飲兵衛聖女は今日もまた毒を飲む
きっかけは些細なことだった。
たまたま目の前に置かれていたグラス。
そこに注がれた水をただただ口に含んだだけ。
なのに、そこからがおかしかった。
途端に視界が揺れ、鼓動が早くなり、息が乱れる。
喉の奥が熱い……
体の異変はすぐに表れて、一人では立っていられなくなった。
薄暗くなっていく視界。
このまま死んじゃうのかな……?
頭ではそんなことを考えてしまっているのに、胸の奥には恐怖ではなく幸せがあって。
「はぁ……」
熱い息が漏れる。
何でだかは分からない。
その幸せの理由を知る前に目の前が真っ暗になってしまったから——
「プッハァァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
ダンッ!
オッサン臭い息と共に空のグラスを叩きつける。
質素な部屋で熱い息を吐き出しているのは一人の少女。
端正な顔立ちにサラサラの金の長髪。そしてなにより、彼女の着ている修道服が赤く染まった顔と相まって何ともいない雰囲気を醸し出していた。
「いやー、お仕事が終わった後の一杯は最高だねぇ……」
しみじみと。
疲れた体を多幸感で上書きしていく。
「ホント肩凝るわー、結局私ってば象徴だから有事の時以外は何もしなくていいけど……何もないときはお祈りだからなー」
再びグラスに注いでもう一杯。
「お祈りって……何もしないって結構きついんだよ? 神様の声なんて偶にしか聞こえないし、肩凝るし、時間は長いし、疲れてもやめられないし、おしっこしたくなっても我慢しないといけないし——」
グチグチと。
胸の奥に溜まった愚痴を、多幸感で押し出すように吐き出していく。
一杯、また一杯とグラスを空にするごとに増える幸福感。
それでも、胸の奥に溜まった不満は吐き出しきれなくて。
「なんか毎回注ぐのも面倒くさいなー……」
ピタリと手を止めて、目の前のビンを凝視。
まだビンの中身は半分以上残っている。
あと何回グラスに注げばいいのか?
ビンは少女にしては大きく、何度も注ぐのを繰り返していては疲れてしまう。
どうしたら楽に飲めるのかと少女は考えて、そして気付く。
「そのまま飲めばいいんじゃん!」
閃いた妙案に顔を輝かせた少女は、目の前のグラスを端にどけてビンに手を伸ばす。
そして、ガシッと両手でビンを掴み、そのまま口に持っていこうとしたところで——
「何してるんですかっ!?」
「あっ……」
背後から聞こえた声と共に一瞬で手の中からビンが消え去った。
空になってしまった両手に肩を落としつつ少女が後ろを振り向けば、そこには少女と同じ修道服を着た少女が立っていて。
「何回言えば分かってくれるんですか! これは聖女様の歳からしたら毒なんです!」
銀の長髪を鬼のように揺らめかせて聖女を睨みつける少女。
彼女はテーブルの上に置かれた栓をひったくると、それをビンにはめる。
「聖女様の歳を考えてください……というか聖女様がお酒を飲んでるなんて前代未聞ですよ!? どうして目を離したらお酒を呑んでるんですか?」
「えっ? だって、別に自分で浄化できるし……」
「聖女様の力をお酒の分解に使ってどうするんです……教皇様が見たら何と言うか……」
ハァ……と疲れたように息を吐き出しながら首を振る銀の少女。
そんな彼女の様子に、聖女は気まずそうに指同士を触れさせて。
「でも……そもそもそのお酒教皇様のだし……」
もじもじと上目遣い。
これで話を変えられないかな?
教皇様を一撃でノックアウトした眼差しを少女に向ける。
しかし、少女から帰ってきたのは冷ややかな眼差しで。
「つまり、聖女様は窃盗をしたと……」
「ん?」
「もしかして、今までのも全部……」
「んん?」
おかしい……
目の前の少女の目がドンドン冷ややかになっていく……
聖女は少女の視線から逃れるように顔を俯かせて。
(あれー? なんでそんなに怖くなってるの?)
