第3話 スリム・シェイディ②

「ねえ、お兄ちゃん。ちょっと前から好きな人ができたの。とても善い人よ」

「そうか。お前が認める男ならきっと立派な奴だろうな。今度会わせてくれよ」

「お兄ちゃんならそう言ってくれると思ったわ。でも族長は私たちの関係を認めてくれないかも」

「どうしてだ?何か問題があるのか?」

「だって…」


 ***


 男が何かを叫んだ途端、静電気が全身に走ったかのように産毛が逆立つ。透かさず三つ編みの男が足元を見ると、先ほどの砂のようなものが細かく振動している。野生の勘か、熟練の英知か、その光景に言葉にならない危機感が身を貫き、咄嗟に足を外した。


「これは…」

 砂同士は互いを引き合い、その動線を辿ると自分の足首に微かに張り付いている砂粒目掛けて近づいている。磁石のように合体を続けたそれは、折れたナイフのような形状に変形していった。———というよりも、元々の形状に戻ろうとしているように見える。

 現象は本当に一瞬であったが、三つ編みの男からすればそれは十秒か二十秒にも匹敵するほどスローモーションに見えた。

 その鋭い形を見た瞬間、この現象の結末が明瞭に理解できた。

「まさか…」

 そのまさかであった。逆再生のごとく、尖形のナイフ先へと巻き戻ったそれは足首目掛けて凄まじい勢いで飛び込んできた。

「ぐっ」

 三つ編みの男の足首にそれは深々と突き刺さり、鮮血はズボンの裾をみるみると赤く染めた。

「これがこいつのトーテム…か。あれは砂じゃない…あれは」

 木片やガラクタを投げ、そのあたりのありとあらゆるものを投げ、どうしようもなくなって床の砂さえ目晦ましに投げたと思っていた。戒めの証か、惨たらしく鋭く破片が刺さっている。

 三つ編みの男はそれでも倒れず、何とか踏ん張り、両膝を抱え痛みに耐えた。

 ついでのように自身の背後にある窓を、いや窓のその先をじっと見詰めた。

 その姿は意表を突かれた男の態度としては些か似つかわしくない。対峙した男からすれば、不気味さすらある光景であった。

「何よそ見してんだ?余裕か?」

「いや、に想いに耽っていただけだ」

「いちいちムカつく野郎だ!三つ編み野郎が」

「ライリーだ」

「あ?…なんだって?」

「名前だ。ライリー。ババオ・ライリーだ。三つ編み野郎じゃない」

「…ああ、そうかい。んなもんどっちでっちゃ良いんだよ!」

 男は怒りに任せて大きく声を上げると、手元のナイフをテーブルにガリガリと擦り付けた。それはまるで、消しゴムで間違った文字を消すように刃先を擦り付けている。その速度は通常の男性の腕力から繰り出される速度ではない。それは異能の業のなせるものであることは明白であった。



ライリーはぶつぶつと呟いた。


 「あいつの左腕、赤みがかった橙色のミミズのようなものが複数匹出現している。『スリム・シェイディ』と言ったか。それが奴のの名前だろう。

 木製のテーブルに金属製のナイフを擦り付けているのにもかかわらず、テーブルではなくナイフの方が削れている。それこそ消しゴムのようだ」


「なあにブツブツ言ってんだ!オラ!」

ライリーが男の腕に生えたものと能力トーテムの力量を推察していると、男は削り落ちたナイフのカスを乱暴に掴み、弧を描いて投げつけた。

「やはりな。さっき俺の足を突き刺したのはこのナイフの破片。削りだした破片のわずか一つにでも触れればドカン。そこ目掛けて逆再生のように合体しながらナイフが突っ込んでくるトラップというわけか」

負傷した足を庇いながら投げつけられた破片の軌道を躱し、跳弾する破片一つ一つにさえ気を張った。パラパラと音を立てて落ち終わるの待った。

「俺のトーテムの能力を特定するためにあえて何もしなかったつもりだろうが、それはお勧めしないな。それに、俺を格下に見ているようなその態度は非常に非常ぉぉぉぉに腹が立つ。違うだろ?俺がお前を見下すんだよ。そうあるべきなんだ」

