最終章

そして

 虚実を歴史に刻むのは教会のお家芸だ。


 だが今回の騒動に限ってはアリスが主導権を握っている。リン達は無論のことインテグラやマクニッシュ親子も同意したので、国王や教会に送る報告書は虚実だらけとなる予定だ。


「父の責任は自分が。父子共々ハミルトン大司教に首を捧げます」


 アリスの宿泊室に集まって最初に意見を述べたのはクライブだった。初対面の時の爽やかなイメージはどこに置いてきたのか、まるで別人のようだ。表情は仄暗い。雰囲気も暗い。目の奥にも暗然としたものを感じる。


 許可が出れば今すぐにでも、と言わんばかりに長剣の柄に手を当てながら、鋭い眼差しを震える父親に向けている。


「大司教に教徒の首を集める趣味があるとでも思っているのですか? そもそも命を絶つというのは最大の責任放棄ですし、あのブラコンクソ野郎が喜ぶとも思えませんね」


 アリスはバカバカしいと言った感じでクライブの提案を一蹴し、あからさまにほっとしたクラークを睨め付けつつも、ジェノの遺言書を読み上げていく。


 どうやら今後の大まかなシナリオはジェノが用意していたようだ。


 まず、第6の魔王は名無しだ。


 ジェノが魔界の門を開き、魔王を目指したのは事実だが、現職の大司教が連続して世界征服を企てたとなれば教会の信用が地に落ち、また2人の魔王と同じ姓を持った少年も居心地が悪くなるに違いない。


 宗教を必要とする人も少なくないため、聖戦の参加者全員が賛同した場合に限って第6の魔王は空想のものにして欲しい、と書かれているのをリンも見た。ただしアリスは問うていない。


「異論は認めないので悪しからず。あの人も文句があるのなら化けて出れば良いのです」


 憤然と言うとアリスは次の話題を口にした。聖戦の参加者の件だ。


 勇者は4人の仲間と共に魔王との死闘を繰り広げ、1人は戦死したことにする。当然ながら唯一の戦死者というのはジェノだ。


 そして、今回の勇者もノア・ハミルトンである。


 ただリンとライルはともかく、メルは既に書類上で死亡したことになっている。そこで白羽の矢が立ったのがクライブだ。


「大司教の先見も大したものですなぁ。これで自害は無理ですぞ?」


 クライブの反対よりインテグラの賛成意見の方が早く挙がった。アリスは目も向けず、


「次ですが、大司教はマクニッシュ司教を次期大司教に推薦するとのことです」


 全員が驚いた。クラーク本人も間の抜けた顔で不可解さを示している。


「一種の口止めです。念願の大司教になれば自分が関与した悪巧みを隠し通す必要が出てきますからね。枢機卿から処罰を受けぬよう王族への根回しを抜からないでくださいまし」


「……努力する」


「そこのハゲ。努力でなく成果をお約束くださいな。言葉を選ばないと殺しますよ?」


「いやいやあなたが殺人を犯しては大司教が悲しみますぞ。あっしにお任せくだされ」


 アリスとインテグラは微笑を浮かべて言った。クラークが何度も何度も謝罪する。


「という訳で各自もハゲを殺さないようにお願いします」


 わざわざ確認を取ったのはメルへの対策だと思われる。人の目に触れない彼女なら気分さえ乗れば簡単にクラークを暗殺できてしまうからだ。


 その後もアリスの話は続いた。誰もが体力的にも精神的にも疲れ切っていたので説明は簡潔に行われ、リンは宿泊先に戻ると泥のように眠った。


 ノアのみはアリスの部屋を出ず、2人でジェノの遺品を確認したり思い出話に耽ったりしたらしい。


 それが原因でノアは朝食の席に姿を見せなかった。眠っているのではない。昨晩にジェノの棺桶袋コフィンバッグから何通かの手紙が発見され、ノアは自分宛の手紙を読み終えると単身でガルダに行ってしまったそうだ。


 個人宛の手紙は他にもあって、リン、メル、ライル、アリス、レオン、インテグラ、クライブなどが対象だ。


 リンの知らない人に宛てたのもあったが、それらはアリスやインテグラが各国を回って手渡しをすると言う。


 ノアが姿を眩ました十日後。国王の使者がアンクトを訪れて今回のことを陳謝したが、詫びるのなら国王本人が来るべきだし、そもそも謝罪して許されるようなことでもない。


 アリスが意外にも冷静な振る舞いを見せて殺気立ったメルやライルを制し、剣呑とした空気の中で用件を聞いてみれば、近隣各国がノアの暗殺を支持しなくなったとのことだ。


 触らぬ神に祟りなし。


 熾天使と堕天使の魂を保有するノアは世界最強の呪術師と言っても過言ではない。


 ノアが王族どもを許すかは別としてジェノの願いは叶ったことになる。

 

 だが一番の用件はジェノの葬儀のことだった。国王はノアに誠意を見せるべく国葬で弔うと約束し、その日取りなどはアリスの一存で決められたが、彼女とインテグラは遺体の移送や準備に付き合う気がないようだ。自分達が優先すべきは手紙の配達だと言う。


