第10話 やはり一を聞いて十を知る、とはいかないが


 行きと同様の格好でエルに抱えてもらって帰ってきたら、店のひさしの上でスティーユが待っていた。からかうような冷笑が浮かんでいる。


「やあ、お帰り二人とも。ずいぶんと遠出してきたようだね」

「まぁ、遠出といえば遠出になるか」

「ふぅん。店をほうってね」


 スティーユの冷たい一言を受けて、下ろしてもらったアンリは固まった。


「ごめん」

「いいさいいさ、たまに半日ぐらい臨時休業したって誰も文句は言わないよ。欲しいものが買えなくて困った人はいたかもしれないけどね」


 アンリは喉を詰まらせた。スティーユの言うとおりだ。緊急事態だったとはいえ、店を完全に放置していたことは言い訳できない。

 一方、スティーユは自分が矛盾した意地悪をしていると分かっていた。自分の手で――正確には尻尾で――看板を畳んでおきながら、いざ思い切りさぼられると妙に腹が立ったのだ。けれど、


「ごめんなさい……」


 しゅんとしおれたアンリを見て態度を改めた。かばおうとしたエルが口を開くより早く、ひさしから飛び降りて、うつむいたアンリを見上げる。


「すまない、意地悪を言った。分かってるよ、君が何の理由もなく店を放置するわけがないってことぐらい。何があったのか、あとで聞かせてくれ」

「……ごめん」

「こっちこそ。それと、ボクがここにいる間、客は来なかったから安心していい」

「ありがとう、スティーユ」


 アンリはしゃがんで、スティーユの頭を撫でた。スティーユがまんざらでもなさそうな顔で鼻を上げながら、あくまでも口調だけは威厳を保って「ほら、店の片付けをしてきたらどうだい」と言う。


