第2話 スリム・シェイディ①

男は考えた。おかしい。どこから入ってきたのだ。おかしい。どうやって入ってきたのだ。おかしい。なぜ物音がしない。おかしい。なぜ自分は吹き飛んでいる。

「はあ…はあ…おいおいおいおい。こっちは100㎏オーバーしてんだぞ」

壊れ果てた家具やガラスに埋もれた上半身をどうにか起こし、突き飛ばした人物を睨みつける。街頭の灯、隣のビルの照明がカーテン越しに入ってきているため、影はやや部屋の奥へと押し込まれる。窓に近い方はぼんやりと薄闇を纏っていた。

方や、窓際に佇む憎たらしいその人物は逆光気味となり、男は顔をはっきりと視認できないでいた。

「はあ、はあ、誰だ…はあ、はあ、な、何の用なんだよ」

「…」

「どうやって入った?物音は全くしなかった。ああそうとも、まったく。どうやった」

「…」

「…どうやって俺を吹っ飛ばしたんだ?腹に鈍い痛みはあるが、お前の距離からじゃ届かないはず。武器も持ってない」

「…」

「おいおいおい、お前何ダンマリ決めてんだよ!何とか言えこの野郎」

「…」

男を吹き飛ばした人物は、ただ窓辺に仁王立ち。静かにじっと睨んでくるだけであった。何の返事もせず、かと言ってあちらから話しかけてくることもない。さきほどの攻撃は一体何だったのか、あの一瞬の凶暴性はどういう訳であったのか、言葉の一つもあれば男の理解にも届くだろうが、この空間での沈黙は動機を混迷にするばかりであった。

「…はあ、もういいよ。もう殺す。それでいい。話さないんなら、話せなくしてやるだけだ。そうすりゃイラつくこともない。オレがこの手で話せなくするんだったら何の問題もねえ。むしろ気分がいい。相手がオレの許可なく黙ってるのがムカつくんだ」

「…」

「無理やりその口掻っ捌いて閉じなくしてやるよ!」

「…御託ごたくは終わったか?」

「え?」

まただった。男は顎下に強い衝撃を感じた次の瞬間、天井のコンクリートに背面をぶつけたところまでは覚えている。

ふと気付けば、男は長年掃除されていないほこりとともに天井から帰ってきていた。

「い、息…い、きが…は…あ…」

喉を一瞬のうちに鋭角に圧迫された挙句、天井に勢いよく背中を打ち付けたせいで、ほとんど息ができない。部屋中にたんまりと或るはずの空気が一体どこに行ってしまったのかと錯覚するほどに、その喉は、肺は、まったく空気を掴めなくなっていた。それでも男は必死に息をしようと藻掻く。

「どうだ…声すら出せないというのは。経験したこと無い分感慨深いだろ。ん?」

「は…あ…」

床に涎を垂らしながら悶えている男のすぐ目の前に爪先が迫る。大きな靴の爪先が―――。男だ。声で分かっていたが、自分を襲った人物がいままさに判然とした。男、それもかなり大柄な男。自分と同じくらいか、はたまたそれ以上の屈強で高身長の男だ。

「だ……れ…」

「オレのことか?」

「あ…あ…」

「知らなくていい。どうせお前はここで死ぬ。それが村のおきてだ」

「あ…?」

「と、その前に一つ確認したい」

屈強な男は掌を男に見せるとそれをすっと這いつくばっている男の手の甲に重ねた。実際は、本当に手と手を重ねているわけではない。その15cm上で滞空しているような状態だった。男は一体何をするのかよく分からず、這い蹲ったまま、ただその掌の動線を目で追う。と、次の瞬間―――五寸釘で刺したような激しい痛みが手の甲に走った。

「あ…あ…あああああああがあああ」

「良かったじゃないか、息が戻って」

「があああ、ってえええ…」

男は左手甲に突き刺さった何かを抜こうと、痛む箇所めがけて余った右手でそれを掴んだ。

「ダメだろ掴んだら」

その言葉が号令となったのか、男が伸ばした右腕に斜めの格好でまた棒状の何かが鋭く刺さる。それは勢い余ってか、左腕の尺骨しゃっこつ橈骨とうこつの間を貫通した。

「あああああ!また…がああああ」

「おい、行儀が悪いぞ。だれが抜いて良いと言った?日本では『ヤキトリ』の串を抜いて一つ一つ食べる奴は変人の扱いを受けるぞ?お前はそれでもいいのか?」

「があああちくじょおお…な、何しやがった…痛えええ」

「…会話にならんな。まあいい」

若干小馬鹿にしたように鼻をふんと鳴らし、一通り見下すと両膝を抱え、「よいしょ」と声を漏らし立ち上がった。大して付いてもいない手の埃をパンパンと叩き落とし、頭の両脇にある三つ編みを優雅に靡かせ、近くにあった椅子を男の近くに設置すると、背もたれを前にして、そこに顎を乗せて跨った。