「よく喋る性器だな。ギネスにでも認定してもらえ。“世界で最もよく喋るペニス”としてな」

「んん…めえ!ぶっ殺す」

「やってみろ!」

 ババオ・ライリーは手首側が上を向くように左腕を回転させ、前にグッと突き出した。

 男と同じように手首からギターのペグが突出し、ピンと一本の弦が張ってある。

 それを右手人差し指で景気よく爪弾くと玲瓏な音が部屋中に響き渡った。対面する男も音を聞き、軽く瞬きをした一瞬で、ババオ・ライリーの横に、ネイティヴアメリカンによく見る羽根髪飾りウォーボンネットを付けたダンクルオステウス面の化け物を認めた。

 しかし、それは首が異常に長く、下半身は人魚のような体躯に馬の前足がついたような、それこそ化け物としか言いようのない奇妙なヴィジョンだった。

「ライリーっつたか?それがお前のなんだな?」

「魅力的だろう?オレはこいつを『マザー・ラブ・ボーン』と呼んでいる。お前のソレと同じ、があるってことだ」

「気取んなゴミが!」

 ババオ・ライリーは一歩踏み出し、その足に体重を乗せて一気に走り出した。

 男はというと、再び削り出したナイフのカスをババオ・ライリーに投げつけた。

「芸のない男だ。何かの罠だろうが当たらなければどうということはない」

「ああ、だと思ってな。だがな、お前はもう罠にかかっている」

「!」

 男の言葉を聞いて嫌な予感がした。いったん止まろうとした彼だが、ババオ・ライリーが一歩を踏み込んだ途端、靴の下から無数の金属片と床とが擦れ合うような音がした。

「しまった!」

 咄嗟に跳び上がり、三歩ほど退いた。その束の間、彼はすぐさま床に落ちているものが一体何なのかを確認しようと目を落とす。

「これは?」

「バカが!引っ掛かりやがった」

 ババオ・ライリーが踏んだものは金属片ではなく、男がさきほど吹き飛んだ際に割れて粉々になった棚のガラス扉片の一部であった。

「ぐっ!いつの間に」

 ババオ・ライリーの足に鋭い痛みが走る。先ほどまで粉々に散らばっていたナイフ片が結集し、4㎝程度ではあるが元のナイフの形に戻っていたのだ。いまそれが彼のもう片方の足首に惨たらしく突き刺さっていた。涙の様に血が滴る。零れた血は彼の靴の隙間に吸い込まれ、見る見るうちにシミが広がってゆく。


「ふふふ、二度も罠にかかるなんて、お前学習能力ないな」

「…」

 靴の下に違和感がある。何かが蠢いているような感触が気色悪い。

 しかしながらガラスをナイフ片と勘違いし飛び退いたはいいが、着地したその先に忌避していたナイフ片が落ちているとは…オレは随分と間抜けだな。

 迂闊だった。あまりにも単純で、あまりにも小賢しい、子供だましにも劣る罠にまんまとかかってしまった。これは戒めとして受け入れよう。

 しかし、中々に興味深い。粉々に削り出したナイフ片の一部を踏み込むと、踏んでいない分のナイフ片が結集し、お互いが惹かれ合うように馬鹿正直に飛んでくる。ただし、人の体重を押しのけて結集するほどのエネルギーは無いようだ。時速は150~160㎞/hと言ったところ。しかし、いつオレに見つからずガラス片を撒いたんだろうか。


 彼は、男がどうやって自分に気づかれずガラス片をばら撒いたのかを考えていた。

 考え込んでいるわけではないが、ふと思考を巡らせるような仕草をしたババオ・ライリーの様子に勘づいたのか、腕を大袈裟に振りながら男が口を開く。

「大きく振りかぶったとき、もう片方の手は全く見えてなかっただろう?ナイフ片をばら撒いた際によお、もう片方の手ではガラス片を撒いておいたんだよ。ちゃんと床を見ながら歩いてればこんな罠に引っ掛からなかったのにな。ギネスに認定してもらえよ。“世界一間抜けな男”としてな」

「…」

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トーテム-TФTЁM アロス・コンポ―ヨ @tanishi1987

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