名札のない部室

「ごちそうさまでした」

 昼休みが50分経過したところ、僕は昼ご飯を完食した。

 長万部はまべの方を見ると、皿にのせられたライスはまだ4分の1残っている。

「早いね」

「ゆっくりしてていいよ」

 僕は先ほどの10人グループの会話を整理する。

 特待生の中、女子2人は同じ部活に所属する予定。中学の大会入賞者とのこと。

 物理部は2つに分かれている。その一つは部員がホーゾージという女子生徒たった一人で、くれ先生が指導員。もう一つは国際物理コンテストの選手権参加予定。

 剣道部と薙刀部は異種試合を行う予定。去年は薙刀部が勝ち取ったとのこと。

 昼休みは残り35分。どの部活動に参加するか決めるために見学しに行くとしよう。ちょうど長万部は食べ終わったし、そろそろ動くか。

 僕は何も言わず席を立つ。長万部は無言のまま後ろについてくる。

 トレイを返して、僕は真っ直ぐ職員室へ向かった。

「失礼します」

 中を見渡すと、呉先生以外全員席を外している。これは好都合だ。込み入った話も聞けるかもしれない。いつしか後ろにいた長万部もどこかに行ったし。

 僕は呉先生のワークスペースに近づく。オフィスチェアに座られる呉先生は、フードジャーに盛られた料理を食べている。図体の大きい呉先生に小さなフードジャーはちっとも似合わない、という僕の考えは失礼にあたるか。

「呉先生、お話があります」

 呉先生はこちらを見ると、箸をティッシュの上に置き、フードジャーにキャップを閉めて、こちらに体の正面を向ける。

「どうぞ」

 本題に入る前に、少し雑談していくか。

「おしゃれなフードジャーですね」

「おしゃれ、ですか。このフードジャーがどうかしましたか」

「いいえ。学食で一汁三菜を食べてきたもので。そのフードジャーを見ると、お母さんの弁当というのを思い出しまして」

「これは妻が用意してくれたものです。既に昼食を取った私にとってこれはおやつです」

「筋肉作りのため、ですね」

「結果的に筋肉が作られた、というのは正しいでしょう。先ほども言ったように、私は物理の教諭です。体育の先生のように、特定の体づくりを必要とする、というわけではありません」

「フィジックスの先生だけに、フィジカルトレーニングは欠かせませんね」

「フィジックスとは関係なく、フィジカルトレーニングを趣味としていますが」

「フィジックスと言えば、物理部について詳しく知りたいと思います。国際物理コンテストのほうではなく、呉先生が担当しているほうです」

 沈黙が場を支配する。呉先生は真っ直ぐ僕の目を見つめて、7秒経過。

「なるほど。具体的にどうぞ」

 呉先生は目を閉じて、僕に質問させる。

「入部希望者を募集していますか」

「新入部員の募集は、部長に尋ねるとよろしいでしょう。今の時間なら部室にいるはずです。3号館の5階、書道部と古典部の間の教室です。室名札しつめいふだがないので、わかりにくいかとも思いますが。引き戸をノックすれば出ると思います」

「ありがとうございます」

 僕は一礼し、職員室を出る。長万部はまべは、そこで誰かを待っているかの如くたたずんでいた。僕が出るのを見て、長万部は歩き寄ってくる。

「どこか部活にでも見学する?」

「そうだな。僕は3号館に行く」

「じゃあ俺も」


 やはり無言で長万部は後ろを歩く。

 僕は真っ直ぐ3号館に向かう。階段を登ると、掲示板に張られたポスターが目を引く。囲碁部、将棋部、チェス部。新聞部、文芸部、弁論部。コント研、演劇部、美術部。天文部、生物部、物理研。フランス語部、ロシア語部、イタリア語部。さすが生徒の多い学校、普通の高校では成り立たない部活でも、ここでは人数が集まる。

 5階にて右回り。テーブルゲーム研、曲芸きょくげい部、書道部と続いてタグ無し教室の前に立つ。ドアをノックする。しばらく待つと、引き戸をずらして女子生徒が顔をのぞかせる。

「はじめまして。1年エクリプスタククラスのりんテツと言います。見学してもいいですか?」

 女子生徒は僕の斜め後ろを見やる。

「は、はじめまして。同じ、た、沢クラスの、長万部万戸かずと、で、です」

 女子生徒は僕を見て、

「2年Bクラスの宝蔵寺ほうぞうじ娑羅さら。まあ何もない部屋だが、見るなら好きにするといい。茶は出さないけれど」

 僕は部室に足を踏み入れる。続いて長万部も入る。部室の中は、宝蔵寺が言うように何もない、というわけではない。むしろ何もかもある。ありふれてあふれそうでさえある。要は散らかり放題だ。僕は地面に横たわる学術誌を一冊拾い上げ、読み始める。ふむふむ。物理部なのに有機化学の論文を所有しているとは風変わりなものだ。戸棚の中を見ると蒸留器などガラス器具が沢山入っている。物理部というより化学部に見えるのは気のせいか。

 宝蔵寺の方を見ると、なんとライトノベルを読んでいる。しかも僕の知っているタイトルだ。ネタ上げして話題を作るとしよう。

「主人公が心を折られかけた失楽園の呪フラストレーション・ゾーン、アシモフに使ったら精神攻撃が効かなくて僕は笑えましたよ」

 宝蔵寺は顔を上げ、僕の方を見る。

「ああ。確かにあれは傑作だったな。如何にアシモフが異常者であるかが上手く伝わったとも。どれ、ここ気に入ったか?」

「どうでしょう。散らかりすぎてちょっと窮屈ですかね」

「スペースが欲しいなら好きに作るといい。捨てるのだけ勘弁な」

 さて、言質も取ったし、部屋を少しキレイにするとしよう。昼休みは残り15分。10分だけ片付けしてグラウンドに行くとするか。

 戸棚に空きスペースはないので、一旦書類や書籍を用紙サイズごと平積ひらづみにする。大量の文庫本をA6サイズの列として並べる。学会誌などA5サイズがもう一列。散らばっているプリントは全部A4サイズだが、おもしとして上にB5サイズの辞書を置く。

 あっという間に10分はすぎてゆく。どうせまた宝蔵寺さんに崩される、とも思うが、新しく戸棚を調達しても、まずどのぐらいの収納スペースが要るのか把握しないと始まらない。入部と決めたわけでもないし、このひと時にやってみたいことをやったまでだ。

「それでは失礼します」

「ああ、もうこんな時間か。私も教室に戻らんと」

 僕は部屋を出ると、次に長万部、最後に宝蔵寺が引き戸の鍵をしめて、3号館を後にする。


 午後は軍事訓練だ。一旦グラウンドに集合とのことで、僕は呉先生の姿を探す。

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ティヒー・ダウン 菅原道磨 @sugaw

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