前夜

本香酩絶

第1話

隣で眠る彼女の頬を撫でた。

体液でぬるりとしている。私の手も彼女の肌も茹で上がったように熱くて、触れている場所が融けあっているように思えた。

私も眠ろうかな、と昼間新しく買ってきた薬瓶に手を伸ばしたが、さっきの興奮が治まらない。こんなに熱くちゃ眠れない、と思って、ベッド下に落ちた彼女の大きいスウェットだけを裸体にかぶって玄関に向かった。ドアを開けたとたん、強く鋭い風が吹き付けてきた。


ドアの前に座って、しばらく死体のように動かずに火照りを冷ます。

今日は幸せだった。くっついてまじわって、あんなに幸せなことはなかった。

人に触れることも人の体液にまみれることも、こんなに気持ちが良くて幸せなことだとは誰も教えてくれなかった。こんな際どい格好で体液だらけで、人に見られたら大変だな。

体が冷えてきて皮膚が痛くなってくる。風に突き刺されて罰を受けているようだけど、彼女のスウェットと体液に覆われて守られている私はなにも怖くなかった。

空は澄んでいて、星がちかちかたくさん光っていた。覚えている星座をいくつか見つけて、それにまつわる神話を思い出したりした。もう天国にいるみたいだった。

星空に飽きてドアノブに手をかけると、乾いてきた彼女の体液がべたっとドアノブに貼り付いた感触がした。

そんなに長く外に出てたんだ、と思い、部屋の暖房を付けていなかったことを思い出した。


部屋に戻って冷たい布団の中に手を入れた。案の定彼女の体もだんだん冷めてきていて、彼女で暖をとることはできそうになかったので、さっき使った包丁を流しに置くついでにホットミルクを作った。いつもは甘くしないけど、今日くらい特別にと思って蜂蜜をたくさん入れた。マグをすすりながら彼女の顔を見つめる。温まった手のひらを彼女の頬に当てた。熱が冷たい頬に吸い取られる。私が彼女に取り込まれる。そのままかたく閉じられたまぶたをなぞって、この下の眼には何が見えているのかなと考えた。何も見えていないのだろうか。

彼女の顔を照らす時計を見ると午前2時を表示していた。そろそろ眠ろう。薬を飲んで、空になった薬瓶をなんとなく眺める。ふと思いついて、瓶の表面に彼女へのメッセージを書いてヘッドボードに置いた。

彼女は読まないけれど、本人には言い忘れてしまったし、最期のメッセージがこういうのもロマンチックだと思う。

毛布に潜って、固くなってきた手を握る。

かさついた唇にキスをした。


あいしてる、は瓶の曲面に歪んだ。




朝、アパートの隣人は悲鳴を上げた。

隣室のドアノブにはべったり血が付いていた。

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前夜 本香酩絶 @aki_srty

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