第3話:彼と彼

「ルーク、なんかお前血の匂いがする?」

ひくひくとその高い鼻を動かして、ディラントはルークの顔に近づいた。


ディラントたちの宿はルイデの酒場に近い、ルイデおすすめの宿だ。

このあたりは治安が悪いわけではないが、御しやすそうな吟遊詩人だと宿代をぼったくられたり、怪しいやつを手引きされたりすることもないではない。

その点、顔役のルイデの紹介であれば変な手出しもできないだろう。


「そうですか?そんなことはないと思いますが・・・」

長いトーガを脱ぎながら、確かめるように自分の体の匂いをかぐ。

「いいや、俺のこの高い鼻は間違えないぞ」

クンクンとしつこくルークの匂いを嗅ごうとしている様子はまるで子犬みたいだ。

ルークはその細く長い指でディラントの髪を柔らかく撫でた。

「ちょっと疲れているんです」

トーガを脱ぐと、ルークの細い細い体が露わになった。


男でも見上げるほどの長身。

腕と足が持てあますほど長い。

すらりとした首の上にはフードで隠されていた冷たい美貌が、背を長く流れる美しい金髪に縁取られていた。


横にならぶディラントの人懐こい美貌とはまったく逆の美しさ。


白磁のように滑らかな白い肌。

黒く長い睫毛はディラントのようにぱちぱちと瞬くことはなく、憂いを乗せてゆっくりと灰色の瞳の上で揺らめいて、まっすぐにディラントを見つめてくる。


「・・・」

まだ腑に落ちない様子のディラントだったが、こういう時のルークは動かせないのを知っているので、まあいいや、と肩をすくめて諦めた。


「まあいいや、腹減ってるだろ、ルイデの女将が持っていけって、牛肉の壺煮とハチミツ酒をくれたんだ。待ってたんだ、いっしょに食べるだろ?」

「・・・」

煙る瞳がディラントを見下ろす。


薄い茶色の朗らかな瞳とぶつかると、その唇に浮かぶのは、この氷のような麗人がこれほどの柔らかな笑みを浮かべるのか、と見ほれるほど優しい微笑みだった。

「仕方ないですね、お付き合いしましょう」

「やった!ルーク、ルイデったら、壺煮につけて食べる薄焼きパンもくれたんだ、これ好きだろ?」

小さなテーブルに、今日の戦利品、とうれしそうにディラントがあれもこれも、と並べてゆく。


また旅暮らしになれば糧食は干し肉や保存性を高めるためにパンをカチカチに乾かしたものを食む毎日が続くので、3人は、主にディラントとチェスだが、町に滞在している間はいろいろな食を楽しむことに決めているのだ。


まだまだ若いディラントは食欲旺盛で、その細い体にどれだけ入るのか、と驚くほどよく食べる。


確かに評判になるのがわかるルイデの壺煮は特に美味しくて、ディラントは指をソースだらけにしてぱくついていた。


一方のルークはその細い指に申し訳ほどの薄焼きパンをもって、小さくちぎりながら口に運ぶ。


名残惜しそうにソースだらけの指をなめているディラントを見ると、まるで子犬のようだ、とまたルークは思った。


ディラントはそのルークに気づいて、

「ほら、ルーク、また食べてないじゃんか。牛肉の壺煮を一口食べろったら」

ちびちびと薄焼きパンを食べているだけのルークにディラントが肉をのせたスプーンを差し出す。

「私はそんなに食べなくても大丈夫なんです。あなたみたいに食べていたら、一週間で豚になってしまいますよ」

「そんな骨と皮だけみたいな体しておいて・・・。ほら、一口だけ」

ぐい、とスプーンを口に押し付けられて閉口したルークだが、仕方ないと観念して、ディラントが選んでくれた、脂身の少ない牛肉を口にする。

「・・・美味しいですね、さすがあなたの見立てです」

そう言ってにっこりと笑うルークはさっき裏道で冷酷な横顔を見せていた男とおなじとは思えない。

柔らかな、愛しいものを見つめるまなざしがディラントに注がれる。

「あなたはいつもよいもの、よい人を見つけるのが得意ですからね」

「そうだろ、言ったろ。ルイデの店でこのにおいを嗅いだときから、あの酒場で歌わせてもらおうと思ったんだ。俺の鼻は間違えないんだ。まだまだあるよ、ルーク。ほらこっちの素敵に甘い砂糖漬けは?」