「葬儀にも出ません。王侯貴族や教会の幹部連中が態とらしく涙を流していたらウィリアムで焼き尽くしてしまうかもしれないので」


 アリスの物騒な発言に異を唱える者はいない。


 また、全員の心の整理が済み、再び集まる機会があれば揃ってジェノに顔を見せに行くと決めたのだった。


 そして5人はノアの不在を惜しみながらも最後の昼食を取った。メルがガルダの様子を見に行くと言ったのだが、1人にしてあげるべきだとアリスが諭したからである。


「あっしは空を飛べないのでお先に失礼しますぞ? 愛馬を長らく待たせていますからな」


 食後まもなくインテグラが仲間の元を去った。1時間ほど後に他の面々も食堂を出て、


「ではわたくしも出立いたします」


 アリスは一礼と共に告げた。聖戦の直後からそうだが、両目はしっかりと開けている。どこかで彷徨っているかもしれないジェノの魂を見逃さないためだと聞いた。


「あなたも早々に故郷を目指しなさい」


 アリスが命じた相手はライルだ。何やらジェノは擬似的な聖戦の報酬を騙し取っていたらしい。実際に開門は行ったのだから詐欺でもないが、国王からは熾天石セラフストーンを、教会からは未公開の解呪本リカバーブックを。前者はライルに、後者はリンに授けるとそれぞれの手紙に書いてあった。


「分かってる。ジェノの配慮に応えるためにもあいつを必ず救ってみせるさ」


 ライルはアリスの左手を見ながら返事した。薬指に銀色の指輪が填っている。ジェノがリンに渡した小箱に入ってたのだ。


 ジェノより愛を込めて。そう刻み込まれた結婚指輪が。


 ジェノが指輪を買い与えなかったのはアリスを好まないからではない。ただ単に作成中だったからだ。それを知った時にリンは己のトロさを自覚した。ジェノは嘘を吐かないと信じつつも『アリスとの昼食が1日の楽しみ』という言葉を軽く受け取っていたのである。


「配慮? ドアホですかあなたは。あの自己中野郎が熾天石を入手したのは別の理由です」


 アリスは鼻で笑い、


「ご褒美ですよ。記憶にないですか? 1対4でも構わない。腕の1本でも奪えたら褒美をくれてやると仰っていたはずですが」


 リンとライルは何も言えなかった。恩を感じさせないための便宜なのだろう。どれほどジェノが2人を気遣っていたのかということを改めて思い知らされた。


「……あたしは何も貰ってないっす。クロスケは慈愛の翼リフィスマーチを貰ったのに」


 リンの背中に張り付いているメルが唇を尖らせた。片手をアリスに差し出して、


「あんたは結婚指輪を貰ったっしょ。終の願いクレイブベインをあたしに寄越してもよくないっすかね」


「よくないっすね」


 ふふっと笑ってアリスは球電の精ウィルオウィスプを呼び出した。大きなシャボン玉に跨って、


「ではご機嫌よう。ノアによろしくお伝えくださいませ」


「あっ。ちょっと待って」


 リンは慌てて声を掛けた。トロいことにここずっと言おうか迷っていたことがあるのだ。


「これ。もしよかったら……」


 差し出したのはメルの認識に用いた片眼鏡だ。


「ジェノの魂が行く場所と言ったらアリスかノアの近くだと思うから」


「……謎が解けました。なぜリネットがそわそわしているのか不思議だったのです」


 アリスは聖母のような微笑を浮かべて、


「これはあの人の魂を見つけるための道具であるのと同時に、わたくしに現実を知らしめる道具でもあるからですね」


 リンは頷く。これは、ジェノがいつも傍から見守ってくれているという幻想をぶち壊してしまう秘宝とも言える。


「リネットは優しいですね。せっかくのご配慮ですし。受け取らせていただきます」


 恭しい態度を見せたのは受け取るまで。アリスは一転してくっくっくっと笑い、


「あの甲斐性なしめ。魂を捕獲できた際は召喚サモンして再び死ぬまで首を絞めてくれようぞ」


 危険すぎる。リンが無意識に秘宝を回収しようとした矢先、アリスはニヤっと笑ってシャボン玉を走らせてしまった。あっという間に後ろ姿が見えなくなる。


「義理の姉は義理の兄ほど人間ができてねえらしい。ノアも大変だな」


 ライルの呟きにリンとメルは何度も頷いた。


「俺も行くぜ。ノアに悪いが解呪リカバーの期限が迫ってるし、傷心のあいつに飛行で送ってくとか気遣いされたら俺が辛くなるしな。泣虫のおっさんは馬でも買って帰るとするさ」