冷や汗が止まらない。
いつの間にか幸福感は何とも言えない焦りに変わっていて。
「聖女様……」
「は、はいぃぃぃ!」
ビクリと肩を震わせて。
そのままおずおずと顔を上げれば、そこには少女が氷の微笑で仁王立ち。
「な、なんですかぁ……?」
か細い声で聖女が問う。
すると、少女は深いため息をついてからビンをテーブルに置いた。
「まったく、そんな態度するんだったら初めからやらないで下さいよ……私だって聖女様が心配だから言っているんですから、もう少しご自身のお体を大切にしてください」
そう言って向けられたのは思いやりのこもった優しい瞳。
さすがにそこまでされてしまうと何も言えない。
しかし、お酒を止めるのはしたくない。
「うう……でも体は何ともないんだよ。お祈りの前には絶対浄化するし、そもそも浄化しちゃうから体に悪影響はないし」
「そういう話ではないでしょう。聖女様はまだ十三ですよ。そもそも聖女様という立場上、飲酒しているなんて知られるわけにいきませんし、ましてや十三歳でしょっちゅう教皇様のお酒をくすねて飲んでいるなんて知られたら信者は卒倒しますよ」
息を吐き出しながら額に手を当てて告げる少女。
頭痛いのかな?
彼女の様子を見て何となくそう思って。
「あれ? 頭痛いの?」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
声を荒げる少女。
彼女は心配そうに見つめている聖女を冷ややかに見降ろして。
「聖女様……もしかしなくても酔ってますよね?」
細められる視線。
聖女はその威圧感に視線を彷徨わせると。
「よ、酔ってないよー」
「完全に棒読みでしたよ」
「…………」
ぐうの音も出ないと言うのはこのことだろうか。
完全に何も言えなくなり、スススと顔背ける聖女。
そんな彼女の態度に少女は困ったようにため息をついて。
「こんなことバレたら世話係の私だって怒られるんですから、ほんとに気をつけてくださいよ?」
「はい……」
「そもそも教皇様のお酒を盗むなんて何してるんですか……教皇様は許してくれるかもしれませんが、普通に犯罪ですよ? もうこんなことやめてくださいね」
「はい…………」
「まったく……教皇様も何で許してるんですかね……今まではストレスもあるだろうと思って注意にとどめていましたが、盗んでまで飲んでいるなら金輪際お酒は飲ませません! いいですね?」
「はい………………」
聖女を見下ろしながらくどくどと説教をする少女。
しかし、聖女の中では説教どころではなくて。
(もう……飲めないの…………?)
あの幸福感を、満足感をもう感じられない……
不意にあふれる涙が頬を伝う。
そんな彼女の姿に目の前の少女はギョッとして。
「えっ? 何で泣いてるんですか!?」
「うええええええ……」
涙が止まらないどころか、さらに勢いを増してしまって。
聖女はついに声を出して泣き始めてしまった。
「えっ? ちょ、ちょっと待ってください!」
突然泣き出してしまった聖女に、少女はどうしていいか分からずに右往左往。
「そんなに嫌だったんですか!? ああ、泣かないで……」
「やだぁぁぁぁぁぁぁ……」
「そんな子供みたいな……いや、子供か……ほら! 泣かないで! この国では十五歳からお酒飲めるんですから後二年ですよ? そこまで我慢ですよ? ね?」
少女は慌てながらも一生懸命に聖女をあやす。
すると、少しづつ聖女の声は大人しくなっていってぐすんと鼻を鳴らした。
やっと泣き止みました……
少女が胸を撫で下ろすと、聖女は瞳に涙をためながら少女を見上げて。
「後二年も……?」
「う……」
「我慢…………」
「くぅ……」
涙声の聖女と何かを我慢する様子の少女。
結局、先に折れたのは少女の方だった。
「ハァ……分かりましたよ……」
「えっ?」
疲れたようにうなだれる少女。
「だから……お酒を飲むのは少しなら許しますよ……」
「ほんと……?」
「少しですよ? 毎日飲んでたら今度こそ禁止しますからね」
瞳に涙をためながら問いかける聖女。
そんな彼女に少女は困ったように息を吐いた。
すると、聖女の顔は次第に輝きを増していって。
「やったぁ! ほんとにいいの!?」
「さっきも言いましたが毎日はダメですよ? そうですね……数日に一回ってとこですかね。あと、その時は私も同席します」
「えっ? 一緒に飲むの?」
「違います! 聖女様が飲みすぎない為に決まってるじゃないですか……」
「えー……一緒に飲もうよー」
疲れた様子の少女とは対照的に、聖女嬉しそうな笑みを深めて。
「だってお酒飲める歳でしょ、お酒は私が浄化するから大丈夫だよ?」
「そういう問題ではないです。そもそもシスターがお酒を飲むのはよくないんですよ」
「でも教皇様は飲んでるよ?」
「それは……痛いとこ突きますね……」
「だから一緒に飲もうよ! 少しなら体にいいって聞いたことあるよ? 私も一緒に飲めたら嬉しいし」
「ですが……」
誰かと一緒に飲める!
