42 門前町にて

 気がつくと、視界の端で鈴の緒がかすかにゆれていた。

 からくり人形のようにぎこちなく頭をあげて、そろそろと下がる。

 後ろに並んでいた若そうな男女二人連れが前に進んでいくのと入れ違いにわたしたちは退く。

 これは夢なのだろう。

 その証拠に人々は皆、面を被っている。

 先の二人連れにしても、翁面と狐面のカップルである。

 鬼の面、天狗の面、火男面、小面、様々で、面を被っていないのは、わたしと彼だけだった。

 だから、これは夢なのだ。

 夢でなければ、彼がこんなに優しいはずはない。


 階段でつまずきかけたわたしを支えた彼はにこにこしながらいう。

 「大丈夫?」

 もはや記憶の片隅からも消えつつあった表情、わたしを慈しみ、わたしに密かに欲情する目。

 しばらく前から、お互いの身体も見飽き、義務的に身体を重ねるだけとなった。

 もちろん、それは義務でもなんでもないから、回数はどんどんと減っていく。

 愛の言葉をささやかなくなった口はお互いを傷つけることばを吐き出すために使われた。

 かつてはお互いの身体の隅々をまさぐっていた手、それがお互いを傷つけるために使われないだけでも感謝しないといけないのかもしれない。彼はわたしを殴ったりしない。わたしも彼をぶったりしない。お互いに触れたりしない。手すら触れ合うことがない。

 ……はずだった……のは気のせいかしら。

 わたしは彼が差し出してくれた手をいつものように握った。大きな力強いひんやりとした手。


 参道の階段を下り、鳥居をくぐると、そこは門前町であった。

 視界の先に見える大鳥居のあたりまで、様々な店が立ち並ぶ。

 いつのまにか、たそがれ時を過ぎ、ところどころに灯りがともりはじめている。

 そんな時間であるのに、まだまだ人は途切れていなかった。

 なにかの祭事でもあったのだろうか。それとも常日頃から人々が集まる大きな神社なのだろうか。にぎやかな声につつまれる。

 わたしたちは手をつなぎながら、店先を冷やかす。

 「ミヅキは何を願ったの?」

 「うーん、何だったかしら。思い出せないってことにしとこうかしら」

 ごまかすわたしの頭を彼が抱き寄せた。

 「ほら、あそこで甘酒が出ているよ」

 ただよってくる甘い湯気、彼が指さした先には茶屋があった。

 彼に手をひかれるままにわたしは茶屋へと向かう。

 おいしそうだよ、いただこうよという彼のことばにうなずく。

 でも、どういうわけか、わたしは甘酒が飲めないのだ。

 やはり、これは夢なのだろう。

 その証拠に甘酒を飲めないわたしのことに彼は全く気がつかない。

 ふぅーふぅーと息を吹きかけて、彼は甘酒をすする。

 もともとわたしはそれほど食に興味がない。

 彼がにこにことしているのを見るだけで満足だった。

 代金は一切必要なかった。夢だからだろう。

 彼に手をひかれるままに、わたしはあちこちの店をのぞき、彼は美味しそうに様々なものを飲み食いしていく。

 よく食べる彼が好きだったことを思い出した。

 

 「ねぇ、ミヅキに謝らないといけないんだ」

 焼きイカを美味しそうに食べ終えた後、彼がすこし遠慮がちに口を開いた。

 口の周りに醤油ダレがついている。

 「えっ? 謝るって何を?」

 謝られることなんてなかったはずだ。

 少なくとも以前の彼は謝ったりしなかった。

 「俺、ずっとミヅキに甘えていたんだと思う。いつも、そばにいてくれるから、それが当たり前になって、平気で八つ当たりしてた」

 目がじわっと熱くなった。

 わたしもそうだ。

 弱みを見せたくない。頼りたくない。そう思いながら、弱いところを八つ当たりで隠し、受け止めてくれることをいいことに頼り続けていたのだ。

 もっと前から本音で話せば良かった。

 彼の冷たい指先がわたしの手をとる。

 絡み合った指を解いたかと思えば、わたしの首筋をすぅっと撫でる。首筋からふところへとすべっていく。

 「こら」とはねのけながらも、わたしは悪い気がしなかった。

 ここが参道でなければ、もっと触れてほしかっただろう。わたしからももっと触れたであろう。

 「あとでね」

 彼の眼がうるむ。わたしのことを熱く見つめるあの頃と同じ眼。

 これほどまでに魅力的なのに、どうして見飽きたなどと思っていたのだろう。どうして、その手に触れられても熱くならないと思っていたのだろう。

 熱く見つめ合うわたしたちの間をくぐりぬけるように、浴衣姿の子どもたちが走っていく。

 とおりゃんせを歌いながら、子どもたちが駆けていく。

 「帰ったら……続き、しましょ」

 手をつなぎなおし、門前町を歩いていく。

 大きな鳥居が見えた。

 家路に急ごう。

 鳥居の下を通ろうとしたときに、彼が転んだ。

 彼の足元には黒いモヤのような人影がまとわりついていた。

 モヤが代わりに答えた。

 「こいつは帰れないよ。お前がそう望んだんだろう」

 いつしかモヤは地面に溶けるように広がり、大きな穴をうがつ。

 「ねぇ、ミヅキ、どうして? どうしてなんだ?」

 彼が悲痛な顔で飲み込まれていく。


 ◆◆◆


 わたしは目を覚ました。

 枕元には神社の札があった。

 そうだ、わたしは縁切り神社に行ったのだった。

 電話がかかってくる。

 彼が死んだという警察からの知らせ。

 驚かなかった。

 姿見が目に入る。

 中にいるのは般若の面を被った女。わたしと同じ姿をした女。


 ◆◆◆


 わたしはもう一度目を覚ます。

 もう一度?

 とても楽しく、そして、とても寂しく悲しい夢を見た気がする。

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てのひらのうえのすこしだけこわいおはなし 黒石廉 @kuroishiren

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