君の帰りを待ち続ける

小説大好き!

第1話

「脩、遊びに行かない?」


 荷造りをしていると声を掛けられる。振り返った先にいたのは、軽薄な雰囲気のある友人だった。金髪でピアスでいかにも軽そうな見た目なのに、中学の時から付き合い続けて早六年になる彼女がいる、ちぐはぐな奴だ。


「ごめん、用事」

「渡辺のところ?」

「うん」


 友人はしぶしぶ、名残惜しそうに、後ろ髪を引かれるようにしながらしずしずと下がっていく。


「はぁ……わかった。彼女にもよろしく言っといて」

「りょーかい」


 友人が振り向くのを見届けてから再び帰る準備を再開する。

 今日は由奈の誕生日だ。プレゼントは決めてあるので、お店まで取りに行かないといけない。あと、ケーキも取りにいかなければ。頭の中で予定を組み立てながら足早に去っていく。

 大学の敷地を出て正面にある道を何回か曲がり、大きい道路へと出る。ちょっとした商店街のようになっているそこを少し歩くと、目的地の途中にあるケーキ屋が見えてきた。ここのケーキ屋、すごく立地が良くて大変便利だ。

 中に入ると、気怠そうないらっしゃいませ、という声とクーラーの冷気が飛び込んでくる。今は七月。夏休み前のこの時期、太陽さんは非常に勤勉に働いているので外の暑さは異常だ。

 由奈と冷房を天秤にかけ、わずかに冷房のほうに傾いたので予約しているケーキを受け取る前に他のケーキの物色を始める。お、いいケーキ発見。次はこれを買おう。


「おいこら、さっさと受け取りに来なさい」


 レジから文句が飛んでくる。顔を向けると、先ほどまったく歓迎してない雰囲気で歓迎の言葉を放っていた女性がいた。

 普通の店員がこんなこと言っていたら普通に大問題だが、そこまで大きいわけではないこの店で、しかも年に何回か通っているのでまあ問題ないのだろう。ようは顔見知りの常連客のようなもんだ。


「客にそんな口きいていいの?」

「あんたの今のモノローグどこ行った」


 え、なんでわかったの。こわっ。


「自分の顔を見なさい。書いてあるわよ」


 気になって鏡を探すが、どこにも見当たらないのであきらめる。仕方なくレジに向かいながら、ちょうど建物で陰になっているガラスを見てみるが、流石に昼間のガラスは何も映してくれなかった。永遠の謎である。

 そのまま受け取るのを渋っていても仕方がないのでレジに行く。店員さんは流石というべきか慣れた手つきで注文の品を包装して行く。


「今日も幼馴染さんのところに?」

「うん、そうだけど」

「幼馴染さん、女の子なんでしょ? もう付き合っちゃえばいいのに」

「あはは、そうしたいもんですねぇ」


 はい、と店員さんがかわいい柄をしたビニール袋にケーキを入れて寄こしてくる。感謝しつつそれを受け取って、店を出ようとしたところで、後ろから頑張りなさいと声を掛けられる。

 それに片腕をあげて答えながら地獄のような暑さの外へと出た。そのままの足で、同じく近くにあるお店へと入って、中でプレゼントを買ってくる。


 それから十五分ほど歩くと目的地がある。正面に聳え立つ大きな建物を眺めて、少し緊張しながら正面のスライドドアへと足を運ぶ。フロントカウンターで入室許可証をもらってエレベーターに乗り、5階へ。