「うん、すぐに」


 アンリが看板を持って店の中に入ってしまうと、エルがぽつりと言った。


「本当に仲がいいな、二人は」


 スティーユの金色の瞳がじろりと彼を見上げる。


「ボクに嫉妬してもいいことないぞ、エル」

「嫉妬? 嫉妬なんて」

「してるぜ。してるんだよ、君は」


 非情に思えるほどの勢いで断言されて、エルは首を傾げた。


「……してるのか?」

「君の気持ちなんだ。よくよく見つめ返してみれば分かるはずだぞ。まぁ、分からなければ分からないでいいけれどね。そのほうが案外アンリのために――」


 そこまで言いかけたときに店の戸が開いてアンリが顔を出したから、スティーユは口をつぐんだ。


「エル、今日はいろいろとありがとう」

「いや。あ、これ、忘れないうちに」

「そうだった! 忘れるところだった」

「危なかったな」


 アンリは照れ笑いを浮かべながら、《ラストオーダー》の小びんを受け取った。反対に紙袋を差し出す。


「お菓子、包んだから持っていって」

「いいのか? ありがとう!」

「みんなにもよろしく。お見舞いはもう少し落ち着いた頃に行くから」

「分かった。伝えておくよ」

「うん。それじゃあ」

「なぁ」


 少し唐突な感じで言いかけたエルが、いったん口を閉じる。どうしたのだろう、と思ってアンリは彼を見上げた。彼が斜め下の方を向いているせいで、目が合わない。


「……明日も来ていいか?」

「もちろん! そんなこと聞かないで、いつ来ても歓迎するから」


 エルが微笑んで、ようやく目が合う。


「じゃあ、また明日」

「うん」


 お互いに手を振って別れる。冒険に行くのを見送るときとは違う、気安い別れだ。それでもエルは何度も振り返ったし、アンリも彼の背中が見えなくなるまでその場に居続けた。

 すっかり見送ってしまってから、スティーユと一緒に店の中へ入る。


「そうだ、万引きしてたのが誰か分かったよ」

「なんだって?!」


 毛を逆立てたスティーユへ、アンリはカウンターに座りながら事の次第を伝えた。

 尻尾をゆらゆらと揺らしながら聞いていたスティーユが、聞き終えるなり深く溜め息をつく。


「それで、許してきたってのか」

「うん」

「……」

「まずかったかな」


 スティーユはしばらく黙ってから、ひょいとアンリの膝の上に乗った。


「ここの店主はアンリだ。君が決めたことに口出しはしないよ。それに、君の目のことは信用しているからね。その目が必要だと感じたなら、きっとそれが正解だろう」


 やばそうだったらボクが斬り捨てる、とスティーユはばっさり言ってのけた。

 全幅の、ではないけれど、全幅に近い信頼が膝の上にある。心地よい温もりと重さにアンリは顔をほころばせた。


「ありがとう、スティーユ」

「ブラッシングを頼めるかい」

「任せて」


 アンリがスティーユ専用のブラシで純白の毛を丁寧にすいていく。スティーユは満足げに目を細めていた。



 エルとサダが顔を見せたのは、翌日の朝のラッシュを越えた頃だった。


「よき鐘の音が響いたな、アンリ!」

「そうだね、エル。サダも聞こえた?」

「ええ、もちろん。素敵な響きだったわ、アンリ」


 そう微笑んだサダが、店の隅っこでぐったりと椅子に座っている少年に目を付けた。珍しいもの好きの客たちにもみくちゃにされて、すっかり参ってしまったのだ。


「エルから聞いたわよ。彼が噂の新人くんね」

「うん。バナだよ」

「生まれたばかりの赤ちゃんじゃない。とはいえ、初日からこのざまじゃあ先が思いやられるわね」


 鼻で笑ったサダを、バナはぎっと睨んだ。


「うるさいぞおばさん」

「おばっ……」


 頬を引き攣らせたサダが、次の瞬間とびきり美しく――凶悪に――微笑んだ。


「アンリ、ちょっとこいつ借りるわ。素晴らしい用心棒になるように思い切りしごいてあげる」

「えっ、なんでそんなことされなきゃいけねぇんだよ!」

「口は災いの元って知ってるかしら? 諦めなさい」

「やだやだやだ、無理だって! やめろよおばさん!」

「うっわ二度も言ったわね! もう絶対に許さないわ! それに、元からあんたは用心棒になる運命だったのよ!」

「助けてアンリ!」

「こら、アンリに甘えるな!」


 サダの怒号。苦笑したアンリが、抱きついてきたバナをなんとなしに撫でたときだった。


「ああっ!」


 エルが唐突に大きな声を上げたものだから、全員が彼に注目した。


「どうしたの、エル」

「昨日スティーユに言われたことの意味が、分かったん、だ……けど……」


 彼にしては珍しく歯切れが悪い。しかも、みるみるうちに頬が赤く染まっていく。普段通りを装おうとしたらしい笑顔は、泡立て過ぎたホイップクリームのようにぎこちない。


「エル?」

「いや、なんでもない、なんでもない!」


 戸惑うアンリに一切目を合わせず、エルは「これ、ツケの分!」と銅貨を叩きつけるように置いた。それからバナの首根っこを掴んで、有無を言わさずアンリから引き剥がす。


「行くぞ、バナ! 特訓だ!」

「わあああああ助けて――」


 バナの叫び声が扉に断ち切られて消える。

 呆然と見送ったアンリ。サダは肩をすくめて飛び上がった。


「しょうがないわね、本当。じゃあ、アンリ。新人教育は任せて。みっちり仕込んで返すから」

「あ、うん。ほどほどにしてあげてね」


 サダは楽しそうに微笑みながら出ていった。

 アンリは五枚半の銅貨を仕舞いながら、いつの間に現れていたのか、カウンターの上でゆったりと尻尾を揺らすスティーユを見る。


「スティーユ、エルに何を言ったの?」

「別に。大したことは言ってないさ」

「嘘だね。それならエルがあんなに動揺するわけない」


 スティーユは鼻を鳴らしてカウンターから飛び降りると、ごくごく小さく呟いた。


「……さすがのあいつも言えなかったか。俺も撫でられたい、なんて」

「何?」

「散歩に行ってくるよ、って言ったんだ。じゃあね」


 悠々と揺れる白い尻尾が扉の向こうに見えなくなる。

 一人残されたアンリは首を傾げて「変なの」と呟いた。




      おしまい


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