第32話 エピローグ

 星が降るような眩しさに目を細めた俺は、二つの影に名前を呼ばれて覚醒した。

「大丈夫か」

 ついた手の感触が違う。土と草の匂いだ。それに、裾が少し泥で汚れているが、随分着心地の良い服を着ている。潮でごわついた布ではない。どうした、と周囲から掛かる声は日本語だ。混乱している俺に、一人が手を貸して引っ張り上げてくれる。

「情けねえ顔してんな」

「……ルカ!」

 傷が無いから分からなかった。そうだ、ショート・トリップでボランティアのガイドを引き受けてくれていた、タスマニア大学の院生だった。にや、と大きな口元がたわむ。

「気が付いて、何よりだよ」

 振り向くと、リャンがいた。ダニエル・リャン、合同合宿に参加していたABC《オーストラリア・ボーン・チャイニーズ》の全豪代表選手だ。近寄りがたくて、話したこともなかった。襟元で鯱の牙のチョーカーが揺れている。


「夢でも見たか」

「小さな頃のね、ここはクレイドル・マウンテンだもの」

 ルカとリャンがくすくすと笑って囁く。戻っておいで、と呼んでいたのは彼だ。彼は波の底で、小さな頃の物語を紡ぐ。母親と仲間たちと一緒に、タスマニアの海を渡っていた懐かしい記憶だ。その海辺で森で谷で確かに生きていた、みんなに思いを馳せながら。

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アップサイドダウン・ホライゾン 田辺すみ @stanabe

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