山の神様の御使い

鈴ノ木 鈴ノ子

やまのかみさまのおつかい


 冬の寒い山々に降り積もった白い雪達が春の陽気に誘われて溶けてゆくと、山の神様はお社での冬籠りから目覚めました。

 雪解けの冷たい水でその身を清めると、息を整えてからその美しい唇からゆっくりと息吹を放ちました。風に乗った息吹が山に生きる全ての物に届いては宿る神力を与えてゆくと、厚く着込んだ新芽たち、冬眠していた動物たち、そして春を待つ卵たち、そのほかの者たちが、寝ぼけ眼を擦りながらゆっくりと目を覚ましてゆきます。

 山神様は社をお出になられると、息吹きを受けた者たちを挨拶がてらにゆっくりと見て回ります。

 その神々しい御姿とその御身から流れ落ちる御神力をさらに分け与えてゆきますと、春はしっかりと深まっていくのでした。

 

 やがて、桜が咲き始め、あちらこちらを花びらの色に染める頃になると、山の神様は山を流れる小川のほとりに降りたちました。

 そして春の柔らかな日差しを受けて輝く水面に映る自らの御髪や化粧を水鏡で整えると、何かに気がついたように小川のほとりにある岩に腰を下ろしました。


「そろそろ、お寝坊さん達を起こさないといけないわ」


 そう言って絹のように美しい手をそっと水の中へ差し入れていきます。水の神様にご挨拶と握手をしてから、二、三度ほど小川の水を掻き回して、川底を攫うと手に触れた小石を取りました。

 それは綺麗な白色をして水を纏い光る小石です。


「あなたは海まで流れ落ちて、卵たちに山の神が起きるように言っていることを、方々へ伝えて回りなさい。やがて海まで着いたなら、海の神さまに山が目覚めたことをお伝えしなさい」


 言霊を小石に与えてから、優しく撫でたのちに、流れる水の神様にそっとそれを託しました。水の神様の流れに乗って、小石はコロリコロリと川を下りながら、川底で眠る卵たちに、山の神様の言霊を伝えて回ってゆきました。


 その中に蜻蛉の卵たちがおりました。

 

 薄い卵の皮を頑張って剥ぎながら、彼らはゆっくりと這い出ると、川の恵みの一部を頂きながら川の汚れを取り払い力をつけて立派なヤゴへと育ってゆきました。しばらくして時が来ると、川の神様に先祖に習い山へと戻ることをお伝えし、川の端々に生えている草木へと登りました。

 

 そこで体を守っていた硬い皮を脱ぎ捨ててゆきます。

 やがて川の神様からお別れの間際に頂いた煌びやかに陽の光を反射する透き通る羽を纏って、しっかりと羽を羽ばたかせると、何千年も前からの山の神様とのお約束に従って、そのお社へと集うのでした。


 集まった蜻蛉達の挨拶を社で受けた山の神様は、常に習い彼らに山の防人のお役目を与えられました。

 彼らは羽音を響かせて山の至る所を見て回ります。

 木々の合間、草木の合間、水辺の合間などなどを、その目で見て回りながら、木々に止まりてはその力を、草に止まりてはその力を、水辺に止まりてはその力を、小さなその体に宿しては、山の神様の元へと届けるのでした。

 蜻蛉達の見聞きしたこと、そして運ばれてくる草木の力を吟味しながら、山の神様は御神力を育ちの悪いところへお与えになるのです。

 蜻蛉達は非常に沢山おりますから、草木や順調に育ち始めると届けられた力のそれは山の神様が来年にお与えになる為に力箱に取り置きなされておられました。

 季節は蝉時雨降る夏となり、入道雲が立派な姿を青空へと表して、時より海の神様が差し向けた夕立を降らせます。山の神様は山霧を上げてお礼を伝えました。

 里の人々が夏の終わりになりますと、お社へと集まってきては賑やかな祭りを催します、蜻蛉達も祭囃子に浮かされて、数匹のお調子者が明かりのもとを飛び回っておりました。

 

 やがて実りの秋になりますと、山々の草木達はその実りに力を注ぎ、無事に結実したことに一息つくと、葉の色を変えたり、葉を落としたりしながら、冬の準備へと入りました。

 

 山の神様も山の安泰と実りに満足をして、蜻蛉達を呼び集めました。ご褒美に蓄えた力のほんの少しを彼らにお与えになられました。小さな蜻蛉達にとりましては、運んでいた以上のお力が宿まして、その身を赤く染め上げたりしております。


「私ももうすぐ眠りにつきます。また、来年、あなたたちの子に会う事を楽しみにしているわ」


 そう言って労うと蜻蛉達の勤めを解きました。

 

 勤めの内に出会い秘密の恋仲になっていた蜻蛉達は、山の神様が里にある稲穂にも里に人々の為に力をお分けになられて、黄金色の稲穂はそれに感謝を込めて山へと実った頭を垂れている田圃に次々と降りてゆきました。

 そして田圃に、近くの小川に、夫婦となった蜻蛉達が愛を育み、夫蜻蛉が見守る中で妻蜻蛉は卵を産み落としてゆきました。

 卵を産み終えた夫婦達は、互いの身を寄り添い合わせてひとときを過ごすと、やがてひっそりと天寿を全うて、折り重なるように地面へと落ちました。


しばらくすると、白く柔らかな雪達が、天から舞い降りて、その姿を白く染めてゆきました。


  

 


 

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山の神様の御使い 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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