ルイデの美味しい料理は自分の手柄だといわんばかりに嬉しそうなディラントはここぞとばかりにルークに食べさせようとするが、

「私はあなたみたいに歌ったり踊ったりしませんから、そんなに食べられないんです」

ディラントから身を守るように、ルークはハチミツ酒を壺から一口含んだ。

ハチミツ酒特有の甘さとカッとなる熱さ、混ぜ物の猥雑さが口に広がる。


「ちぇ・・・。酒は飲むくせにな」

あのいたずらっぽいウインクを一つルークに投げると、ようやくルークに食べさせるのを諦めて、ディラントはギターを手にとった。

ポロリ、ポロリ、と特に曲でもなく、音を奏でてゆく。

この子は本当に歌うことが大好きなんだな・・・。

ついさっき大勢を沸かせた吟遊詩人の歌声を独り占めできる幸福に、ルークは目を閉じる。


こうしてディラントと旅を始めてから、もうすぐ1年がたつだろうか。


寒い冬にディラントを拾ってから、彼と旅を始めて、行き先はシュッツガルトだ。


シュッツガルド。

豊かなガルシャンにありながら、ぽっかりと暗黒が穴をあけたような、得体のしれない都市だ。

王族の支配の及ばぬ土地で、魔術師マリスが治めているとも、古代の恐怖王リーズが朽ちた肉体を引きずって治めているとも言われている。


もちろん行って帰ってきたものもいない。


2代前の獰猛王ガリスが送った一大隊も結局ひとりも戻らなかった。


なぜディラントがシュッツガルトに行きたいのか、ルークはよく知らない。

何か説明をしていたが、たぶん嘘だろうと思っている。


「・・・」

ふと歌が止んだのに気づいて目を開くと、すぐそこにディラントの顔があった。

整った綺麗な顔。

いたずらっぽく笑う茶の瞳が、ルークをのぞき込んでいた。

「どうしましたか?」

あまりに近い距離に、少しルークは身をよじらせた。

「あんまり目をつぶったままだから、まさか死んでるのかと思って」

「・・・」

ルークはあいまいに笑って見せた。

「俺を残して死んでもらったら困るぜ。まだまだシュッツガルドへの道は遠いんだからさ」

まるで少年のような純粋さで、いっぱしの男のような口のきき方をするのがルークには面白くて仕方がない。


遠い遠い昔に、自分にもこんな純粋で愛らしいときがあったのだろうか。


「まさか、あなたを残して死にませんよ。約束したでしょう。シュッツガルドに連れて行くって。私は小さな子とした約束は破らないと誓っているのです」

「そうだよな、お前は子どもを大事にするもんな。子どもをいじめるようなやつは容赦しないし・・・って俺はもう子どもじゃないぜ。お前がいくつか知らないけど、もう全然子どもじゃないからな」


全然子どもじゃない、と言い張るその様子がまるで子どものようで、ルークは知らず手を伸ばして、ディラントの柔らかな巻き毛を撫でた。


「わかっていますよ」

「だから、そういうのが子ども扱いだって・・・」

ぷうと頬を膨らませるディラントだが、そうやって髪を撫でられるのは嫌いじゃない。

「さあ、早く寝て、明日は3人で朝から宮殿の方に行ってみましょう。有名な双翼竜の彫像が見られるといいですね」

「そうだなあ、俺も歌でしか知らないガルーシャの姿を一目この目でみたいと思ってたんだ。それに伝説の聖女シャルデーの写し絵もあるっていうし」

「あなたの歌でも人気の題材ですから、楽しみですね。・・さあ、もう眠りましょう」

「うん、チェスが帰ってきたら、やつの分のメシをとっておいてあるから・・・」

もう半分眠りかけているディラントをベッドに寝かせて、宿の古い毛布をかけてやると、ほどなくすうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。


「・・・」

酒にはひどく弱いくせに飲んでみせたいところも、おなかがいっぱいになったらもう眠くなってしまう子どもっぽさも、何もかもがルークを微笑ませる。


愛しそうに柔らかな髪に細い指を滑り込ませると、何度も優しく撫でて、いちどだけ、そっとその髪に口づけた。


「おやすみなさい、よい夢を」

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3人の旅シリーズ @Luckywhatever

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