 目的の場所は503と書かれた場所だった。扉の前で深呼吸をして、激しくなる心臓を抑える。もう何回も経験しているけど、未だに慣れない。

 扉に手を掛ける。


「お邪魔しまーすっ」


 努めて明るい声を出しながら扉を開ける。


『お、やっと来た。遅いよ』


 望んだ声は聞こえない。


「…………」


 帰ってきたのは沈黙だった。心臓が冷え込むのを感じる。落胆を返しながら部屋へと入った。

 部屋の中は真っ白だった。清潔感のある真っ白な壁と床。そこには、一つのベッドとその脇に椅子が二脚、そしてそばに置かれた机。

 ベッドの上ではこの部屋の主が静かに横たわっていた。栄養補給のために幾つか繋がれたチューブが痛々しい。机の上にケーキとプレゼントを置いて、彼女の顔を見る。

 綺麗な寝顔だった。何にも心配事なんてないって感じの、安心しきった無表情。この顔を見ていると、涙が出そうになる。


「おはよう、由奈」


 椅子をベッドに少しだけ近づけて、そこに腰掛ける。掛け布団の上から覗いている彼女の手を両手で包み込む。確かな体温が灯っていた。大丈夫、まだ生きてる。


 幼馴染である由奈がこうなったのにドラマなんてない。ただ、轢かれた。中型のトラックに。

 高校一年になったとき、学校帰りに彼女はトラックに轢かれた。幸か不幸か、当たり所がよかったらしく、一命を取り留めることはできた。

 しかし、何故か彼女の意識が戻ることはなかった。それは三年近く経った今でも変わらない。医者の診断では、傷はすべて完治しているが、未だに目を覚ますことはなかった。




「ねえ、脩。ちょっと、聞いてほしい話があるんだ」


 高校生になって、間もない頃。学校帰りに家に二人で話したい、と言ったのは由奈だった。二人の家が近いこともあって、とりあえず俺の部屋へと二人で上がり込む。


「どうしたの、急に改まって?」

「うん……」


 そう言ったきり彼女は気まずそうに眼を泳がせる。普段はずいずいぐいぐいとして言いたいことははっきりという彼女にしては珍しい反応だ。

 どうしたんだろう、彼女でもできたんだろうか。だとしたらとりあえず彼氏さんに会って、由奈に見合う人間なのかどうか確認しなければ。もしも見合わない人間だったらぶっ殺す。

 何故か由奈に睨まれる。どうかした?


「脩はもっとポーカーフェイスを鍛えるべきだよ」

「どうしたの急に?」


 彼女は深呼吸するときのように息を大きく吐き出す。よくわからないが、それで腹が決まったらしい。


「今から言うことは嘘じゃないからね?」

「うん」

「ちょっと、異世界に行ってくる」

「病院行く?」


 嘘じゃなかったらちょっとやばいでしょ。妄想を本気にしちゃってるってことなんでしょ?

 彼女はそりゃそうだよね、と苦笑を零し、困ったように頬を掻く。だけど、なんかどうしようもなさそうで。


「やらないといけないことがあるっぽい」

「……え、本気?」

「うん」

「冗談じゃなくて?」

「嘘じゃないって」

「本当の本当の本当?」

「本当の本当の本当」


 俺はどうすればいいんだろう。彼女の顔を見ても、ちょっと困ったように、だけど一切引く様子を見当たらない。目を見る。焦点はあってる。よかった、薬はやってないようだ。

 それにしても、やましいことがあったら目をそらしそうなものだが、そんな気配も全くない。睨めっこで先に目を逸らしたのは俺のほうだった。俺、やましいことあるのかな。

 冗談はさておき、これはどうすればいいんだろうか。


「どうしてまた急に」

「わからない」

「わからない?」

「うん。何にもわからない。だけど、なぜだか行かなきゃいけなくて、そろそろ行くことになるんだろうなってことだけはわかる」


 どうしよう、何言ってるのかわからない。彼女も苦笑気味だ。


「ごめんね。だから、暫くいなくなるかも。……待っててくれると、うれしいな」


 翌日、彼女はトラックに轢かれた。




 あれから早三年。当然と言えば当然だが、あれから出席してない由奈は俺が三年になると同時に一足先に学校を除籍され、今は中卒のニートになってる。ほぼ植物人間のことをニートというのかは謎だが。


「おっと、挨拶忘れてた」


 机の上からプレゼントとケーキを取る。プレゼントといっても、高価なものではないし、ケーキもホールじゃなくて一切れだけのやつだ。彼女が起きていたら見えるだろう位置に二つを翳す。


「誕生日おめでとう。由奈がいなくなってから三年が過ぎたよ」


 近くに人がいず、誕生日を祝われている本人も意識がないので、耳が痛くなるような沈黙だけがその場に立ち込める。生存を確認している機械の音がやけに大きく聞こえた。

 ケーキとプレゼントを机の上に戻す。そこにはほかにも、約半年前に持ってきたクリスマスプレゼントや、ほかの贈り物が幾つかあった。それ以前のものは由奈の家族が回収している。部屋に飾っているというのは家族の言。