「あたしが送ってもいいけど?」


 メルの厚意にライルは苦笑した。


「お前さんが気遣うべきは俺じゃねえよ。それに故郷は十日もあれば帰れるしな。1秒でも早く治してやりたいとは思うが、俺の女房は十日コースを希望すると断言できるぜ」


 ライルの表情から苦みが抜けていく。


「じゃあな。近日中に亡者の嘆きが手に入るように祈っとく」


 リンとメルは笑顔でライルを見送った。その祈りが天に届けばなぁ、と思っていると、


「なんとも間の悪い男っすね。もうちょっと早く帰ってこいっての」


 何のことかと思ったら遠くに真っ黒な姿が見当たる。


「あれ? 姉さんやライルは?」


「……姉さん、なの?」


 リンは思わず聞き返してしまった。


「結婚を認めてくれって兄さんの手紙に書いてあったからね。姉さんも嫁ぎたいって言ってくれたし、ジェノ、ノア、アリスって名前も繋がるから家族として受け入れてもハミルトン的に問題ないと思ってOKを出したのさ。姉さんも喜んでくれたよ」


「……だからさっきノアを呼び捨てにしてたんだ。ま、まあ余所の家庭事情はさておき」


 質問に答えておく。アリスとライル。インテグラのこともリンは説明して、


「なので今後もお世話になっていいかしら?」


「お断りしとくよ」


 ノアの即答に、しかしリンは絶望感を抱かなかった。ノアが笑っていたからだ。


「イグノで丸2日は掛かるはずの儀式を兄さんが数時間で終わらせた方法に見当は付くかい?」


 当然っしょ、とメルが間髪を容れずに答えた。


「気配殺しの結界を張って慈愛の翼を召喚したんじゃないかしらん」


「正解。僕もつい先程まで似たようなことをしててね。その結果がこれさ」


 リンは目を見開いた。ノアが棺桶袋から出したのは女神像の腕だ。真っ白な。すべての秘薬の効果を宿す模造熾天使セラフィックスタチューの片腕だった。


「アルトは魔界の邪気を吸い過ぎて堕天使になった。そのせいか知らないけど願意石プレイストーンや熾天石から邪気を吸い取れるらしい。当然ながら限界はあるし、効果も微々たるものだけどね。そしてリフィスはリフィスで熾天使としての浄化の力を持っててさ。姉妹の努力のお陰で模造堕天使デモニックスタチューの腕を漂白するのに成功した。頑張りすぎたせいで当分は呪体化トランスすら使用不可能だけどね」


「……いいの?」


「構わないよ。兄さんの最後の頼みなのさ。受け取ってくれないと僕が困る」


 無理矢理に手渡された。重い。重すぎて涙が溢れてくる。


 これで。呪いが解けるんだ。


「……ありがとう」

 それしか言えない自分が情けない。だがノアは清々しいほどの良い笑みを浮かべた。


「どういたしまして」


 ノアが手を伸ばしてくる。リンは両手で握手に応じ、メルが小さく拍手した。


「送ってあげよっか? ラトは遠いしさ」


 ノアの先手を打ったのだろう。解答の知れた質問をメルが飛ばしてくる。


「遠慮しておくわ。だって5年ぶりの帰郷だもの。トロい私は心の準備が整うまで1ヶ月は掛かると思うのよ。ライルみたいに馬で帰れば丁度いいのよね」


 リンの自虐にノアが苦笑した。ひょっとしたらリンの心中を察していたのかもしれないが、ノアは1秒でも早くと言ったりはせず、ただ静かにリンの腰元を指差す。


 リンは頷き、ノアやメルの衣類が入った棺桶袋を返した。


「2人とも元気で」


「リンもね」


 ノアとメルは口を揃えて言うと教会の方に向かっていった。ジェノの様子を見に行くのか、或いはクラークやクライブに兄の遺体のことを頼みに行くのだろう。


 しばらくリンは2人の後ろ姿を見つめていた。元気を出させるためか、メルが早くもノアを怒らせている。おおよその見当は付いた。


『両手に華じゃなくなったっすね。悲しい? 悲しいんか! このエロスケ!』


 聞こえた気すらする。傍目ではノアが1人で怒っているように見えるせいで、道を行き交う人々が怪訝な視線を送っていたが、メルは実に楽しそうだった。


 もしやとリンは思う。


 再度の二人旅。これがメルに与えたジェノからの褒美なのかも?


 やがてリンも駿馬を買うために西区に向かって歩き始める。


 しばしば脳裏を過ぎるのは母親のことではなく、ノアの未来に関する懸念だった。


 最強の魔王と言われた父親と同等の力を有し、また勇者としての資質も持つ少年はどのような人生を歩むのだろうか。


 勇者か。


 はたまた魔王か。


 彼の場合はどちらの異名が歴史書に刻まれてもおかしくない。


 しかしそれは後世の歴史家が語るべきことだ。


 少なからず。今のリンには関係ない。


 なぜなら。リネット・マーシュの長い旅はもう終わってしまったからである。


 リンは青空に向かって無意味に祈った。


 願わくは、次に彼の名が馳せる時も『勇者ノア・ハミルトン』であって欲しい。


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【汝、願わば呪え 2】に続きます。

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汝、願わば呪え かがみ @kagamigusa

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