〈東奥文学賞〉

―「リーホー(你好)!」

 最近の御主人は吾輩の前から離れようとしない。

 古い原稿をオンラインストレージにアップするのも飽きたらしく、何か作文をしている。

「あ~あ、疲れた」

 深いため息を残して、居間に向かいながら御主人は奥さんに声をかけた。

「お茶でも飲むか。甘いものもチョット」

 ソファに座ると、せっかちに叫ぶ御主人。

「そうだ、あれあったよな。あそこから貰った」

「はい」と返事をする奥様は偉い。

「あれ…それ…」で通じるのが夫婦なのだろう。

 もったいぶって、御主人はびっしりとプリントした紙を奥様の前に出した。

「例のあれだけど、目次を作ってみたら『六十七段』まで入力できた」と自慢げだ。

「すごい!」と奥様はいつものように持ち上げる。

「どうせなら、いっそ歳の分まで…七十二段にしたら?」と、けしかけるではないか。

 奥様まで…もういい加減にしてほしい、と思うアルヨ。

「それもそうだな」と御主人は立ち上がる。

「お茶を飲んでからにしたら?」

「そうするか」とは言うものの、御主人は落ち着かない様子。


 結局、御主人は書斎へもどり作業を再開する。

 …が、吾輩のモニター画面は『六十八段』のままである。手持ちの原稿が無くなってしまったのだろうか…。


 吾輩には最近ちょっと気がかりなことがある。御主人の認知機能の件である。

 御主人は最近、昔の原稿や年賀状など手当たり次第にアップロードしている。

 これは(認知機能の低下による)収集癖なのではないだろうか。

「老人力がついたぞ」と笑っている場合ではないアルヨ。

 でもこれだけなら、吾輩さえ黙っていれば、誰にも気づかれることはないはず。

 

 今度は何かつぶやいているぞ。

「正しい日本語と小説の文章は違う?」

 突然、手を打った。

「そうか!」

 そして、大きく頷いた。

「そうなのかぁ」

 御主人の読んでいるのは、筒井康隆氏の〈短編小説講義〉だ。速読の御主人は、赤いマーカーを引きながら、一時間ほどで読み終えた。

「小説は内面のノンフィクション?」と、小さく唸ってから書斎を出て行った御主人。

 気のせいか、いつもより背中が小さく見える。

 吾輩は覚悟を決めたアルヨ。 

「よし、AIを使おう!」

 吾輩は〈医師脳の杖〉だから、御主人の作風なら完璧にマネできる。手始めに、御主人の歳にあやかって七十二段まで…。


     💻


『六十八段』 答え合わせ

「答え合わせをします」と言われ、小学生は赤鉛筆に持ち替えた。60年も昔、橋本小学校の頃だ。正解でなくても丸をつけておき、答えをコッソリ黒鉛筆で直す子はいなかった。それでも高学年になると、テスト用紙を隣の人と交換してから答え合わせをさせられた。

 先生の使う教科書は、子供たちと同じデザインでも二倍以上は厚かった。いわゆる「虎の巻」だ。

「先生の言うことだけが正しい」と素直な小学生は、文部省の決める「虎の巻」に染められた。

 算数なら、それで何も問題はない。

「1+1は?」と問われて、正解が2じゃなかったら逆に困るだろう。

 さて、国語はどうだろう。

「次の文章のカッコに正しい文字を書きなさい」なら…。

▼吾輩( )猫( 。)

