、すげぇなぁー……」「髪のケア、ちゃんとしてんだなぁー……」と感心しつつ、もう一度寝ようとした。だが、今度は外からチャイムの音が鳴った。


 全く、こんな時間にチャイムを鳴らすなんて非常識すぎないか。「紐の俺が言うなよ!」と言われるかもしれないが、「紐と真夜中にチャイムを鳴らしてくるやつ、どっちが刹那的に見て非常識なのか?」と言われたら、どう考えても後者の方が非常識である。許すまじ、チャイム鳴らし野郎。


 俺は彼女を起こさないようにしてベッドから出ると、彼女が愛用しているライブ(お金がないので長らく行ってないらしいが)の七色に光るLEDペンライトを持って玄関に行く。鍵を開けて怒鳴り散らかそうかと思った時、不意にそこにさっき殺したはずの老婆がいることに気付く。思わず「ギャッ!」と声を上げて尻餅をつくと、その老婆は俺に対してニタァと笑いかける。



『ワタシハ コノチノカミ ノロイ=デ=シナース デアル。ナンジ ワレヲマツリシモノ コロシタ。ソノツミ ソノバツ ナンジノ モットモ モノデ シハラッテモラウゾ!』



 そう言っていつの間にか片手に持っていたなたを振り上げると、それで俺を切り刻んでこようとしてくる。もちろん、俺は抵抗した。だが、俺が持っているものは所詮ペンライトである。その鉈は簡単に俺の持っていたペンライトを真っ二つに両断してしまうと、そのまま俺の右脚の太もものあたりをさっくりと切ってきた。

 肉が切られた強烈な痛みに、俺は思わず「ギャァッ!」と声をあげる。幸いにも太ももという肉が豊富な場所なので一撃で致命傷には至らなかったが、痛み故に「立って動く」ということができなくなった。


 これはいわゆる「詰み」というやつだろうか。彼女の親友に殺される前に、まさかこんななまはげみたいなやつに殺されるなんて。そんな、そんな非現実的なことがあり得るのか。これは俺の見ている夢なのではないか。そうこうしている内に、なまはげ……ではなく老婆からの次の一撃がやってくる。あーこれは死んだ、死んだのかなと思った。さよなら美しき紐人生。さよならこのクソったれた世の中。そう思って目をつむった時、ふと走馬灯のようにして今までの人生が蘇ってくる。


 その思い出の大半は「寝取った彼女と付き合っていた彼氏から校舎裏でボコボコにされる」とか「一代目の紐になってくれた女性が思いつめて自殺してしまった」みたいな、「ろくでもない思い出たち」ばかりだった。どれもこれもろくでもないことだったが、そういう経験たちが今の俺に「刹那主義者」とい素晴らしい生き方を学ばせてくれた。そう考えると、俺はこの一度きりの人生というものを「割と楽しく生きれたんじゃないかな」と思った。


 それに……ここで俺が死ねば、今後ろですやすやと寝ている、俺のな彼女は「俺」という呪縛から解放される。それは彼女にとっても、ついでに口うるさい彼女の親友にとっても、良いことなのだと思う。


「……達者で暮らせよぉ。髪を大切になぁ。それじゃあ、なぁ」


 彼女に向かって微笑んで目をつむった瞬間、ついに最期の強烈な痛みが俺の身体に……走らなかった。俺はどういうことかと目を見開くと、その老婆は俺のことを無視して、ずかずかと部屋の中に入っていく。そのまま彼女の元へと歩いていくと、次の瞬間、彼女の心臓のあたりに向かって鉈を振り上げた。


「や、やめてくれぇ……」


『オマエ ノ タイセツナ モノ デ シハラッテ モラウ』


「やめてくれぇ!」


 俺の「ギ……!」というかすれた声も虚しく、その鉈は彼女に振り下ろされた。返り血が部屋中へと飛び散り、その一部は俺の頬にまで飛んできた。頬を流れていく血の感触は明らかに本物だった。彼女は悲鳴をあげることもなく、ただ血を垂れ流していた。俺は痛む足を引きずりながら、どうにか彼女の元へと行こうとする。だが、そんな俺の思いを踏みにじるようにして、その老婆は俺の彼女に向って、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、その鉈を振り下ろした。


 やがて部屋中が赤に染まると、その頃にはもう彼女は目に見えて死んでいた。あたかも一満足したという顔を老婆は浮かべると、鉈に付いた血を血まみれの布団で拭き取った。そのままなんとか彼女の元へと足を引きずる俺の頭をポンッと蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた俺の頭はそのまま壁にぶつかると、老婆はそんな俺の頭を、何度も、何度も、何度も、何度も、踏みつけてきた。それはまるで、俺が道祖神に向かってやったこととよく似ていた。これは復讐なのだ。そう、俺があんなことをしたから道祖神が怒ったのだ。怒った道祖神は、だった彼女を殺してしまった。


 段々と身体の感覚が無くなってくる。やがて本当に最期の鉈が振り上げられた時、俺は後悔した。どうして、「将来」のことをちゃんと考えなかったのだろうか、と。

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