第3話 感じるもの
「おおう」
久しぶりに外に出る。
妹にバイト帰りに行くというマッサージ店を教えてもらった。妹のよく行く店舗はスタッフの数も多く、男性利用者も多いらしい。繁華街の通りにあるそこへ向かうため、最寄駅に降り立ったわけだが……。
「みんな、疲れてるんだなぁ」
現代人、ほぼ全員お疲れの様子。お疲れ度50から60の人が多い。
それはきっと、仕事や家事だけの話ではなくて。友人とケンカした、とか。恋人と別れた、とか。心の疲れも加味された数値だと思う。
その人にとって何が心身を癒し、何が心身を疲弊させるのかは……きっと。相手自身に興味を持たないと、分からないことなんだと思う。
「お、ここか」
マッサージの中で、おれが真っ先に思いついたのは足つぼ。
足裏リフレクソロジーとも言うんだっけか。
仕事をしていた時の休日はずっと寝ていて、来る機会もなかった。
ヘッドマッサージや体全体を使ったマッサージ。いろいろあると思うけど、おれの中の印象は足つぼ。パソコンに向かいながら、部長がくれたゴルフボールでよく足裏を刺激していた。
一見すると、ホテルのような清潔で綺麗な外観。ちょっとだけ、勇気が要るな……。
ええいっ、ここまで来たなら行くしかない!
胸を張って入店すれば、受付の女性がこちらに気付く。
「いらっしゃいませ~」
「あ、10時からよ、予約していた大塚です」
「オオツカ様、ありがとうございます! ……はい、たしかにご予約いただいております。お待ち致しておりました!」
「あっ、はい。どうも……」
受付のお姉さんの笑顔がまぶしい。おれは妹の助言で事前に予約をしていた。たしかにその方が、お店側もバタつかずに済みそうだ。
しかも、曜日や時間帯によっては割引のプランもあるらしい。やはり利用者は土日や祝日に集中するのだろうか。
おれは平日の午前中限定プラン、40分の足つぼコースをネットで予約していた。
……スタッフの指名をして。
「すぐに担当の者をお呼びいたしますので、あちらのイスにかけてお待ちください」
「あ、はい」
き、緊張してきた……。
落ち着かず、キョロキョロと店内を見渡せば木製の雑貨が多い。
全体的な色味は茶色で統一され、受付横の棚にはアロママッサージで使う香りの見本だろうか? 小瓶がいくつか並べられている。たしかに店内はいい香りが漂う。
観葉植物の緑も青々しく、どこかアジアンな雰囲気。
「お待たせいたしました」
「!」
「本日担当させていただきます、ソメヤと申します」
受付横の扉からこちらに向かってきたのは、眼鏡を掛けた男性。
おれよりは年上、元上司よりは若い。おそらく、30代半ばの落ち着いた雰囲気。
そう。おれは初めての場所、初めての経験というだけで既に緊張していたので、リラックスできるよう男性を指名した。ソメヤさんはちょっとお疲れ気味なのか、数値は30だった。だが、それが一切伝わらない爽やかさ。さすが接客のプロだ。
「よ、よろしくお願いします……」
「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。さっそくですが、オオツカ様。当店のご利用は初めてでいらっしゃいますか?」
「あっ、はい……」
いかん。久々に家族以外と話すからか、うまく話せない。小声になるぞ……っ。
「この度はご利用ありがとうございます! では、いくつか当店のシステムと、簡単なヒアリングをさせていただきますね」
「おっお願いいたします」
なぜかこっちまで敬語が移る。
ソメヤさんは店の基本コースや延長について、オプション料金でアロマの香りの追加ができること。メンバーズカードの説明、怪我や皮膚のアレルギーがないか等、ネットにも書かれてあった注意事項の確認後、ヒアリングを開始した。
「ではまず、こちらのご記入をお願いいたします」
「ん?」
バインダーに挟まったアンケート。内容を見てみると、感心した。
そこには会話の有無、圧のレベル。好みの香りなど、施術を受ける人の好みがどのようなものであるか把握するための情報が、丸を付けるだけで記入できるようになっていた。
文字を書くとなると施術時間も押す。手間を最小限にしつつ、一瞬で分かるアンケート。素晴らしい。
最後に要望と、差支えがなければと前置きされ、立ち仕事、座り仕事などの簡単な疲れの原因を書く項目があるぐらいだ。
なんか、……もし自分がマッサージ師なら、この人はどうして疲れたんだろうとか。ヘッドマッサージだと目が疲れてるのかなとか、足のむくみが気になるならどんな仕事をしているんだろうとか。他人の人生を、垣間見る瞬間なんだろうな。
おれはサクサクと丸をつけていった。髪を切る時もあまり話さないタイプのおれは、もちろん会話は無しの0という数字に丸をつけた。
「──書きましたっ」
「はい、ありがとうございます。拝見いたしますね」