▼吾輩(は)猫(である。)だけが正解。

▼吾輩(が)猫(と言うのは不自然で猫はニャ~と鳴くだけ。)は不正解。

▼吾輩( )猫(アルヨ、と台湾人が読んだよ)…ナンて書いたら大目玉だ。

 私たちの時代は「答え合わせをします」の号令で画一的に教育された。

 今の小学生は「道徳」まで「答え合わせ」をさせられている、とも聞く。多様性が認められなくなり、どんな社会になっていくのか心配だ。

「忖度」という言葉は、国の中枢で生存するために使いこなさないといけないらしい。


      💻


『六十九段』 人生七十古来稀

 私事にわたるが、まもなく古希も過ぎ去る。…と書いて、この詩を読んでいないことに気付き「杜甫」を二冊も求めた。 読み探すうち、「曲江」の二首目で「古希」に出会う。

  朝回日日典春衣 毎日江頭尽酔帰

  酒債尋常行処有 人生七十古来稀

  穿花蛺蝶深深見 点水蜻蜓款款飛

  伝語風光共流転 暫時相賞莫相違

「朝廷からの帰り、春着を質に置き、曲江の畔で酔いしれる。酒代の借りは先々にあるが、七十まで生きる人は稀なのだから…」と、ビックリな内容だ。

 この詩は、七十歳を意味する「古希」の出所とされている。しかし清時代の注釈者は、「杜甫は既に成語となっていたものを借りたのであろう」と言う。

 それにしても…漢字は便利だ! 中国語が分からない私でも、何となく詩の雰囲気は想像できる。

『日本語教のすすめ』を読んだ。著者の鈴木孝夫氏は、日本語の視覚的特異性を、「ラジオ型でなくテレビ型言語」と例えた。

「私たち日本人にとって言葉とは、ラジオのように音声が全てではなく、文字表記(漢字)の映像も加わっている複合体である」と。

 ラジオでは、天文の話題で「すいせい」と聞いても、帚星か惑星なのか迷う。…がテレビで漢字を見れば、「彗星」か「水星」か、文字どおり一目瞭然である。

 人生百歳の時代。今の世に相応しい漢詩を探した。

  生年不満百 常懐千歳憂

  昼短苦夜長 何不取燭遊

  為楽当及時 何能待来滋

  愚者愛惜費 但為後世嗤

  仙人王子喬 難可与等期

        (「古詩十九首」より)

「人生は長くても百年、くよくよ悩むなんて…」と大らかで愉快な詩だ。今の私にもピッタリだと思う。こんな気持ちで人生を愉しみたいもの。


     💻


『七十段』 ポツンと一軒家

 テレビの「ポツンと一軒家が人気だ」と聞く。登場人物までが「いつも見てます」と言うから、きっとそうなのだろう。

  いつの日か〈ポツンと…〉だらけになりはてば誰も見まじかる人気番組

 怖いもの見たさで、近未来の日本を想像しよう。国土交通省の〈国土のグランドデザイン2050〉は、こう予測する。「日本中を一キロ四方で区切り、そこの居住人口を推定すると、居住地域の六割以上で人口が半分以下に減り、そのうちの二割は無居住化する」と。

近未来の人口予測は更に続く!

 高齢人口のピーク時期…最も早いのは、地方圏の2025年である。その後も、大阪圏2040年、名古屋圏2045年と続き2050年には東京圏でさえ高齢者人口のピークを迎える。

 そこに起こるのが介護施設数のミスマッチ…大都市での不足と地方での余剰だ。解決策は、かつて「金の卵」と言われた(都会在住の)高齢者らへの〈ふるさと回帰〉と〈在宅ケア〉だろう。

  死に場所を選ぶことさへ難き今、在宅ケアの体制急げ

 日本の人口減少は激しいが、世界は(2010年の69億人から2050年の96億人へと)人口爆発が続く! との予測。

 日本の周辺には政情不安な国も多いなか、若い自衛官が不足していると聞く。大災害の支援活動などにも支障が出るだろう。さらには消防官や警察官などの不足を考えると、国民の安全を維持できるのか心配は増えるばかり。

