旅立つ者から、はなむけを

 星祭の夜、銀砂の如く撒き散らされた星々を見渡せる丘の上で向かい合う影が二つある。影と影の間は手を伸ばせば届くほどの距離。しかし、青年というにはまだ幼く、少年というにはもはや無邪気ではない彼にとってはその距離が酷く遠く感じられた。

「やっぱり行くのか?」

 問うた声が非難の響きを帯びていた事は否定できない。

「そうね。嫁遅れの農家の四女がこのまま家にいても食い扶持増やすだけだし。いい機会だと思うけど」

 答えが何処か冗談めいていた事も事実だ。

 祭の熱気を運んで来た風が彼女の黒髪を揺らす。風に細めた瞳の色も左は黒、けれど右目は紺碧。

 同じ風が彼の髪も揺らす。色は黒曜石の黒。瞳の色も同じ。いやこの村に住む誰もが同じ髪と瞳の色を持っている。彼女の実の両親でさえも。

「だからって、好きでもない奴の所に……」

「わたしを必要とはしてくれるわよ。少なくともここにいるよりは、ね」

 返す言葉は、見つからない。彼に見つけられるはずもない。

 彼女は、瞳の輝きの為にずっと忌み嫌われてきた。右の目元に残る傷はその瞳を抉り出そうと刃物を当てた痕だ。

「本当にいいのかよ、それで」

「どうして? 貴方が気にするような事じゃないでしょう。わたしが決めたんだもの」

「違うっ」

 皇国の都で神託が降りたのが七日前の事になる。それはそのまま御触れとなり国中へと知らされた。折り返すようにこの村から伝令の馬が走ったのは三日前、本来ならば都に着いている筈もない。が、途中で風乗りや早駆けを使ったらしく驚く事に昨日には都からの使者が彼女の家に訪れていた。

 簡潔に言えば。

 神託の内容は、金銀妖瞳の乙女を皇子の伴侶として迎えよ。

 御触れは、金銀妖瞳の娘を皇子の伴侶とする。

 この時点で彼女に選択の自由は失われている。

 金銀妖瞳は不吉の象徴とされ、それを持つ子供が産まれた時点で殆どが殺される。仮に免れたとしても無事に成長する事は酷く稀だ。金銀妖瞳の子供の生命力は弱く、彼らを取り巻く環境は優しくない。

 彼女はその稀な金銀妖瞳の持ち主だ。おそらくこの国に彼女以外の金銀妖瞳の娘はいない。だからこそ、皇族達は風乗りや早駆けと言った流れ者の手まで借りたのだろう。

「そんな筈、ないだろ」

 御触れが届いて以来あからさまに態度を豹変させた彼女の両親の顔がちらつく。都の使者が読み上げた文書は幾つかの装飾に覆われてはいたけれど、結局の所彼女に拒否権はない事を示していた。

「それでも、よ。わたしが選択したの」

 拒否権がないとしても、素直に従うという選択をしたのだと彼女は笑う。諦観の色が見えた、ような気がした。

 何も出来ないのだろうか、と自問。

 確かに、彼の父親はこの村の領主と言う地位にある。けれど、それは彼本人の物ではない。彼自身は何の力もない十五歳の少年でしか、ない。

 彼女が隻眼を望んだ時も、彼女を止める事が出来たのは彼ではない。彼はただ呆然と見ていただけだ。止めたのは、この村にただ一人きりの医師だった。

 けれど、忌み子として始末されかけた彼女を助け半ば親代わりとなっていたその医師も今はいない。

 最後の最期まで彼女の事を心配しながら、彼に彼女の事を頼むと言い残して他界した。高齢だった。それは天寿を全うしたといってもよかったはずだ。それでも、彼女は信じていない。自分が側にいたから不当な扱いを受け、その為に亡くなったのだと固く思い込んでしまっている。そんな事はある筈がないのに。村の人々はむしろ敬意を持って医師に接していた位なのだから。