ソメヤさんは目をとおし、「では、ご要望承りました!」と笑顔で応えてくれた。
よかった、会話0でもいいんだ。
「では、足湯のご用意をいたしますので、もうしばらくお待ちくださいませ」
「お、恐れ入ります」
いかん。また敬語につられた。
受付前、待合い室も兼ねたスペースの奥には恐らく施術室だろう。
いくつか仕切られた小部屋があり、入り口は茶色のカーテンが閉められていた。
──いよいよだ。
緊張してきたが、ここまで乗り越えればあとは施術を受けるだけ。
徐々に緊張が緩和され、その未知の体験に胸が躍る。
足つぼのイメージは痛そう、だったが。レベルが書いてあるということは、調整可能な範囲だろう。おれは『ふつう』を意味する5に丸を付けたが。
なんだか、髪を切る前の気持ちに似ている。スッキリするし、どこか新しい。
そんな気持ちを待ちわびている。
ソメヤさんが笑顔でこちらに戻ってくると、「お待たせいたしました!」と爽やかにスペースへと案内してくれた。
結論から言えば、至福。
なにかフタをされ滞っていた血流が、全身を元気に駆け巡っている。そんな感覚。
思っていたほど痛くはなかったが、足の指。そのてっぺんを指でほぐしている時はちょっとびっくりした。ちょっとだけ。
はたしておれのお疲れ度がどのくらいかは知らないが、少なくとも30は減少したと思う。
受付前の待合い室。最初に座った席に腰掛けて、優雅に支払を終えたおれはスタンプカードももらってご満悦。担当のソメヤさんが受付で見送ってくれる。
ソメヤさん、ありがと──
「!?」
「?」
振り向いた瞬間、思わず声がでそうになった。
ソメヤさんの白い服。お店の制服なのだろう、そこにはまるで注釈のように【施術服】と文字が浮かんでいた。
それだけじゃない。調度品には一々説明が入り、アロマの棚を見れば【ラベンダーの香り:お客様の好みに合わせると、経験値取得効果アップ】と書いてある。経験値ってなんだよ!
鳥のさえずりと水の音が流れていた店内BGMには、スピーカーに向けて【森と川の環境音:リラックス効果アップ】と書かれている。……でしょうね!
やはりおれは、お疲れ度が視えていた。
そして、実際におれを癒してくれたからか……マッサージに関する情報が可視化されてしまった。いや、なんで?
「──オオツカ様?」
「あっ、なんでもないです。ありがとうございます」
「こちらこそ! ありがとうございます、またお待ち致しております」
最後までお疲れ具合を感じさせないソメヤさん。本当に気持ちよかったです、ありがとう。
帰宅。相変わらず意味不明な体験をしたものの、初めてお疲れ度が視えた時の驚きほどはない。
なんだってんだ、いったい。
おれが何した? いや、過労で倒れたんだけど。
自分の心身に気を付けるかぁと思った矢先、他人のお疲れ度が視えるようになったし。
「癒し……ねぇ」
今日体験してみて、ひとつ考えた。
五感。それを、やさしく刺激してくれるもの。
マッサージを受ける時、眠りにつくこともあるからか目隠しをしてくれた。
視界は遮られ、一日で一番人間の疲れがとれるであろう『眠り』と同じ状態になる。
現代人は多くのものを目にする。特にパソコンやスマホの画面は割合を多く占める。目を休める、というのはすなわち瞼を閉じることと同義だろう。
香り。
鼻をくすぐるアロマの香りは、とても心地よい。おれはオプション追加で、オリジナルのブレンドを選んだ。香りに詳しくはないが、恐らく柑橘系の香りが入っていたと思う。
味覚……はなかったけど、お会計の時にハーブティーを出してくれた。
温かいものはホッとする。涼しい空調の効いた店内では特に。
音。
それこそ、注釈であったように自然の音というのはそれだけで癒される。
日替わりなのだろうか。もしかすれば、ゆったりとした音楽が流れる日があるのかもしれない。それもまた、日常を離れるエッセンスとなるだろう。
そしてなにより、温かさ。
人の手って、こんなに温かいんだなって久々に感じた。
ソメヤさんもお疲れだろうに。仕事とはいえ、おれのために40分も気持ちの良いリズムでほぐしてくれた。感謝。
人の疲れを癒す仕事、か。
おれの謎の能力は、チートな回復魔法じゃないけれど。
経験値ってことばが出るくらいだ。ちょっぴりゲーム要素がある能力なんだろう。
マッサージRPGってのか?
人生はゲームなんて思えるほど楽しいことばかりじゃないが……。
少なくとも、おれにしかできないこと。
そんなものがあるなら、この能力を生かす他ない。
にしても、母さん。99か……。
ラスボス級だな。
いつも、ありがとう。
過労で倒れたら、『お疲れ度』が視えるようになった件 蒼乃ロゼ @Aono-rose
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