いつも一人で飲んでいた聖女にとって、それはとても大きなもので。
聖女は二つ目のグラスを取り出すと、そのグラスの眼前の少女に差し出した。
「じゃあ今回だけ、今回だけでもいいから一緒に飲もうよ! 私誰かと一緒にお酒飲んでみたかったんだ」
テーブルの端に置かれたビンを手繰り寄せ、聖女はニコニコと少女を見つめる。
しかし、少女の顔は優れない。
それもそうだろう。
そもそもお酒絵を飲んではいけないと教えられてきたのだ。そう簡単に首を縦には振れない。
いけないことなのは分かってるけど……
それでも彼女と一緒に飲みたい……
だから聖女は再び少女に上目遣いを向けて。
「今回だけだから……」
「…………」
「だめ……?」
「————っ!」
困った顔で悩む少女。
そんな彼女を聖女はじっと見つめる。
そしてしばらく経って——
結局折れたのは、また少女の方だった。
「分かりましたよ……今回だけですよ?」
ハァとため息をつきながら少女は頷く。
そして彼女は聖女の対面に座って。
「ですが、一杯だけですよ……もちろん聖女様もです」
「…………」
少女はビンの栓を抜いて二つのグラスに酒を注ぐ。
「ほら聖女様、何呆けてるんですか。一緒に飲みたいって言ったのは聖女様ですよ」
「えっ? 本当に……い、いいの?」
本当に一緒に飲んでくれるなんて思ってなかった。
だから目の前の親友の言葉をうまく飲みこめなくて。
「良くなかったら座ってませんよ。ただ、もう一度言いますが一杯だけですよ? そうしたらもう寝てください」
「…………」
「聖女様?」
首をかしげる少女。
声が出せない。
だって、声を出してしまったらまた彼女を慌てさせてしまうから。
目の奥から溢れそうになる雫を見せない様に聖女は顔を俯かせる。
「どうしました?」
そんな聖女の様子に少女は不思議そうな顔をするが、彼女は顔を上げないまま耐える。
もう少し待って。
少し経てば零れそうになっていた涙は落ち着いて、顔を上げられるようになるから。
怪訝な顔を見せ始める少女。
間に合わない……
そう判断した聖女は一生懸命に笑みを浮かべ顔を上げた。
「ははは……ごめんねー、ちょっと酔いが回っちゃったみたいで」
「聖女様……」
聖女の顔を見た少女が目を瞬かせる。
しかし、次第にその表情は優しい笑みに変わって。
「大丈夫ですか? 今日はやめときますか?」
「大丈夫! 大丈夫! 今日はこれで止めるから。だから飲もうよ!」
誤魔化すように手を振って、半分ほど注がれたグラスを持つ。
「えっとねー、私前からやってみたかったんだぁ、二人で飲むときはこうやってグラスをぶつけるんだって!」
「……分かりました。こうですね?」
聖女がグラスを掲げると、微笑を携えた少女がグラスを持って聖女のグラスにぶつける。
カン——
質素な部屋で、乾杯の音が静かに響いた。
次はどうやって彼女と一緒にお酒を飲もう?
それを考えると、不思議と毎日のお祈りはツライ物じゃなくなった。
数日に一度を待ちわびて。
その日が来たら彼女を説得して。
そして二人で向かい合って座る。
初めに行うのは決まった儀式。
カンと言う音と共に。
私は彼女と一緒に今日もまた毒を飲む。
あとがき——
読んでいただいてありがとうございます。
練習で書いた短編第二弾、少しは楽しんでいただけたでしょうか?
私はお酒好きなんですけど、胃が弱くて一、二杯で胃が痛くなってしまうのですが、少し前に社長に飲みに連れてかれて(強制)その時このお話を思いつきました。
練習で短編を書こうと決めた時にはこのお話を書こうと考えていて、その時は漠然とお酒の話を書こうと考え、次に男同士だとつまらなそうだから百合風味に、OLとかだとありきたりだから異世界&聖職者に変えました。
本当はもっと百合要素を増やしたかった……
正直自分で言うのも何ですが、前回の方が上手く書けた気がします(汗)
やっぱり、会話が増えるとキャラクターの気持ちを表現するのが難しい……
それ以外にもいろいろと課題が残る短編になりました。
あくまで練習ですので書き直すことはあまり考えていませんが、次はもっと面白く書けるようになりたいですね。
頑張ります!
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