 だからこそ、なお更今の自分に出来る事はないのだろうかと、彼は思う。

「逃げよう」

「え?」

「島から出れば、海を渡ってしまえば、いくらなんでも追いかけてこない。都の連中だって諦めるさ。だから、一緒に逃げよう」

 それは、果たして正しい選択なのか、その自信はない。後先考えない選択なのかもしれない。それでも彼にはその選択しかあり得ない。彼女と共にありたいと願うから。

「だめよ」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 どうして、と問う前に、彼女はまるでその質問が来る事が分かっているかのように続ける。

「だって、貴方は領主様の息子だもの。建前でも皇子の結婚相手と駆け落ちしたなんて事になったら領地剥奪は確実よ。そうしたら、別の新しい領主が来るわ。その領主が貴方のお父様よりよく治めてくれる保証は何処にもないでしょう。わたしは、わたしが知る人皆が幸いであって欲しいから選んだんだもの。逃げられないわ」

「そんな事関係あるかよ。誰かの為に犠牲になる事なんてないじゃないか。それに、旅に出るんじゃなかったのか。先生が話してくれた色々な場所を自分の目で見るんだって言ってたじゃないか。それはどうするんだよ」

 本当に言いたい言葉は口に出せなかった。言ってしまえば、彼女をただ責める事になると分かっていたから。『俺は幸いじゃない』この一言を口にしてしまうのは卑怯だと思った。だから、彼女の夢を持ち出した。

 この村を終の場所とする前、医師は大陸の方々を放浪していたのだと言う。その時に目にした光景を医師はよく語って聞かせてくれた。彼もその話を物語として好きだったけれど、彼女はそれ以上に事ある毎に、医師が見たと言う光景-王女が眠る全てが硝子で出来た森、奏音都市の尖塔の輝き、船乗りの間に伝わる導きの星、人の手から離れた青い聖域、等-を聞きたがった。

 それは憧れだったのかもしれない。

 忌み嫌われながら、何処にも行けない彼女がただ医師の話を聞いている時だけはなにものからも自由であっただろうから。いつしか話に聞く光景を直に目にしたいと願うようになっていたとしても何の不思議も感じない。医師が亡くなってから彼女は、夜砂漠に咲く炎の華や水晶の街を見る為にいつか旅に出るのだと口にするようになった。

 その想いが彼女を今日まで支えていたのだと思う。だから、盾に取った。彼女を思い止まらせる為に、彼女と共にある為に。あるいはこれも卑怯な方法だと分かっていたけれど。

 だから、返って来た彼女の答えに彼は唖然とさせられた。

「わたし、貴方のことが、好きだった。知ってた?」

 答えになっていない、と彼は心の中で叫ぶ。いや、確かにいつか聞きたいと願っていた言葉ではある、あるけれど今聞きたい言葉ではない。その言葉に比べれば他のどんな言葉も色褪せる。

「ちゃんと言わないとすごく後悔しそうだなって思ったの」

「だったら!」

「だから、約束して。わたしの代わりに貴方が世界を見てきてくれるって。お願い……」

 もう何も言葉に出来なかった。ただ、肯くだけ。それが彼女の唯一の願いだと分かってしまったから。

「じゃあ、さよなら。もう逢えないかもしれないけど。でも、またいつか」

 これが彼女と交わした最後の会話になった。

 翌日、彼女は都からの使者に伴われて村を後にしたから。



 

 幾許かの月日が流れた。

 あの時と同じ星祭りの晩。夜空は澄み渡り、月の光に負けぬほど星々が輝きを放っている。あの時と同じ丘の上で、影が二つ向き合っている。一つは彼。いくらか背が高くなり大人びた彼は、旅装束に身を包んでいた。向かい合っているのは彼によく似た顔立ちの僅かに幼さの残る少年。柳眉を逆立て不満を露にしている。