 もう一度彼女の手を握る。


「今日、浩に遊びに誘われたよ。まあ、断っといたけど。そういえば言ったっけ? あいつ今髪染めてピアスもつけてるよ。余計に軽薄な見た目になっちゃったんだ」


 思い出して苦笑を漏らす。本当、軟派な見た目になってしまったもんだ。

 浩とは中学のころからの知り合いであるため、由奈とも面識がある。というか、仲がいい。大体行動するときは俺と由奈と浩、あと浩の彼女の四人で一セットだった。


「まだ彼女とは別れてないよ。大学は別れてしまったけど、仲良くやってるみたい」


 最初に付き合い始めたときは由奈と一緒に驚いたものだ。あの頃からあいつは軽そうな見た目をしていたので、彼女ができたと言ってすごく美人な女の子を侍らしていたときは本当に唖然とした。

 決して悪いやつではないのだが、いかんせん、見た目のせいで勘違いされやすいのだ。ちなみにその彼女さんと由奈はすごく仲が良かった。よく四人で遊んだものだ。

 懐かしい思い出に浸りながら、ふとケーキ屋のことを思い出す。


「これ、言ってなかったね。ケーキ屋さんの店員さんに知り合いができたんだ。いつも由奈のケーキ買うときは、そこのケーキ屋さんにお願いしているんだよ」


 店員さんに会ったのは、彼女が轢かれた翌年の誕生日の時だ。お見舞いにケーキを買っていこうとして、病院の近くにあったケーキ屋に入ったが、当時はバイトもしてなく、かといってお小遣いも持ってなかったので途方に暮れていた。

 諦めるしかないかと思いつつ、今日と同じように来年用のケーキを物色していると、店員さんに声をかけられたのだ。

 すみません、と言って店を出ようとした俺を引き留めて、何も言わず一番安いケーキを渡してくれた。それからは、バイトをして自分でお金をためて、あのケーキ屋で少し高めのケーキを買っている。


「それにしても、店員さんはなんでケーキをくれたんだろうね?」


 そんなに酷い顔をしていたのかな? なんて思うが、まさかそこまでではないだろう。

 それからも取り留めのない話をする。話と言っても、一方的に由奈に話しかけるだけだが。高校のこと。受験のこと。卒業式のこと。大学のこと。


「大学と言えば、ごめんね、しばらく来なくて。受験勉強が終わった後も課題とか大学に馴染んだりとかが結構大変で」


 クリスマス以降は一度も来ることができなかった。大学に関してはまだ忙しいので、また来る頻度を増やせるのは少し後になりそうだ。

 不意に時計を見る。すでにここに来てから一時間ほどが経過していた。窓の外からくる明かりは少し赤みがかってきている。


「由奈、君は今どんな感じだい?」


 異世界に行くって言ってたけど。


「君はどんな生活を送っているの? やっぱ、小説みたいに勇者として魔王と戦っている?」


 自分の幼馴染が防具を着て戦っているって考えると、少し新鮮な気分だ。


「俺はあまり傷ついてほしくないから、個人的には戦いはあまりしないでほしいけどね。それとも、人助けでもしてるのかな?」


 そっちのほうが嬉しい。


「もしもラノベみたいだったら……人も殺してしまってるのかな」


 可能性はないわけじゃない。なんせ異世界だ。何があるのかわからない。やむを得ず、ということもあるのだ。悲しいけど。


「もしもそうだとしても、君には生きていてほしいな。まあ、そんなことないのが一番だけどね」


 どれだけ語り掛けても返事は帰ってこない。静かな空間は、どれだけ一人でしゃべろうと静かで、どうしようもなく彼女の意識が戻らないことを感じさせる。寂しい。


「ねえ、由奈。君が異世界でどんな経験をしているのか。何を感じているのか。全部教えてほしいな。だから――」


 声が震えてきた。


「だから、早く帰ってきてよ。お願いだから、無事に帰って、俺にいろいろ教えてくれ」


 それだけで、十分だから。

 由奈がいない世界は静かだ。由奈がいない世界は寂しくて仕方がない。由奈がいない世界は灰色に見える。

 帰ってきてほしい。高校に上がる前にみたいに、帰ってきて笑ってほしい。帰ってきて、お互いにいなかった時間を共有したい。彼女がいなかった体育祭のこと、学園祭のこと、浩のこと、彼女さんのこと、お世話になった店員さんのこと、全部話したいし、彼女の異世界のことも全部話してほしい。

 ねえ、君は今、何をやっているんだい? 

