第10話

真打ち昇進から数年が経ったある日の事。


銀座の高級クラブに連れて行かれた時に、とある子役から名優へとスターダムにのしあがってきた、先輩にあたる俳優が私に放った言葉がよぎった。


「龍喜。お前には"遊び"が足りないんだ。生真面目なんだよ。だから、女を知れ。知れば知るほど、芸にも磨きがかかっていくんだ。もっと自分を甘やかせていいんだぞ。売れたいのなら、まず女を抱け…」


龍壱の49日が過ぎた頃、私は一人、彼の自宅のあるマンションに来ていた。


仏壇の前で、焼香を上げ合掌した。彼の妻の亜沙美と、居候中だと言う龍壱の妹の絵麻と3人で会話をしていた最中だった。


「保育園に子どもを迎えに行く時間だわ。悪いんだけど、直ぐ戻るから、それまで2人で待っていて」


慌てる様に亜沙美は出掛けて行った。

絵麻と2人きりになり、暫く沈黙が続いていた。


「龍喜さん、今、どんな気分?」

「まだ気が立っていて落ち着かないよ。まさか、こんな事態になるなんて思ってもいなかったからな」

「人を言葉で落とし付けるって、私には分からない」

「どういう事?」

「お兄ちゃんが真打ちになった時、貴方と初めて顔を合わせた時、私、貴方に一目惚れして直ぐに落とした様なものだったよね。貴方もそうだったんでしょ?」

「昔の事は忘れた。今更何だ…」

「これだから男は困るんだよね。そう言いながら、何もかも覚えているくせに」

「俺らの事、誰かに話したのか?」

「言ってない。知られたら、とっくに私も殺されている様なものだよ」

「人は簡単には殺されない。君は誰かに恨まれもしない限り、苦しむこともないだろう。龍壱の場合は別だが…」

「お兄ちゃん、昔から毎日毎日落語落語ってうるさかった。だから、貴方が言葉であの人を殺した事が凄い嬉しかった。…すっきりしたの」

「止めてくれっ。そんなつもりで…あいつを弟子に取った訳じゃない」

「今日のスーツ姿も素敵だけど…喪服の貴方も素敵よね。見たかったなぁ…」

「絵麻さん止めろ」

「さんづけなんておこがましいわよ。…ねぇ、目をつぶってくれる?」

「何をするんだ?」

「見せたい物がある。それまで絶対目を開けないで」


絵麻の言われた通り目を瞑り待っていると、私のネクタイを強く引っ張り、唇にキスをしてきた。


「何のつもりだ?」

「瞑らないとお義姉さんに話すよ」


彼女は衣服を脱ぎ、上半身がキャミソール1枚になり、私の片手を握りしめて、彼女の乳房を鷲掴みをさせて撫で回してきた。


「帰ってくるまで、あと30分くらいあるから…その間にやるだけヤって気分転換しようよ」

「馬鹿な事をするな。もうとっくに終わったんだ。俺はこのくらいで動じないぞ」

「好きなくせに…ここにも入れてきて」


絵麻はスカートの下着の中へに私の手を入れようとしたが、振り切って止めさせた。

私は立ち上がり目を見開いて突き離した。


「幼稚じみた事が通用すると思ったら、大間違いだ。ふざけるのもいい加減にしなさい。龍壱はこの様な事は望んでいない」

「つまんない。そんなにつまらない人になったんだ。あの頃は直ぐに私に掴みかかってじゃれ合ったのに。」

「つまらないのではなく、まともになったと言ってくれればいいさ。…呆れたよ」

「私の事、嫌いになったのって何でなの?」

「あの頃はまだお互い子供の様な付き合いだっただけだ。10年も前の事を引きずっていても、何もならん。俺が変われるんだから、君も考えを正しなさい」

「バラしても良いの?」

「構わん。好きにしなさい。」

「何、その強気な態度…なんか本当つまんない」


こんな事でつまらないと連呼してくる方も、ただの愚か者だと感じた。

何一つ成長しようと努力しない人間になんて、相手にもしたくない。


絵麻が乱れた衣服を整えていると、亜沙美が帰ってきた。


「おかえりなさい。寝てるんだね。向こうの部屋に連れて行くから、貸して」


絵麻が子どもを抱えて、奥の寝室へと行った。


「師匠。翔太郎の事なんですが、あの人は貴方の事を本当に慕っていたんです。一門の一番弟子として、こんなにも恵まれた事はないと話していました。ただ…彼の気難しさは他人にも上手く伝える事が出来なくて苦労していたのは、よく見ていました。だから、自殺した事は貴方の責任ではありません」

「そうであると…確信していただけますか?」


「私は反対だよ」


「絵麻?」

「私、亡くなる1週間前に話したの」

「何をだ?」

「10年前に周りに内緒で、龍喜さんと身体の関係を持った事を話したの。そうしたらお兄ちゃん、異変が起きたの」

「どんな風に?」

「それを話したら、私の首を絞めてきて…殺してやるって暴れた。そうしたら、丁度お父さんが中に入ってきて止めたの。本当、殺されるかと思った」


「師匠…事実なんですか?」


「…えぇ。絵麻さんのおっしゃる通りです。ただ3ヶ月も満たないうちに終わりました。」

「けど、それが自殺した経緯ではないよ。お兄ちゃん、その前から狂っていたじゃん。だから、龍喜さんは悪くない。…ずっと黙っててごめんなさい」

「直ぐに飲み込む事は出来ないけど、その話はまた後でゆっくり聞かせて」

「亜沙美さん。今日はこれで失礼します。絵麻さんとの事は、彼女から聞いてください。では…」


絵麻があからさまに話を暴露してきた事に、内心ひやひやしていた。ただ亜沙美は冷静な態度を取っていたので、修羅場にならずに済んだ。


それから時は経ち、彼らが私に告げてきた白状はいつの間にか薄れて、誰も探ろうとはしてこなかった。


今となっては弟子も増え、一門は7人になった。相変わらず忙しい日々を有り難く送っている。


私の重ねきた情事は全て帳消しにしたいくらいだ。


未だに恨む人間もいるだろうが、これが一層の事、噺家として華やいでいくのなら、それらを食べ尽くして肥大していく化け物になっても構わないと本望が心の底から湧き上がっている。


情事を求める世の女性達も怖いが、一番怖いのは自分自身なのだ。


私の半生において、この様な出来事を語ってきたが、いかがだっただろうか。


そこの貴方。


耳を立てて周りを見渡してご覧なさい。


今日もどこかで、何がうごめく音が聞こえてくるのをー。

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夏炉冬扇〜誰も知らないある噺家の情事〜 桑鶴七緒 @hyesu

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