「どうしても行く訳ですか、兄さん」

「何度もしつこいな。言ったろ俺は旅に出る。だから父さんの後はお前が継げって。そもそも末子相続の方が繁栄する例が多いんだ。何の不都合がある?」

「末子相続?……。何をふざけた事を言っているんですか。長兄が跡を継ぐのが当然でしょう」

「そうか?末子相続の方が当主でいる期間が長くなるし、実際北の方じゃ末子相続が当たり前だって話なんだがなぁ」

「喩えそうだとしても、兄さんと私とでは一つしか歳が違わないでしょう。全くそんな下らない理屈を述べる為に二年間も本の虫になっていたのですか?」

「いいや」

 弟の皮肉をただ一言で否定する。その顔にはいっそ潔いと言ってもいい笑みが浮かんでいる。

 この二年間、彼は大陸の歴史、地理、風土、習慣などが記された書物を読み漁った。必要とあれば島で唯一大陸と交易のある港町を訪ね、風乗り、早駆けといった流れ者達や旅行者や船乗り達から直接話を聞いた。

 それ以外にも、火の起こし方、荒野での水の得方、口に出来る植物の見分け方など一人で旅する為に必要な方法も学んだ。

 全ては、ただ一つの望みを全うするそれだけの為に、だ。

「俺がやりたい事の為に必要だったからだ。それに本当なら一年で十分だったんだぜ。もう一年待ったのはお前が成人してからと思ったからさ」

 弟が非難めいた眼差しをするのを無視する。事実は事実だ。隠しておく謂れは何処にもない。

 それが伝わったのかどうか分からないが吐息と共に呟かれたのは彼の望む答えだった。

「……分かりました。もう跡を継いで下さいとは言いません」

「そうか、じゃあ」

「ですが!」

 手を挙げかけた彼に弟は強い調子で言い放つ。

「兄さんには村にいて頂きたい。私の補佐をして下さい。兄さんが学んだ事を村の為に役立てて下さい」

「駄目だ。言っただろ。俺はもう一年待っているんだ、これ以上待つ事は出来ないよ」

「それは我侭です」

「ああ、その通りだ。俺の我侭だ。決して、絶対に譲れない、我儘だ」

 それは揺るがない、揺るぐ事の許されない約束の上に立てられた決意。

「俺なんかよりお前の方がずっと村の事を考えている。お前の方が絶対に領主に向いているよ」

 優しい声で言い弟の頭を撫でる。弟はその手を撥ね退けようとする。弱く、そのままでは流されてしまうから、そうならない様に必死で。

 それでも、彼は撫でる事を止めない。やがて押し殺した啜り泣きがし始めた。

「泣くなよ。頼むから。見送るなら笑ってくれ」

 言いながら我侭だなと思う。自分はそれをする事が出来なかったと言うのに、弟にはそれを強制している。自嘲の笑みを浮かべて彼は弟の頭から自分の頭へと手を移す。クシャリと前髪を握る。

「そ、んなに、大事な、事なの、ですか」

 途切れ途切れの問いかけ。彼の答えは酷く簡潔だ。説明も弁解も言い訳も何もない、ただその意思を伝えるだけ。

「大切だな」

「そうですか……。でしたら、一つ約束して下さい。必ず戻ってくると」

 弟は一度深呼吸をし、真っ正面から彼を見据えた。彼は髪を握っていた手を下へと下ろす。束の間弟の姿が隠れる。完全に手が下りた時、弟の視線を受け止めながら彼は答えた。

「いつかな。俺が約束を果たしたら、その時には」

 帰ってくるさ、と口にして不意に、ひょっとしたら先生もそうだったのだろうか、という考えが浮かぶ。根拠は何もない。ただそう思った。きっとそうだったに違いないと確信した。なら自分にもきっと出来るだろう。約束を、二つの異なる約束を果たす事が、きっと。

「必ず帰ってくる」

 再び口にした。弟が肯く。それでもう十分だった。

 彼は村に背を向ける。神楽舞の音が遠く響いていた。旅立ちに相応しく長く長くただ長く響いていた。

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トラベラーズノート~ファンタジーワークス断章~ しょう @syou2022

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