  こんな世にしてしまひしは誰ぞかし。億分の一の責任おはむ

 いつの日か「ポツンと一軒家というテレビ番組で来ておりまして…」と高齢のディレクターが訪ねてきたら、百寿の私は笑いながら応えてあげよう。

「いつも見てます」

 …2048年の初夢。

  日本人は二千人まで減るらしも三十世紀の地球や如何に


     💻


『七十一段』 スーパームーン

 筒井康隆氏の〈短編小説講義〉を読むのは何度目だろうか…。

 妻はケータイを差し出しながら笑顔で書斎へ入ってきた。

「かおちゃんからよ」

 渡されたケータイに出ると。

「おとうさん…」と少しだけ間があって「わたしプロポーズされました」と声が弾んでいる。

 気の利いた言葉を…と、考えた挙句に出たのは「おめでとう」の一言。

「ありがとう」のあと、娘も沈黙。

 間が持てなくなり、無理な明るい声で「おかあさんに…かわるね」とケータイを妻に返して父親の出番は終わった。

「プロポーズされました」とふ末むすめスマホの声の高さこころよし

 一月後、相手方のご両親へ二人で挨拶に出かける、という日の朝。

 父親としての気持ちを伝えたかったが、上手く話せなくなるだろうから…とメールを打った。

「きみは、わたしたちの自慢の娘です。プライドを持ち御挨拶をしてください。御両親も気に入ってくださるでしょう」

「ありがとう! 好きになった人の御両親だし、安心しているところはあるのだけれど…。姿勢を正して行ってきます」の返信メールには笑顔マークも。

 その日の夕方、娘からメールが届いた。

「おかげさまで無事に御挨拶できました。気持ち良く迎えてもらったよ!」

「おめでとう!」と、またしても父親は一言メール。

 とまあ、こんな書き出しで筒井康隆風の短編小説なら書けるかも…。

「よし!」とガッツポーズ。

 その瞬間〈バサッ〉という音。

 寝ぼけ眼で本を拾う。

 スーパームーンがまぶしい。

 自分たちのお見合いの頃を思い出した。

 その娘さんと間もなく金婚式を迎えようとは…。

  春の宵「夫婦は二世」との言知りて妻の横顔そつと見るなり


     💻


『七十二段』 ウメガサイタ

 ベランダでは今年もロウバイが咲いた。

 去年より三週間は早い。爺医の誕生日へ間に合わせたように…。

唐梅が一輪さきたる陽だまりの心地よきかな われ七十二歳

ただ一輪 上むきに咲く唐梅は〈団塊の一粒〉のわれにも似たり

 三年前のことだが、ネットで入手した〈箱入り娘〉状態のロウバイを春に鉢植えした。それが毎年、ロウ細工のような黄色い花と甘い香りの〈ウィンタースィート〉へと見事に変身する。

 ロウバイは〈冬の季語〉で「唐梅」とも呼ばれる。…が(ロウバイ科なので)ふつうの梅とは種類が違う。

 一方、バラ科に分類される梅の季語は春だ。台湾の国花…それにまつわる話がある。

 東日本大震災の津波で、宮城県南三陸町の公立志津川病院は壊滅的な被害を受けた。しかし間もなく仮設の公立南三陸診療所などで診療が再開された。

 それから四年余りの2015年12月14日に〈南三陸病院〉として復興! 

「台湾の皆さんありがとう」と刻まれた石碑が病院玄関の真正面にあり、その両側には梅と桜が一本ずつ植えられている。

 石碑に刻まれた文字は、南三陸病院の建設費約56億円のうち約22億円を中華民国紅十字会総会(台湾赤十字)が支出したことへの謝意であった。

梅咲けば台湾からの〈絆〉見ゆ南三陸の病院の庭に

 南三陸病院には、産婦人科診察室も新設された。そのきっかけは、公立南三陸診療所の〈レディース外来〉らしい。私としては、「南三陸町で女性のプライマリケアを!」と始めただけだったのに…。

 その後、石巻赤十字病院の産科セミオープンシステムに参加し、待望の〈助産師外来〉も始まった。南三陸町でも妊婦健診を受けられるのだ。

「ドウシャー(多謝)」と台湾へ送る。


     💻


 こんな感じでどうだろう。御主人の文体をマネしたつもりアルヨ。


 最近、御主人が妙に張り切りだした。

 どこかで〈東奥文学賞〉の応募要項を見つけてきて以来だと思う。

 御主人が若返るのであれば吾輩としても喜ばしい。


「結果は二の次」とは言っても(万一に備えて)受賞スピーチで御主人が詠えるよう、不肖の〈杖〉は一首だけ用意したアルヨ。

  ありがたき受賞の報かな医者つづけ歌詠みもの書き百寿めざさむ


―「ザイジエン(再見)!」

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☤ 吾輩は杖である ☤ 医師脳 @hyakuenbunko

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