「んんんん…ぐうんん!」

「ああ、そうだ忘れていた。すまないお嬢さん。こいつをいたぶるのに夢中だったよ。裸でさぞ寒いだろう。少し待っててくれ」

三つ編みの男は一度座った椅子から立ち、一度剥ぎ取られた衣服を回収したのち、女のもとに歩み寄る。

「いま縄を解いた。ほら、これを着てここからすぐに逃げてくれ。正直、このあと起こることを耐性の無い人間に見せるわけにもいかないのでな」

女は屈強な男から衣服の一式を受け取ると急いで着替え始めた。

「が…こんなもん…あああああ」

女が着替えている隙に、男は打込まれた二本の棒から手を引っこ抜こうとしていた。棒が抜けないのであれば、手を抜けばいい。だが、それには尋常ではない痛みを伴う。男は痛みに喘ぎながらもグッと歯を噛みしめて力を込めた。

「あああああああああああああ…があああああああああ…」

部屋中に響き渡る男の悲痛な叫び。三つ編みの男も当然気付き、振り返る。

しかし、焦る様子もなく、寧ろその表情は抜き終わるのを待っているようにも見えた。

「あああ…あっ!はあ、はあ」

「…ほお、抜いたか」

「お嬢さんは着替え終わったね?」

「は…は、はい」

「それじゃ、このまま扉から逃げてくれ。さあ」

そういうと三つ編みの男は女を部屋の出入り口から逃がし、男の方に向き直る。

「はああ、抜いてやった。こんなもん」

男は二本の棒を束ねて壁目掛けて放り投げる。棒はやや反響するような音を立てながらカラカラと転がった。

「…」


ズリズリ…ズリズリ…

男は決して目線を外さず、後ずさりするように近くのテーブルに近づく。そこには先ほど女の脹脛を切ったナイフがまだ置いてあった。パッと手に取ると、それを三つ編みの男の前に突き出した。

「…それでオレを殺すつもりか?」

「ああ、その通りだ」

「…そうか。なら刺しやすいようにもっと近づいてやろう」

三つ編みの男は相手のナイフの射程距離まで近づいてゆく。その歩みに一切の迷いはない。それはナイフを持った男を格下と判断したような態度であった。


男は自身の手首を上向きにくるんと回すと、その尺骨と橈骨とうこつの間から、ギターのペグのようなものが出現した。

「許可もなくこっちにくんじゃねえ」

「…」

下半身を丸出しで必死の虚勢を吐く男の忠告など構わず、三つ編みの男は足を止めなかった。

「来るなあ!」

男は感情に任せて叫ぶと、そこらへんに転がっていたガラクタや木片を迫りくる三つ編みの男に次々と投げつけていった。

「…」

三つ編みの男は眉一つ動かさず投げつけられてくるガラクタを寸でで躱した。

「…刺そうとしたり、来るなと言ったり忙しい奴だ」

「う、うるせえ!こいつ!来んな!」

男は投げるものがなく、砂粒のようなものを投げ始めた。雨が降った時に靴に付いた泥が暫くして乾き、砂状になったものだろうか。足にかかったが、三つ編みの男は大して気にもせず足を前に出した。

「さっきまでの威勢はどこへ行った…惨めだな」

投げるものがないと悟り、距離を詰めるために歩を進めた。先ほど男が投げた砂状の残骸が床に散らばっており、それらを靴で踏んだため、砂と床とがこすれる音がした。やはり靴に付いた砂だったのだろう。

自身の靴を一瞥し、再び男に目をやる。

先ほどまでガラクタを投げていた男は右口角を吊り上げ、不敵な笑みを浮かべていた。

「ふふふ、惨め…」

「…」

「惨めね…」

「気でも狂ったか?」

「いや、いやあね。ふふふ、惨め…ふふふ…惨めなのはよお」

「もういい。すぐに終わらせよう」

男は目を見開き、体の前にスッと左腕を突き出す。

「惨めなのはてめえだよ!来い!スリム・シェイディ」


そう叫ぶと————。


ボコ…ボコボコ…


左腕のあらゆるところに穴が開き、そこから何かが一斉に顔を出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る