 突然だった。


「脩は、寂しがり屋だねぇ」


 頭上から声が降ってくる。懐かしい、もう三年間まともに聞いてない声。己の耳を疑う。ついに夢でも見始めたんだろうか。


「夢じゃないよ、ホンモノだよ」

「なんでみんなして俺の心を読むんだ……」

「脩はそこらへんすごくわかりやすいらねっ」


 俺って、そんなにわかりやすいのか? 本格的に鏡を見たほうがいいだろうか。今度鏡を探してみよう。


「……怖いの?」

「……どうして?」

「顔、見せてくれないの?」

「…………」


 違うんだ、由奈。俺は今顔を上げないんじゃなくて、上げられないんだよ。これは多分、異世界の秘密結社の策謀による罠だ。精密かつ大規模に作られた魔術で頭を固定されているんだ。


「ほう、私のせいにすると?」

「……何も言ってないよ?」

「だから、わかるんだって。……わかった、じゃあ君に魔法をかけよう」


 掛け布団が静かに動く音がする。頭の上に温もりが生まれた。由奈の手だ。手は静かに、俺の頭をなでてくる。涙が止まらなかった。


「なるほど? 脩はまだ童貞――」

「なんだと!?」


 涙止まったわ。

 驚きのあまり顔を上げる。目の前には満面のわるーい笑みを浮かべている由奈。嬉しさで泣きそうだが、しかし今やられたことが衝撃的過ぎて素直に喜べない。

 由奈は手をわきわきとさせる。


「ふふん、魔法は便利なのです」

「人の記憶も見れるのか?」

「当たりまえでしょ?」


 当たりまえなのか?

 しかしどうしよう。感動するシーンなのに、全然泣けない。というか、複雑な心境過ぎて感情が全然追いつかない。

 そんな俺を見兼ねたのか由奈は苦笑を漏らす。


「そんな微妙な表情をしないでよ。私も反応に困るじゃない」

「誰のせいだ誰の」

「脩は笑った顔と困った顔が一番似合うんだから」

「後者は余計」


 ああでも、こんなやり取りも久しぶりだ。自然と笑みが零れる。彼女も同じようだった。


「ねえ脩」

「うん?」

「ありがと」


 彼女の微笑みが好きだ。小さいころからずっと見てきた。一緒にいるといつも浮かべてくれるこの顔が、一等好きだ。


「三年間も、ずっと待っててくれて、ありがと」


 目尻に光っているものが見えた気がした。多分、気のせいだ。


「泣いてるの?」

「今のモノローグはどこ行った」


 あれデジャブ。由奈って店員さんと知り合いなのかな?


「脩は本当に一度鏡を見たほうがいいよ」


 由奈が呆れたように呟く。でも、人と話しながら鏡見る人ってなかなか非常識だと思う。

 まあ、今はそんなことはどうでもいい。


「ねえ由奈」

「なに?」

「異世界の話を聞かせてよ。由奈がどんな世界で、何をしてきたのか。つらかったこと、楽しかったこと、全部話してほしい。僕もこっちの話をするから」

「お、やっぱ気になる? ふふん、じゃあこの由奈様の壮大な冒険譚全12巻を語ってやりましょう」

「なんか数字がリアルだな」

「あと、こっちの話も教えてね。あ、店員さんのことも詳しく教えて」

「……うん? なんで知ってるの?」

「起きてたから。意識はあったけど体が馴染まなくて動けなかったんだよねぇ」

「えぇ……」


 久しぶりに由奈と話すのは懐かしくて心地よくて、泣きそうなくらいに楽しかった。

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