10  獣





ここを通り抜けた先の戦争はいまだに続いていた。


全て疲弊し、身動きも取れないのに

兵士だけが途切れる事も無く送られていく。

もう何年になるだろうか。


この街に逃げ場のない彼らの闇は落とされる。

それは積み重なりつぶれて腐っていく。

街中には耐えがたい腐臭が漂っていた。


だがそれはほとんどの者は感じられない香りだ。

その街に住む全ての者が纏っている香りだったからだ。




深夜、外で激しく争う音がする。


男二人が殴り合いの喧嘩をしているようだ。

回りにそれを面白がり囃し立てる群衆もいる。


ペリは思わず耳を押さえた。


その時だ、つんざくような悲鳴が上がり周りも大声で叫ぶ。

そして扉が激しく開いて外の景色が見えた。


そこに二人の男が重なったまま転がり込んで来た。


上側の男がペリの姿を見ると驚いて跳ね起きた。

だが下側の男は動かない。

その胸元にはナイフが深々と刺さっていた。


外にいる群衆も扉近くに寄って来る。


「こんな店はあったか。」

「あいつ、死んだんじゃねぇか。」

「それより、おい、中を見ろ。」


群衆が一斉にペリを見る。


「悪魔だ!!!」


彼らは叫び声をあげて蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

残ったのは動かなくなった男とペリだけだ。


扉はまだ開かれたままだ。

ペリは男の体を蹴り出すと扉を閉めた。


床には男の血の跡が黒々と残り蝋燭の光に鈍く光った。

ペリはそれに近寄ると指先でそれをなぞり臭いを嗅いだ。


そしてはっと気が付く。


自分の爪が長く伸びてねじくれているのを。


彼は両手を広げて見た。

細くしなやかだった指は節くれだち色も薄黒く変わっていた。


ペリはその手に血を塗り付けた。

黒い灰が立ち皮膚の色が変わった。

それが面白いかのようにペリは何度も血を塗り付ける。


彼はその行為に疑問は感じなかった。


ペリは変わっていた。




それからどれほど経った頃か。


ペリにはもう時間の感覚は無かった。

外出もせずただ家でうろうろと歩き回っているだけだった。


まるで囚われた獣の様だった。


あの血の跡が黒く染みになり、床の柄の様に馴染んだ頃だ。


「ペリよ。」


その夜、扉が開いた。

立っていたのはかつての王宮付きの術師長だったサルジャだった。


「サ……。」


這っていたペリはゆらりと立ち上がり、

微かに囁くとペリは頭を下げた。


「久し振りだな、ペリよ。

お前もずいぶん変わってしまったな。」


ふっと彼は正気を取り戻す。

彼が名を呼んだからだろうか。

そして意識が元に戻りかけているペリは彼の言葉を意外に感じた。


「私は何も変わっていませんよ。

どうぞ奥に。

お茶でもいかがですか。」


サルジャは椅子に座る。


「いや、お茶は良い。

それよりお前に話がある。お前も座るが良い。」


サルジャはペリに言った。

ペリは部屋の中を見渡した。


大事にしていた茶器は乱雑に置かれ茶葉が飛び散っている。

まるで何者かが暴れた後のようだった。


そしてペリは今までにない気配をサルジャが現れてから感じていた。


ペリが彼の前に座ると、

サルジャは持って来た荷物をテーブルに広げた。


そこには手のひらに乗るほどの宝石がいくつもあった。


ペリはそれを見て息を飲んだ。

言葉も出ない。


「ペリよ、これを見よ。

お前はどれが良い。好きなものを選べ。」


ペリはぶるぶると震えながら一つの宝石を指さした。

そしてその指先を見る。


ねじくれた爪だ。


彼ははっとして自分の両手を見る。

全ての爪の形が変わり皮膚も黒くなっていた。


「サルジャ様、私は……。」


サルジャは悲しげな顔をして彼を見た。


「気づいていなかったのだな。

お前の美しかった髪は今では闇色だ。

肌もどす黒い。

優し気な様子のお前はもういないのだ。」


ペリは椅子から転げ落ちるように離れて部屋の奥に行った。

そして鏡を見る。


そこには見た事もない自分がそこにいた。


「お前はな、腐り爛れた街の毒にてられたのだ。

お前達精霊は純粋すぎる。

だからこの宝石に隠れろ。われが作った。」


サルジャはさっきペリが選んだ宝石を差し出した。


「辿れ、分かるだろう。

ここに入ればお前は時間をかけて浄化され、

また心の美しい精霊に戻れる。

このままではお前はけものになる。」


ペリは震える指で宝石の表面を辿った。


「お前だけがこの街で吾に優しくしてくれた。

吾の恩返しだ。」


ペリの姿が徐々に薄くなる。


「お前が消えたら吾はこの街を消す。

世の中の腐乱を集めたようなこの街は消えた方が良い。」


彼の怒りは消えていなかったのだ。


サルジャはテーブルに宝石を戻した。

いくつかの宝石が蝋燭の光できらめく。


そしてサルジャは宙に文字を描いた。


激しい怒りが彼の目を輝かせる。


それは正義の光なのか。

長い時間をかけて彼はその部屋でまじないを唱えた。


そして彼が膝を突いた。

倒れた彼は息をしていなかった。


そして街の縁から光がじわじわと湧き出した。

それは誰も気が付かない。


その光に覆われた瞬間は

その身が燃えつくされても誰も気づく事は無かった。




翌朝、その街は砂漠になっていた。

人々も建物も全て消えた。


なにもかも無くなり、遙か彼方まで砂だけの景色だ。

その果てに雪を頂いた山並みが見える。

しばらくは街の痕跡を探しに人は沢山来たが、

何も見つけることが出来なかった。


街は完全に消えたのだ。


長く続いた争いもその恐ろしい出来事が祟りだと語られて、

意外なほど早く終息した。




やがて時を経て、

一夜で消えた街は不思議な出来事として語られるだけになった。




そしてどれほど経った頃だろうか。


砂漠の中で輝く宝石を見つけた者がいた。

見つけた彼はそれを隠しこっそりと街まで持って行った。


それはいくらで売れたのだろう。




それから宝石は長い旅をする事となった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ペリ ましさかはぶ子 @soranamu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