色を亡くした世界で
黒と白。そして灰色。
今、この目に見える世界はそんな三色のみになってしまった。
とはいえ、色を知らないわけじゃない。
夕日の赤に空の青。そして、目の前に広がっている森の緑。
かつては鮮やかに見えていた景色。
しかし、今やそれらは黒か白。もしくは、その間のグラデーションでしかなくなっていた。
そんな単調な世界を少女——アリアは歩いていた。
アリアが歩いているのは森の中。
空は空しくなるほど真っ白で、黒い地面はなににも染まらないほどに黒い。
そして、視界に流れていく木々は濃い灰と薄い灰の組み合わせ。
悲しい森の中をアリアは真っ直ぐに先を見据えながら歩いていく。
しばらくの間歩き続けていると、少し開けた場所に出た。
木々に囲われた円状の広場。
その真ん中にはポツンと切り株が取り残されていた。
一直線に切り株へ。
足首程の雑草を踏みしめていけばすぐに切り株へはたどり着く。
切り株はちょうど人が腰掛けられそうな程の高さだ。
アリアは切り口の汚れを軽く払うと切り株に腰掛け、座る際に落としていた視線を持ち上げた。
すると、視線の先には自身を中心に広がっている草木が一望できる。
静寂に包まれている森の中。
それは、さながら演奏間際のコンサート会場のよう。
深く息を吸えば、この悲しい世界を塗り替えてしまいそうな清く爽快な空気が肺に押し寄せてきた。
その涼し気な空気に少しばかり笑みがこぼれながらも、息を吐き出してはまた吸ってを繰り返す。
息を吸っては吐きだして。
少しずつ胸に溜まった陰鬱な気持ちを己の内から排除していく。
何度か繰り返すと、沈んだ気持ちが落ち着いてきた。
アリアは切り株の上に立ち上がると辺りを見回す。
見えるのは草木ばかりで人は見当たらない。
それもそうだろう。
ここはそれなりに深い森の中、そのため基本的に人が立ち寄ることもない。
だからこそ、ここはアリアだけの秘密の場所なのだ。
アリアは嬉しそうに笑みをこぼす。
くるりと一周して一礼。
しかし、その礼に応える人はここにはいない。
それでもアリアは顔を上げると少しだけ笑みを深め、次第にその形の良い唇を開いていった。
始まったただ一人のコンサート。
響くのは木々を抜ける風の音と揺れる葉のこすれる音だけ。
だが、次第に変化が訪れる。
灰色の舞台と真っ白な天幕に一筋の赤い光が生まれたのだ。
ゆらゆらと舞っては数を増やしていく赤い光。
それだけでなく、後を追うように青や黄色、緑と次第に色を増やしていった。
ゆらゆらと、時にはふわふわと様々な色の光がアリアの周りを飛び交う。
やがて、それらは色ごとに集まっていって像を結んでいく。
赤い光はトカゲになって地面を這い。
青い光は美しい少女になり楽しげに笑い。
黄色い光は何人もの小人になって走り回り。
緑の光は妖精になり白い空を飛び交う。
それだけじゃない。
色は数を増やし、様々な像を結んでいく。
赤い屈強な男が静寂の歌声に耳を傾け。
青い人魚が音のない歌声に合わせて歌い。
静けさに黄色の猫が欠伸をし。
緑の女性が木々に寄り添って風の音を楽しむ。
一人では無くなったコンサート会場。
それらは空虚な白と黒と灰色の世界を色鮮やかに彩っていく。
赤が舞い、青が揺らめき、黄が踊り、緑が漂う。
だれかが見れば、心打たれ涙を流してしまいそうな光景。
しかし、周りには誰もしない。
たった一人、孤独な会場でアリアは歌う。
ただ、この楽し気な歌声も長くは続かない。
木々を駆け抜ける風が止んでしまうように、無音の歌声もやがて勢いを失い、光が淡く色を失っていく。
赤が薄く、青が薄く、黄が薄く、翠が薄く。
像がその形を保てなくなって
そして、
また一人に戻されたアリアは天を仰ぐ。
目に映るのは何にも染まっていない虚ろな白。
どうしてこの世界はこんなに残酷なのだろう?
頭の中から抜けることのない疑問。
それは、まだ十を越えたほどのアリアには似つかわしくない疑問。
守らないといけない人はいる。
しかし、助けてくれる人はいない。
だからこそ、アリアの疑問に答えてくれる人はいなかった。
鼓膜を揺らす風の音に耳を傾ける。
いつもは心落ち着かせてくれる音が今は孤独を自覚させる音でしかない。
視界が揺らぎ、頬が濡れる。
そして、ついには足から力が抜けて切り株の上で蹲ってしまった。
涙が止まらない。
白い日差しが降り注ぐ灰色の中心で、アリアは一人音のない嗚咽を漏らし続けた。
* * *
——世界には救いなんてない。
そうやって全てを諦めたのはいつからだったのだろう?
あの秘密の場所で涙を流した時?
それとも世界の色を亡くした時?
分からない。
でも、全てを諦めてしまったことだけは事実で。
時が経ち、大人といってもいい年齢になった今も私はここにいる。
守るべき人たちは私の元を離れた。
私を守るべき人たちはすでにいない。
私を守ってくれる人もすでにいない。
今だ悲しみの残る土地でただ一人。
涙は失った。
人へ向けるための笑みも失った。
ただ残されたのは秘密の場所だけだ。
だから私は今日もここで歌う……
* * *
——その日は何かが変だった。
音のない歌声と共に響く風の音が少しだけ騒がしい。
たった一人の歌唱場でアリアは歌いながらも周囲の様子に気を配る。
赤い屈強な男の肩に乗る黄色い猫。
青い少女の隣に座る緑色の女性。
黄色い小人に追いかけまわされている緑の妖精。
青い人魚に撫でられている赤いトカゲ。
様々な色が重なり合い、賑やかな雰囲気を作っていた。
そこには異変は見られない。
どうやら気のせいだったようだ。
アリアは歌いながらも笑みをこぼす。
そして、歌うのに集中すればいつの間にか何も気にならなくなっていた。
しばらく穏やかな時間が続き、森の中の独唱は終わりへ向かっていく。
終わりに近づくにつれて淡くなっていく彼ら。
それを見て悲し気な表情になりながらもアリアは歌い続ける。
そして最後。アリアが口を閉ざした瞬間にそれは起こった。
パキ……
木の枝を踏んだような音。
アリアはすぐさま音のした方へ目を向けた。
そこには——
「あっ、申し訳ない。余りに綺麗だったから……」
歳は同じくらいだろうか。
特に特徴のない茶色の服にこれまた特徴のない茶色の髪。
そんな少年が髪に灰色の葉を張り付けてこちらを見ていた。
——こうして色を亡くした少女は色を持つ少年と出会った。
この出会いは少女を救う物なのか?
それとも彼は少女に絶望を与える使者なのか?
それは分からない。
しかし、これだけは言える。
この木々に囲まれた歌唱場で出会った空虚な少女と、罪から逃げた少年。
この二人の出会いからこの物語は始まった。
今の私の短編集〜勉強のために、思いついた設定で短編を書いてみた〜 かみさん @koh-6486
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